民芸品と聞くと、どんなものを思い浮かべるでしょうか。
民芸品とは日常生活に必要なものを、つかやすく長くつかってもらうためにつくられたものです。
毎日つかうからこそ、つかいやすさが追及され、用の美という言葉が生まれました。
当たり前に思える道具ひとつをとっても、今の姿になったのには理由があるのだとか。
日本文化と生活をつなぐ民芸品のお店、「手仕事の店 倉敷民芸」を訪ねました。
手仕事の店 倉敷民芸とは
阿智神社西参道入口から、美観地区に向けて少し歩くと、右手に趣のある佇まいのお店が見えてきます。
お店の名前は手仕事の店 倉敷民芸(以下:倉敷民芸)。主に木と竹の民芸品を扱うお店です。
開業は1980年1月1日。今年(2022年)で開業43年目を迎える店内には、店主が職人さんを訪ね集めた品が並んでいます。
もとは、本通り商店街の別の場所ではじまった倉敷民芸。
開業から10年経ったころ、知人から譲り受けた現在の場所へ移転しました。
茶褐色の腰壁と白い壁の建物がつづく商店街。そのなかでもひときわ堂々とした看板と外観が、訪れた人々を迎えてくれます。
お店入り口の両側にある窓には、倉敷代官所でつかわれていた武家格子が再利用されているのだそう。
お店の外装をリニューアルする際、廃棄予定だった武家格子をつかってほしいという声があり、現在の姿になりました。
歴史を紡いできた武家格子のお話が、長くつかわれるように出会いを待っている民芸品のお店をより趣深くしています。
店主の目利きと知識であつめられた民芸品
店内のようす ~ あちこちで出会いを待つ民芸品たち
店内に入ると、汁椀(しるわん)や箸などのなじみ深い日用品が出迎えてくれます。
親しげな器の表情を思わずじっと見つめた後、店内を見渡すと、左手に台所で活躍するキッチンツールが見えました。
整然と並んでいるようで、ひとつひとつがまったく違う表情を見せてくれるので、ここでも商品を見つめてしまいました。
節の位置や色味など、手に取ればきっと自分だけのものが見つかるという気さえします。
キッチンツールの向かい側には、木製のカップがありました。
漆器の色味を楽しめるものもあれば、木目が面白いものも。
優しい稜線(りょうせん)や波打つような細かい畝(うね)は、持ちやすそうだなと感じさせてくれます。
それと同時に職人さんの手仕事の細やかさが思われ、思わず声がこぼれました。
店内をぐるりと見渡した最後には、レジ前に陳列された曲げわっぱに目が留まりました。
曲げわっぱの二段重を見たのは初めてで、思わず目が点になります。
木でこんなにもきれいな曲線が描けるのは、まさしく職人技だ!と感嘆したのでした。
職人技!と、うなりたくなる品は他にもあります。
山ぶどうのカゴバッグ
倉敷民芸で人気の商品といえば、山ぶどうのカゴバッグ。
ひとつひとつ手仕事でていねいにつくられる品は、100年つかえるのだそう。
山ぶどうのカゴバッグをつくるのは、もともとは寒さの厳しい北国での冬の手仕事だったそうです。
つかわれている山ぶどうの蔓(つる)は、寒冷地で育ったものでないとうまく編めないのだとか。
編み方も、さまざまなものが並んでいました。
以前、筆者の子どもが通っていた保育園の先生がたが、藤の花の蔓をつかってクリスマスリースの土台をつくってくれていたことがありました。
園庭に毎年咲く藤棚を再利用したものです。
乾き過ぎれば堅くなって扱いが難しくなるんです、と保育園の先生が話してくれたことを思い出しました。
改めて、目の前の規則正しい編み目に魅了されます。
100年つかえるものをつくる人がいるとすれば、わたしたちは親子代々でつかい、長く後世へ伝えたいと感じました。
木の器
店奥に、木の器が並ぶスペースがあります。
木の質感をそのまま魅せた白木の器と、仕上げ塗装が施された器。
どちらも同じ木の器ですが、仕上げ方によってこんなにも表情が違うのかと驚かされます。
同じ汁椀でも、つかわれた木の部分が違うため、木目がまったく違うのが見てとれます。
実は、趣味が高じて木でお皿をつくろうとしたことがあるのですが、とても普段づかいになるようなものには仕上がりませんでした。
木というのは、節目があったり木目の向きがあったりして、同じように彫れないこともよくあります。
ざらざらの木肌が、手に触れても気にならないところまで磨き上げるには、機械をつかったとしても力と時間が必要です。
陳列された汁椀の縁は、口元に合わせてか、ふんわりと丸く整えてありました。
ひとえに、つかいやすくするために力と時間をかけて受け継がれてきた、職人さんのこだわりを垣間見た気がします。
日本で古くからつかわれていたのは、木の器なのだそうです。
木の器でなければ、できたてのものを入れた器を持ち上げたり、直接口をつけたりする日本特有の食事マナーはなかったかもしれません。
軽くて、持ちやすく、冷めにくいという多機能な点が木の器、ひいては民芸品の魅力だといいます。
あらためて、民芸品の魅力やそれぞれの品に関わる逸話などについて、店主の野嶋雅弘(のじま まさひろ)さんに聞きました。
職人のこだわりを知って、長くつかい続けてもらいたい。倉敷民芸店主・野嶋雅弘(のじま まさひろ)さんへインタビュー
木の器から民芸品へ
──開業の経緯を教えてください。
野嶋(敬称略)──
自営をしていた祖父の影響もあってか、はじめから商売がしたいと思っていました。
大学で経営学を学び、仕事のリサーチを兼ねて広告店に二年半ほど勤めた後は、木を扱う仕事をするためにアルバイトをしながら勉強を重ねたんです。
もともとは木のものを扱いたかった。
そして木のものでも、生活でつかうものを扱いたいという思いで、お盆や木の器を扱い始めたところ、日本で古くからつかわれていたのは木の器だったと知り、自分のなかに日本人の遺伝子が組み込まれているんだなぁと納得したのを覚えています。
その後、夏には竹の品を扱ううちに民芸品にたどり着いたという感じです。
──店内の品はどのように選んでいますか。
野嶋──
日用品であるということ、つかってもらえるものであるということで選んでいます。
いいものをたくさん見た方がいいと教えてくれた人がいたので、まずは言われた通りにたくさんいいものを見ました。
そのなかで、この人がいいなと思ったら、直接職人さんを訪ねています。
直接話を聞かせてもらいながら、職人さんのこだわりや品が、自分の感性と合うことを意識して選んでいます。
つかい方は見立ての数だけある
──お店や商品への思いを教えてください。
野嶋──
民芸品は自然の素材からできているので、経年変化を楽しむことができます。
どの商品にしても、長くいろいろなつかい方をして、自分のものに育ててもらいたいと思います。
民芸のもともとの考え方に、見立てというものがあります。見立ての文化といいます。
たとえば、あるものを何か他のものに見立てて違うつかい方をしたりすると、あなた見立てがいいわね、なんて褒められたりする。
面白いのは、展示されている民芸品には作者は書いてあっても、あえて用途が書かれていないことなんです。
民芸品にはもともとのつかい方がもちろんあるわけですが、そこに捉われず、生活のなかでいろいろな見立てをして違うつかい方を楽しんでほしいですね。
──来店されたかたと、商品についてエピソードがありますか。
野嶋──
来店されたかたには、商品ができたきっかけや職人さんの工夫などをなるべくお伝えするようにしています。
たとえば、お盆をつくる職人さんは、お盆はお皿というつもりでつくっています。
そのため、お盆は中心に向かって必ず少しだけくぼませてあるんです。汁物などがこぼれないように。
みなさんが知らないようなこういう話を職人さんから聞くと、言いたくなっちゃうんです。
あんまりへこますとお盆として機能しなくなるから、プロは微妙にへこますんです。
お盆のつくりは昔から中心をくぼませるようになっているそうなんですが、なぜそうなっているのかは職人さんも知らなかったりする。
お盆とはそういうものなんだ、ということなんですが、こうした薄れてきている知識を伝えると、聞いたかたは感動してくれるんです。
商品の成り立ちの話で言えば、白いご飯をよそう器のお話をすることが多いです。
ご飯をよそう器は、なんと呼びますか?茶碗ですか?
正確には飯椀(めしわん)といいます。
以前、職人さんを訪ねた際、茶碗をつくっている、と表現したら、職人さんに「わしは今まで茶碗をつくったことはない」と言われたことがありました。
茶碗はあくまでお茶を飲むもので、ご飯をよそうのは飯椀だと、そのとき初めて知ったのです。
そのときから、当たり前に思っていたことをいろいろな角度から見るようになりました。
ものの名前を見るとき、これはこの名前でいいのか、こういうやり方でいいのか、という具合です。
日本には見立ての文化というものがあり、本来のつかい方とは違うつかい方を楽しむことが得意ですが、お客さんにはもともとの成り立ちや長く伝えられてきた職人さんの工夫を知ってもらうことも大事にしています。
──今後の抱負を教えてください。
野嶋──
とにかくつかってもらうことです。買って、つかってもらう。
そうでないと、職人さんが育たない。
伝統のあるものを残すためには、買ってつかってもらわないといけないと思っています。
それが最大の目標かな、と。
つくり手とつかい手を結ぶ
野嶋さんのお話は尽きません。
”職人は、木枠をつくるときに木の膨張や収縮を考えてわざと隙間を開けてつくるんですよ。”
お店のショーケースの木枠をとんとんとたたきながら、教えてくれます。
陳列されている器をひょいと持ち上げると、この形になったのは、作家さんが豆菓子を食べるのにちょうどいい器を作りたかったからなんです、とエピソードがこぼれ落ちます。
あふれ出る知識は、職人さんを直接訪ね、職人さんのこだわりや器の成り立ちを知る野嶋さんだからこそ。
木に関する知識も加わり、話の舞台は日本全国に広がります。
そのひとつひとつが、日ごろは通り過ぎてしまいそうなちょっとした疑問を解消して、なおかつ日本文化の渕まで案内してくれるかのようでした。
民芸品としてできあがったものには、理由があり、意味があることを知ってほしい。
知ったうえで生活に沿ったいろいろなつかい方を楽しみながら、長くつかって道具を育ててほしい。
たくさんのお話のなかでも、終始そんな思いが貫かれているように感じました。
お店にお邪魔したことで、俄然生活に取り入れたくなった民芸品ですが、ただ買うだけではもったいない!
倉敷民芸を訪れる際には、ぜひ野嶋さんに道具の成り立ち、職人さんのこだわりを聞いてみてください。
当たり前だと思っていた日常に、日本文化の歴史という味わいが加わるかもしれません。