日本海海戦117周年、記念艦「三笠」で式典 両軍の戦死者悼む ウクライナに思い重ねて

日本海海戦の117周年記念式典が開かれた記念艦「三笠」=横須賀市

 日露戦争中の日本海海戦から117年を迎えた27日、連合艦隊の旗艦だった記念艦「三笠」(神奈川県横須賀市稲岡町)で記念式典が開かれた。司令長官・東郷平八郎の子孫や三笠を建造した英海軍、海上自衛隊の関係者ら150人が参加。ロシアによるウクライナ侵攻に思いを重ね、日露両軍の戦死者を悼んだ。

 式典は三笠保存会の主催で3年ぶり。従来は400人近くを招いていたが、コロナ禍のため規模を縮小して開催した。

 保存会の佃和夫会長は当時、アジアの大半が欧米の植民地で、日本は独立維持のため、挙国一致で戦わざるを得なかった歴史的背景を説明。その上で「戦争はわれらの意思を相手に押しつける暴力行為で、政治の延長だ」という19世紀プロイセンの将軍クラウゼビッツの定義を引き、「日露戦争もウクライナ戦争もまさにこの定義の現実だ」と呼びかけた。

 三笠を管理する海自の乾悦久横須賀地方総監は「三笠は老朽化が進み、改修、整備の必要な箇所が増えている。保存会と協力し、保存整備に努めていきたい」と語った。在日米海軍のカール・ラティ司令官も「三笠のような歴史遺産が手入れを欠かさず保存されていたからこそ、過去の重要な教訓を未来に生かすことができる」と日本語と英語であいさつした。

 東郷のひ孫の喜久子さん(73)=横浜市=は父から「東郷平八郎は怒らず、小さなこと一つ一つに感謝する人だった」と聞いて育ったという。取材に対し、ウクライナを旅した思い出を振り返り、「ロシア軍は美しく歴史のある街並みも破壊している。戦争だけはやってはいけない」と話していた。

 ◆日本海海戦 1905年5月27、28日の両日、日本海軍とロシア海軍が行った海戦。戦艦4隻、巡洋艦8隻を含む96隻からなる日本の連合艦隊と、戦艦8隻、巡洋艦6隻などロシア・バルチック艦隊38隻が激突。連合艦隊はロシア側の19隻を撃沈させた一方、自軍の損害は水雷艇3隻のみと完勝し、日露戦争の勝利に大きく貢献した。

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