岸田政権よ、原発の再稼働を今すぐ決断せよ!|和田政宗 3月下旬の電力需給ひっ迫警報の際には、国民の節電で危機を乗り切ることができたが、夏の暑い時期が来たらどうなるのか。何を躊躇しているのか。国民のため、また政治の安定のためにも原発再稼働は必須であり、ロシアに対する厳しい姿勢を日本が率先して示すためにも重要だ。

萩生田経産相の苦しい心境

EUのフォンデアライエン委員長は5月4日、対ロシア制裁第6弾として、ロシア産原油の段階的輸入禁止を提案した。ロシア産原油の輸入を6カ月以内に段階的に停止する。欧州はロシアに対し、より効果的な制裁に踏み出すこととなる。

一方、こうした制裁について、萩生田光一経産相は、「日本は資源に限界があり、直ちに足並みをそろえてというのは難しい」と記者会見で述べ、EUとともに原油禁輸の制裁に直ちに参加することについて否定的な見解を述べた。

この会見の報に接した時、私は萩生田経産相の苦しい心境を察した。萩生田経産相はこれまでに、エネルギーの安定供給のため、原発再稼働促進に肯定的な考えを示してきたが、一向に進んでいない。ロシア産原油を禁輸するためには原発再稼働促進が必須であり、経済産業省は再稼働に前向きであるが、政府全体としての決断となっていないのである。

3月3日の参院予算委員会で、私は萩生田経産相に、「安定的な電力供給のために、安全基準を満たした原発の再稼働を進めるべきだ」と問いかけた。これに対し、萩生田経産相は「原子力の再稼働は重要」「産業界に対して事業者間の連携による安全審査への的確な対応を働きかけるとともに、国も前面に立ち、立地自治体など関係者の理解と協力を得られるよう粘り強く取り組む」と答弁した。

すでにこの答弁から2か月がたったが、まったく原発再稼働は進んでいない。私はこれまで、日本外交が力を発揮するためには、いち早くロシア産原油、天然ガスの禁輸を発表し、EUに促すことが重要だと述べてきた。EUの制裁措置に追随するだけでは、外交的価値も高まらず、和平交渉の仲立ちもできない。

「何もしない政権」との批判

そのために3月以降、速やかに原発再稼働を進め、ロシア産原油、天然ガスを輸入しなくても大丈夫な状況にしなくてはならなかったのだが、遅々として進んでいない。そして、EUに後れを取るという状況に陥った。

何を躊躇しているのか。2020年の国内原子力発電所の運転状況は、総発電電力量449億7,520万kWhで、設備利用率は15.5%にとどまる。石油火力発電所の発電量は700億kWhであり、原子力発電所の設備利用率を50%に引き上げるだけで、石油火力発電所の発電量を優に賄うことができる。

全原発36基のうち再稼働しているものは10基、うち運転中は5基のみで、定期検査中が5基である。新規制基準(安全基準)を満たした原発の再稼働を促進すれば、ロシア産原油のみならず天然ガスの輸入を止めても発電において何ら問題は生じなくなるし、電力ひっ迫の状況も無くなる。

3月下旬の電力需給ひっ迫警報の際には、国民の節電で危機を乗り切ることができたが、夏の暑い時期が来たらどうなるのか。

岸田政権は「何もしない政権」との批判も聞こえるが、自民党にとって怖いのは、参院選直前や最中に大規模なブラックアウトが起きて政権批判が高まり、参院選に敗北することである。国民のため、また政治の安定のためにも原発再稼働は必須であり、ロシアに対する厳しい姿勢を日本が率先して示すためにも重要である。

「日本と調和」に言及したゼレンスキ―大統領

自らが強くあり各国から信頼がなされれば、和平に乗り出すことができるが、自ら積極的に行動の取れない国家は相手にされない。

日本は自らが強くあれば、対立を生み出すのではなく、調和に向かってリーダーシップを発揮できるということは、3月のウクライナ・ゼレンスキー大統領が演説で述べている。ゼレンスキー大統領は日本のありようについて、日本人よりも本質に気付き期待を寄せているのだと思う。

大統領は演説の冒頭で、「ロシアがウクライナ全土の平和を破壊し始めたとき、世界中が戦争に反対し、自由、世界の安全、すべての社会における調和のとれた発展を望んでいることを実感しました。日本はこうした役割を果たすアジアのリーダーです」と述べた。

さらに、終盤、「日本の皆さん。私たちが力を合わせれば、想像以上に多くのことを成し遂げられます。私は、皆さんのすばらしい発展の歴史を知っています。いかに調和を作りだし、守れるかを」と述べた。

ゼレンスキー大統領は繰り返し「日本と調和」について言及した。これは、極めて的を射ている。日本のいにしえの国号は、「和」であり、天皇陛下を中心に国民が手を携え「和」をもとに歩んできた国家であるからだ。

「和」ではなく「倭」とした中国の皇帝

いにしえの国号は「倭」ではないのか? と言う方もおられると思うが、正確には「和」であったと考えて良い。「親魏倭王」などと称されたのは、日本からの使者が、中国の皇帝から「そなたの国の国号は何か。また、その意味は?」と聞かれ、「我が国の国号は『和』である。天皇陛下を中心に、国民全体が相和(あいわ)し暮らしている」と答えたことによると推察される。

これに対し、中国の皇帝は、そのような国家が存在することに脅威を感じたのであろう。日本から来た使者が言うような国家が存在すれば、国民を強権で従わせ貢がせるという自らの統治が脅かされるかもしれない。そこで「和」ではなく、「わずかな」という意味の「倭」を中国は日本の国号として充てたのである。これは、歴史小説家で古代史に詳しい高橋克彦さんなども述べておられる。

では、なぜ日本のいにしえの国号は「倭」ではなく、「和」だったと言えるのか。

それは、「日本の〇〇」を表す時、「和服」「和食」「和室」など、「和」が使われており、「倭」は使われないことからも明らかである。このように日本は、歴史上、「和」をもとに生きてきた民族なのである。

こうした力を日本は今こそ発揮すべきである。どこかの国に何かをされてびくびくするのではなく、自らは凛として強く、困った人や国があれば、「和」の精神をもって行動し、調和に導く。日本の政治家は、こうした日本の歴史に則り政治や外交を行うべきである。戦後レジームを脱し、何が日本にとって必要なのかもう一度再構築し、「国際社会において名誉ある地位を占める」べきだ。

この言葉は、護憲派が好きな憲法前文の言葉でもある。これを実現するために必要なことを国民が和を以て一体となって不断に考え、実行すべきである。

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和田政宗

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