前方後円墳、小田原の建設現場で発見 3世紀末築造 保存か住宅着工か

小田原市内で初めて発見された前方後円墳。右側が土の盛られた墳丘で白線で囲まれたのは古墳を囲む周溝=同市城山

 古墳時代初期(3世紀末)に築造されたとみられる前方後円墳が神奈川県小田原市内の住宅地で発見され、16日に報道陣向けに公開された。同市内で前方後円墳の発見は初めてで、県内でも海老名市の秋葉山3号古墳に次ぐ2番目の古さといい、専門家は「ヤマト王権成立直後の3世紀末の時点で、その勢力圏が神奈川まで及んでいたことを示す重要な証拠」と解説する。

 前方後円墳は今月7月、同市城山の住宅建設現場で、市が発掘調査中に発見。約120平方メートルに土が盛られた墳丘部分と古墳の周囲に掘られた幅4メートルほどの周溝が確認された。

 古墳は全体で幅25メートル、縦35メートルの規模と推測され、発見されたのはこのうち2割程度とみられる。墳丘部分は削り取られ、ひつぎなどは発見されなかった。当時の小田原について文献史料はなく、具体的な埋葬者は不明だが、ヤマト政権とつながりの強い地元の有力者とみられる。

 遺構内では底に穴を意図的に開けた底部穿孔(せんこう)土器も出土。当時は祭祀(さいし)用の土器を墳丘の上に並べて被葬者を守り、後に埴輪(はにわ)の原型となったとされ、東海大学の北條芳隆教授の調査で日本最古級とされる箸墓古墳(奈良県)とほぼ同時期の3世紀末の築造と判明したという。

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