【Editor's Talk Session】今月のテーマ:“とにかく先に動く”がモットーの新感覚ライヴハウス、下北沢近松

Editor's Talk Session

2017年6月、下北沢Cave Beの跡地にオープンした下北沢近松。“新感覚ライヴハウス”というキャッチフレーズを掲げながら今年で5周年を迎え、現在はアニバーサリーライヴの真っ最中だ。今回は近松を運営する株式会社 近松の代表でありTHEラブ人間のメンバーである森澤恒行氏と、近松の店長を務める梅澤駿平氏をゲストに招き、“初っ端からバタバタだった”と語る近松の現在を訊いた。

【座談会参加者】

■森澤恒行さま
株式会社 近松代表。ロックバンド・THEラブ人間ではキーボードを担当する他、『下北沢にて』実行委員長、ライヴハウス・下北沢近松を運営。2017年には音楽レーベルTHE BONSAI RECORDSを立ち上げる。

■梅澤駿平さま
北海道出身、ライヴハウス・下北沢近松の店長。近松にてイベント『FAM』を主催。サーキットフェス『NEW LINK!』の主催のひとり。

■石田博嗣
大阪での音楽雑誌等の編集者を経て、music UP’s&OKMusicにかかわるように。編集長だったり、ライターだったり、営業だったり、猫好きだったり…いろいろ。

■千々和香苗
学生の頃からライヴハウスで自主企画を行ない、実費でフリーマガジンを制作するなど手探りに活動し、現在はmusic UP’s&OKMusicにて奮闘中。

■岩田知大
音楽雑誌の編集、アニソンイベントの制作、アイドルの運営補佐、転職サイトの制作を経て、music UP’s&OKMusicの編集者へ。元バンドマンでアニメ好きの大阪人。

直感で動いてから ビジョンが見えてくる

千々和
森澤さんはもともと下北沢近松の跡地である下北沢Cave Beで働いていて、2017年3月の閉店後に下北沢近松をオープンさせましたが、どんな経緯だったのでしょうか?

森澤
下北沢Cave Beで働いていたのは20代の2006年~2010年くらいで、THEラブ人間では月に10本くらい出ていた時期もあったんですよ。辞めてからも毎週のように顔を出しに行っているライヴハウスだったから、お店の流れは見てきていました。広島県出身なので、もともと上京する前は広島Cave Beにコピーバンドで出ていたこともあって、広島Cave Beの店長から“下北沢Cave Beをたたもうと思うんだけど、買い取らないか?”と連絡がきたんです。知らない人よりも知っている人に売りたいと。あとから聞いたらもっと高く売れたみたいですけど(笑)。

岩田
近松をやるにあたって雰囲気やコンセプトはどう考えていたんですか?

森澤
まずはスタッフが働く環境を整えたいと思いました。会社の若手育成や若手のバンドを育てて、THE BONSAI RECORDSというレーベルもやっているので、そこと連携させるような挑戦を今もやっているところです。

梅澤
僕は『下北沢にて』(THEラブ人間が主催のライヴイベント)のスタッフをやるようになったのがきっかけで近松で働くことになったので、最初はイベント制作について右も左も分からない状況でした。とにかく自分がいいと思ったアーティストを呼んで、どうしたいかを考えるよりも先に動き出さないといけない状況で。

森澤
うちの会社はとにかく動くっていうのが先なんですよ(笑)。直感で動いてから何となくビジョンが見えてくるというか。例えば『下北沢にて』の開催中は下北沢の商店街にフラッグを飾っているんですけど、それもやりたいと思ってとりあえず動いてみたら、商店街の今の会長とつながって、仲良くしているうちに商店街の理事をやることになっていて。そういう例を挙げたらいっぱいありますね。

千々和
その社風があるからこそ、近松はオープンしてからの5年間でいろんなことをやられていますよね。そもそもCave Beの閉店から3カ月後にオープンしていますし、その短期間でバーカウンターや床が変わっていたり、壁の色も黒から白になっていて、すごく雰囲気が変わっていたのが印象的です。

森澤
ライヴハウスをやることが決まる前に下北沢にあるSTUDIO FAMILIAの内装を考えたことがあったんですよ。そうしたら『Shimokitazawa 1/10』というコンピレーションアルバムを作っていた時にデザイン周りでお世話になった方がSTUDIO FAMILIAの内装を担当してくれて、近松の内装はそこでの経験が発想の原点になっています。とはいえ、お金はなかったので、自分たちで壁を壊したり色を塗ったりと、できることはセルフでやっていたら、オープンの2週間前にスタッフ全員から辞めたいと言われて…。

千々和
梅澤さんもですか?

梅澤
はい(笑)。結局はそこで辞めた人はいなかったんですけど、Cave Beからの引継ぎ業務もしつつ、3カ月後のブッキングをしながら、自分たちで壁を壊して色を塗って、さらにドリンクの作り方やアルバイトの募集も始めて…ってとにかく忙しくて、やることの振り幅が信じられないくらいにあったんですよ。3カ月が激闘すぎて、その頃の記憶がないです(笑)。

千々和
その甲斐があってだと思いますが、内装が変わったことによってアコースティックライヴも映えますし、トークライヴの時には落ち着いた空間ができていて居心地が良いいです。また、近松は『広島つけ麺 ひこ』の下北沢店としても営業されている日もありますが、それはこの内装の清潔感あってこそだと思います。緊急事態宣言が発令されてライヴイベントができなかった時にはデリバリーもやっていましたよね。

森澤
『ひこ』の広島店で働いていたスタッフがいるのがきっかけで、僕もツアーで広島に行ったらよく食べていたお店なんですけど、オーナーがすごくいい人で良くしてくれたんですよね。2020年4月から秋くらいの頃は自分たちでビラを配って、つけ麺を作って、チャリを漕いで届けていました。梅澤は下北沢から恵比寿まで走っていたよね(笑)。

梅澤
そうですね。吉祥寺にも行きました。

千々和
電車を使ってもいい距離ですね…。コロナ禍の影響もあると思いますが、5年間でこんなに大変なことに足を突っ込んでいるライヴハウスはなかなかないと思います。

森澤
コロナ禍で休むという選択肢もあったはずですけど、近松はまったく休んでいなかったですね。ほぼつけ麺屋さんでしたけど(笑)。

他のライヴハウスが あえてやらないことに挑戦する

千々和
この5年間での近松のトピックスを挙げるとすると何ですか?

森澤
まだまだライヴハウスの中で後輩ではあるんですけど、いろいろありましたね。それこそCave Beを買い取ることになった時点では、ライヴハウスの経営のことが何も分からなかったから保証金がかかるのも知らず、急いで資料を作って銀行に駆け込みました。初っ端からそんな感じでバタバタで(笑)。

岩田
オープンしてから3年が経った2020年10月に店長が森澤さんから梅澤さん変わったのは、近松としての手応えもあったからこそですよね。

森澤
軌道に乗ってきたところでコロナ禍になってしまったんですけどね。ちょっとバカみたいな話ですけど、梅澤を慕ってつけ麺を注文してくれる人が多かったんですよ(笑)。まぁ、それは半分冗談ですけど、ブッキングは任せるようになっていたので、本当は自分もやりたいけど、自分がやれることにも限界があるし、若手に任せたい気持ちがありました。僕も梅澤も人と出会って、人に救われているタイプなので、やっていったらいろんな人が助けてくれる店長になるんじゃないかと思ったんですよね。

梅澤
本来ならライヴハウスで働き始めてからブッキングを担当するまでに数年かかると思うんですけど、うちの場合は経験ゼロの状態からブッキングを始めて、3年後には店長をやらせてもらっていて。そういう意味ではいろんなことにチャレンジできるライヴハウスであり、やりたいことをやらせてもらえる会社だと思います。何本もイベントを組んでいると出演者が前日に決まることもあるんですが、一度決めたことは最後までやるっていうのが近松のスタンスですね。

森澤
傍から見ていても、やっぱりまだ若手なので全然人が入っていない日のほうが多いんですよね。でも、“えへへ”って言いながらやるしかない時もあると思っています。7月31日の近松のアニバーサリーイベントの最終日に出てくれるw.o.d.というバンドは梅澤が一年目から観ているバンドで、酒しか飲まないし、ガラガラのライヴハウスでやっていた時期を僕も観ていて。“大丈夫か?”と思っていたこともありましたが、31日のチケットは即完売しているんです。それは梅澤が地道にやってきたことのひとつの成果なのかなと。

千々和
店長の梅澤さんから見た今の近松の特徴って何ですか?

梅澤
近松で働くスタッフは地方出身ばかりなんですよ。ツネさんは広島ですし、僕は北海道で、群馬や宮崎、鹿児島出身の人もいて、わりとみんなマイペースなんですよね。それにライヴハウスで働くこと自体が初めてのスタッフのほうが多くて。近松は“下北沢の新感覚ライヴハウス”と言っていますけど、それは他にできないから新感覚なのではなく、他のライヴハウスがあえてやらないことに挑戦するっていうことだと思っています。まだまだ教わることばかりではありますが、出会った人を大事にしていくというのを心がけていますし、そこは今後もぶれずにやっていきたいと思います。

近松が生活の一部みたいに なってくれたら

石田
下北沢って独特なシーンがあると思うんですけど、地方出身のおふたりが思う下北沢の魅力とは何ですか?

森澤
先日、若手のバンドと話していた時に、“自分たちの同級生は社会人1、2年目で頑張っていて、それがその子たちの当たり前だけど、下北沢にいると24歳になってもまだバンドをやっていることが当たり前の環境になってしまう”と言っていて。確かに下北沢は音楽が好きな人が集まっているし、良くも悪くも好きなものを追い求めることが日常化できるんですよね。30歳になっても、40歳になっても、社会で一般的な流れに乗らなかった人がいて、何かを模索しながら追い求めている街だなと思いました。歩いていたら曾我部恵一さんがいるし(笑)。真似するわけじゃないけど、好きなことをやってもいいんだって感覚になるんですよね。

石田
梅澤さんは北海道から上京してきて近松で働いているってことは、ずっと下北沢にいるんですよね。

梅澤
そうです。地方ではひとつのイベントにジャンルがごちゃまぜでいろんなアーティストが出ていることがあるんですけど、下北沢はライヴハウスによって“このジャンルならこのライヴハウスだよね”っていうのが分かると思うんですよね。だからこそ下北沢の音楽シーンはひと括りにできない面白さがあるし、いろんな人が交ざり合える街なのかなと思います。

石田
そんな下北沢でどんなライヴハウスになっていきたいと思っていますか?

梅澤
僕は音楽やライヴハウスが好きで、裏方で働きたいと思ってこの環境に足を踏み入れたので、お客さんにもアーティストにも“ライヴハウスを楽しんでほしい”という気持ちがずっとあります。アーティストには音楽をずっと続けてほしいですね。もちろん売れてほしいとか、お客さんが入ったら嬉しいという想いもあるんですけど、近松に来てくれる人がずっと音楽を好きでいてくれるように向き合っていたいと思います。

森澤
出ている人も裏方で支える人も、それぞれがうちを選んでくれるってことが大事な気がします。何となくでも近松に出よう、行こうって思ってくれて、音楽が身近なものになれば楽しいと思うし、近松が生活の一部みたいになってくれたら面白いのかな? それこそ、THEラブ人間が毎週Cave Beに出ていたみたいに。正直言って、5周年って言われるまでは意識していなかったんですよ。まだ全然なので語れるようなことはないけど、あえて言うなら“もっとどんどんやっていこう!”ってことだけですかね。まだ足りないので!

下北沢近松

下北沢近松 オフィシャルHP

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