【コラム・天風録】背後から銃撃された安倍元首相

 やましさを表す「後ろめたい」はもともと、不安を意味する言葉だったという。諸説ある語源のうち、小学館の日本国語大辞典には「後方痛(うしろべいた)し」の古語が見える。目の届かない背後はかつて、心をさいなむものだったのだろう▲背後からの時ならぬ爆音に、脇にいた運動員が思わず首をすくめていた。あろうことか、安倍晋三元首相がきのう遊説先の奈良市内で41歳の男に銃撃され、命を落としてしまった。あまりの衝撃に、言葉が出てこない▲沿道をはみ出し、妙な構えをする男を私服警官が追い払う。そんな映像が事件後、ツイッターで流れた。銃に厳しい日本で「まさか」という油断が警備にあったのか。「今にして思えば…」と悔やんでも悔やみ切れないに違いない▲銃口を向けられたのは、民主主義でもあるはずだ。投開票をあすに控えている参院選のまっただ中である。思いもよらぬ一報に接し、街頭演説を控えた与野党の党首もいる。私たちの社会が負った深手は計り知れない▲首相在任中、安倍氏がこんな国会答弁をしたのを思い出す。「言論の自由が担保されることこそ、民主主義が生かされていく道ではないか」。その無念たるや想像するに余りある。

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