広島原爆忌 95歳、消えない痛み 神奈川・遺族代表の元看護学生

平和記念式典に参列した鈴木さん=広島市中区

 力を振り絞り、この日、広島の地に身を置いた。平和記念式典に参列した都道府県遺族代表で最高齢の鈴木郁江さん(95)=座間市=は6日朝、原爆死没者慰霊碑前で手を合わせ、涙を拭った。若くして命を奪われた友人や姉に祈りをささげ、戦争も核兵器もない世界を訴えるために。 

 77年前の8月6日は、爆心地から1.6キロ離れた広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)の看護学生だった。17歳で故郷の広島県世羅町を離れて同病院併設の養成部に進み、2年目の夏。院内で流行した赤痢にかかり、宿舎に隔離されていた。

 朝、隣のベッドの親友と話していたら突然、写真のフラッシュのような光を受けた。気がつくと、真っ暗ながれきの中だった。懸命に体を動かし、隙間から差すわずかな光を頼りに外へはい出した。

 「助けて」と泣き叫ぶ声、焼けただれた人、「水をくれ」と言って倒れていく人たち─。「日赤だから何とかしてもらえると思って来た人たちが、もうどうにもならない状態だった」。自分自身も顔が血だらけで、体を支えるので精いっぱいだった。

 夜、ふらふらになりながらも親友を探して歩き回ると、あちこちで山積みの遺体が焼かれ、体内のリンが燃えた青い炎が「ポロリ、ポロリ」と飛んでいた。

 怖さも何も感じなかった。この世の光景とは思えなかった。「これは誰に話しても分かりません。被爆した者同士が『あの時は…』と言っても、言葉が続かないんです」

 隣にいた親友は亡くなった。顔に傷を負い、後に自ら命を絶った友人もいた。

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