「済州4・3事件」体験した母の過酷な記憶を記録に ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」

「ディア・ピョンヤン」(2009年)などの作品で自身の家族史を通し北朝鮮や在日朝鮮人社会を描いてきた映画監督、ヤン ヨンヒさんの新作ドキュメンタリー映画「スープとイデオロギー」が6月11日から大阪市淀川区の第七芸術劇場などで公開される。両親の故郷、韓国・済州島で起きた「済州4・3事件」の渦中にいた母の過酷な記憶を記録、南」との関係を初めて描き、家族ドキュメンタリーの最終章を締めくくった。(新聞うずみ火 栗原佳子)

「難民の娘だったと知り、難民問題がより身近になった」とヤン監督=大阪市淀川区

ヤン監督は朝鮮総連の熱心な活動家である両親のもと、大阪で生まれた。4人きょうだいの末っ子で、1959年に「帰国事業」がはじまると、兄3人は北朝鮮に送られた。軍事政権下にあった韓国よりも、「地上の楽園」とうたわれた北朝鮮に多くの人が希望を抱いた時代だった。

米国留学を経て映像の世界に入ったヤン監督は05年、両親や北朝鮮の兄家族にカメラを向けたドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」で監督デビュー。09年には北朝鮮の姪を主人公にした「愛しきソナ」を製作した。同年、父、続いて長兄が他界したが、作品が問題視され北朝鮮に入国はかなわなかった。「兄や家族の身に何が及ぶか考えると精神的にもボロボロでした。家族のドキュメンタリーを撮ることはもうないと思い始めた頃、母が少しずつ『4・3』の話を始めたのです」

米軍政下1948年4月3日、朝鮮半島の南北分断を決定づける南の単独選挙に反対し、済州島民が武装蜂起、武力鎮圧の過程で3万人近くの島民が犠牲となった悲劇だ。母は大阪で生まれたが、空襲が激しくなった45年、済州島へ避難、18歳で「4・3」に遭遇した。婚約者を失くし従兄弟や叔父が殺害される現場を目撃、幼い弟妹を連れて30キロの夜道を歩き、命がけで大阪行きの密航船に乗ったという。

映画のワンシーン。母が体験した「4・3事件」をアニメーションで再現した
©PLACE TO BE,Yang Yonghi

2018年4月、朝鮮籍コリアンの韓国入国制限緩和により、母は1回限りの許可証で渡航、「4・3」70年の追悼式に出席した。同行したヤン監督は母の重いトラウマを垣間見た。頑なに北を信じ続けてきたのはなぜか。借金をしてまで北の息子や家族のために仕送りを続けていたのはなぜか。韓国政府を徹底的に否定していたのはなぜか。母を責める気持ちにはなれなかった。

当初は短編を想定し証言を撮リ始めたという。長編に舵を切ったきっかけはヤン監督の結婚。かつての両親ならご法度だった日本人が相手で、「家族の物語」は新たな様相を帯びた。離れて暮らす娘に、母は滋養のつく手作りスープをいつも送ってくれた。その味はヤン監督と夫が引き継ぐ。タイトルには「思想や価値観が違っても一緒にご飯を食べよう、殺し合わず共に生きよう」という思いを込めた。

6月11日からシネマート心斎橋第七藝術劇場、東京はユーロスペースポレポレ東中野。ほか全国順次公開

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