素晴らしき THE GOOD-BYE の世界、野村義男&曽我泰久のツインボーカルは色褪せない!  音楽と真摯に向き合い深化させたサウンドを、再プレスされたオリジナルアルバムで体感せよ!

結成40周年を控えるロックバンドTHE GOOD-BYE

来年、結成40周年を迎えるTHE GOOD-BYEは、1983年、たのきんトリオの三番手、ヨッちゃんこと野村義男を擁するロックバンドとしてジャニーズ事務所からデビューした。つまりアイドル的な要素は強く、この立ち位置は、後の男闘呼組、TOKIOといった後進の道筋を作る。

しかし、THE GOOD-BYEの凄いところはそれだけではない。90年までの活動期間の中で遺したオリジナルアルバム9枚の中で、ミュージシャンとしての深化を遂げ、シングルの売上が主流だった時代にアルバムのセールスの方が好調だったという異端のバンドでもあった。

80年代の半ばを過ぎ、バンドブームという流れが起こっても、この波に飲まれることなく、独自のスタンスでコンスタントにアルバムをリリース。着実に自らの音楽性を高めていったという音楽家の集団でもあった。

野村義男が提示したデビューの条件

野村が望んだデビューの条件はツインボーカルだった。デビュー曲「気まぐれONE WAY BOY」は外部のソングライターへの依頼だったが、デビューから2ヶ月後にリリースされたシングル「涙のティーンエイジ・ブルース」から楽曲クレジットにはバンド名が記載。その後は、野村義男=曽我泰久(旧芸名)の名がクレジットされるようになる。さしずめレノン=マッカートニーだ。

そう、THE GOOD-BYEの背景にはビートルズという大きな幹があり、ハードロックやパワーポップというジャンルの良質な部分をフォーマットに日本のロックを開拓していった稀有なバンドでもあるのだ。

そんな彼らの音源が、長きに渡り生産中止という状況にあり、中古市場では、かなりのプレミアムがつき取引されていたという実情があった。評価されるべき音楽は、時代の流れとは別の部分で確実に誰かがディグして、感度の良いアンテナを張った人たちの間で広まってゆくものである。

再評価されるTHE GOOD-BYEの音楽

そんなTHE GOOD-BYEの現状を物語る興味深いトークイベント『祝!CD再プレス! 素晴らしきThe Good-Byeの世界!』が去る6月10日、渋谷LOFT HEAVENで行われた。

開演間近に入場すると、ほぼ満席状態で、ここでの彼らの根強い人気を感じ取ることができる。壇上に上がったのは、司会進行を務める音楽ライターの吉留大貴、大瀧詠一のブレーンであり、松田聖子「瑠璃色の地球」、井上陽水「少年時代」(陽水との共作)などの作曲者、THE GOOD-BYEのサウンドプロデューサーとしてバンドの成長を見守り、深化に貢献した川原伸司、そしてTHE GOOD-BYEのキーマン、ヤッチンこと曾我泰久。

トークショーと、THE GOOD-BYEの楽曲制作過程を解き明かしていくようなアコースティックセッションという、濃い時間が展開されていった。

トークショーの中で興味深かった発言は、川原の「バンドとは運命共同体。売れなかったらサヨナラというわけにはいかなかった」というプロデューサーとしての真摯な向き合い方、そして、「THE GOOD-BYEは、新しい音楽をやっているというバンドではなかった。普遍的なポピュラーミュージックを再現している。だから古くはならない」というものだ。

この二つのコメントこそが、THE GOOD-BYEの音楽性に深く貢献していると思わずにいられなかった。結成40年近く経過してからのTHE GOOD-BYE再評価も、この部分に依るところが大きい。

音楽制作に妥協なし!

60年代からの良質なポップミュージックを落とし込んだ独自性を、80年代、拡大した日本の音楽マーケットにどう響かせるか… もTHE GOOD-BYEの命題であったはずだ。そこには、ユニークかつ、普遍的な心情を核心的に捉えた野村の書くリリックも不可欠だった。

ソングライターでもあった曾我は言う。

「当時、ビクタースタジオのレコーディングは毎晩深夜まで臨んだ。遅い時間、いつも顔を合わせるのはサザンオールスターズだった」

―― と。つまり、テレビではアイドルとして笑顔を振り撒きながらも、音楽制作には妥協を許さず、とことん自らの作品と向き合っていたということだ。また、曾我によれば、サードアルバム『ALL YOU NEED IS… グッバイに夢中!』と続いてリリースした『4 SALE』からが僕らの本領だったと。そして、6枚目『#6 DREAM』から男性ファンが増えていったとも。

アイドルという一面も持ち合わせながら、好きな音楽と真摯に向き合い、コツコツとサウンドを深化させてゆくその軌跡を、再プレスされたオリジナルアルバムでじっくりと体感して欲しい。

アコースティックセッションのラストでは、ヒットナンバー「YOU惑-MAY惑」が奏でられた。川原が言うように、全く色褪せないメロディラインとポップミュージックの煌めきが内包されたその世界観は普遍的だ。これからデビュー40周年のアニバーサリーに向けてどんなサプライズが待っているのか楽しみでならない。

カタリベ: 本田隆

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