【Editor's Talk Session】今月のテーマ:神戸に新ライヴハウスPADOMAがオープン!

Editor's Talk Session

兵庫県神戸市を代表するライヴハウスのひとつであるLive House ART HOUSEが2022年7月をもって閉店し、9月に神戸市内の新たな地でlive music club PADOMAとしてオープンする。今回は元ART HOUSEのオーナーでありPADOMAの店主となる西本昇平氏を招き、ART HOUSEの歴史を振り返りながら、引き続き同じスタッフで開く新ライヴハウスへの意気込みを語ってもらった。

【座談会参加者】

■西本昇平
1996年からART HOUSEのブッキング担当として勤め、2006年に前任のオーナーより引き継ぎ独立。22年9月よりPADOMAの店主となる。お酒がガソリンの超楽観主義者。

■石田博嗣
大阪での音楽雑誌等の編集者を経て、music UP’s&OKMusicにかかわるように。編集長だったり、ライターだったり、営業だったり、猫好きだったり…いろいろ。

■千々和香苗
学生の頃からライヴハウスで自主企画を行ない、実費でフリーマガジンを制作するなど手探りに活動し、現在はmusic UP’s&OKMusicにて奮闘中。

■岩田知大
音楽雑誌の編集、アニソンイベントの制作、アイドルの運営補佐、転職サイトの制作を経て、music UP’s&OKMusicの編集者へ。元バンドマンでアニメ好きの大阪人。

ART HOUSEが変わった きっかけは自販機!?

千々和
ART HOUSEはどんなライヴハウスだったのでしょうか?

西本
1985年からやっているので今年で37年目、老舗と言えば老舗のライヴハウスで、エレベーターなしの3階です(笑)。ツアーで使ってくれるアーティストさんもいつつ、地元のアーティストを主流に支えてもらっていました。僕が働くようになったのは二十歳の時だったので、ART HOUSE ができてから11年が経った1996年。それから30歳のタイミングで前オーナーから権利を引き渡してもらって、独立してからは16年が経ち今に至ります。

石田
95年に阪神・淡路大震災が起こりましたが、被害はどうだったんですか?

西本
周りはもうほぼ更地になっていたんですけど、なぜかART HOUSEが入っているビルだけは残っていたんですよ(笑)。震災があったのは僕が高校3年の時だったんですが、それから一年経たずくらいでART HOUSEはライヴをやっていた覚えがあります。今でこそ三宮界隈にもライヴハウスがありますけど、震災でチキンジョージさんも更地になってしまったので、一時はART HOUSEしか出られる場所がなかったかもしれないですね。あの頃は“復興するぞ!”というパワーが凄まじいくらいにありました。

千々和
その時代はどんなジャンルのバンドが流行っていたのでしょうか?

西本
自分らはうるさいロックをやっていたし、当時の神戸はめっちゃパンクシティだったので、対バンはイカついパンクバンドばっかりでした。パンクバンドに囲まれて怖かったっていうのもありますけど、学生上がりですし頑張ってお客さんを呼んでいたんですよ。そうしたら人の入らないおじさんのパンクバンドに無理やり当てられて、一応オープニングアクトみたいな感じで出るんですけど、おじさんたちに“おい、お客さんを返すなよ”って強要されて、バンドって厳しいなと思っていました(笑)。そんな日ばっかりやったけど、知り合ったバンドのライヴを観に行くと、パンク以外にもちょくちょくロックバンドみたいなのがいるんですよ! “何でここらへんのバンドを当ててくれへんのやろ?”と思って、自分で毎日のようにART HOUSEに足を運んで、出演していたロックバンドに自分たちのデモを渡してブッキングを切り出すようになったんです。それを当時のオーナーが見ていて、ART HOUSEのブッキングマネージャーが辞める時に僕に声がかかったというオチですね。もうね、その頃のART HOUSEはほぼ8割方がパンクバンドで(笑)、毎日のように喧嘩が起こっている状態でした。同年代で頑張っていたバンドがステージに物を投げ込まれて、1曲目で帰っていくなんてこともありましたから。

千々和
西本さんはそんな状態のART HOUSEで二十歳の時に働き始めたと。

西本
ええ。ドリンクカウンターに出演者が入ってきて、勝手にドリンクを作って飲むということもざらにあったんですよ。箱には一切お金が入らないんですけど、僕は二十歳で後輩も後輩なので、相手からしたら“お前には何も言われたくない”という状態じゃないですか(笑)。そんな治安の悪さがあまりにも嫌だったので、ドリンクカウンターをやめて、5年くらいは自販機に変えました。結果、素行の悪いバンドには見切られて過疎化したんですけど、それ以降は普通のロックバンドが集まるようになりましたね。

千々和
時代的にも90年代は歌モノが増えたという影響もあるかもしれないですね。

西本
あぁ、確かにそのタイミングだったかもしれないですね。僕は完全に自販機の効果だと思っていましたけど(笑)。“地元のバンドに目をつけられたら、もう関西でライヴできないから”って上京して全国的に有名になったバンドもいたので、新しい芽が出にくい時代ではあったと思います。80年代が俗に言うバンドブームですけど、90年代もバンドが多くて、昔ながらのパンクバンドに愛想を尽かされてからは、独自にロックバンドをブッキングしていきました。当時は三宮の“パイ山”と呼ばれているサンキタ広場でストリートライヴができて、現アルカラや大石昌良のSound Schedule、倭製ジェロニモ&ラブゲリラエクスペリエンスとか、のちほど目立っていく子もそこでライヴをやっていたんですよ。パイ山には人が集まるから、とりあえずそこでストリートをやればライヴハウスでもお客さんが呼べるようになるっていう文化に支えられたところもありますね。

石田
ちょうどゆずが出てきた時期だから、ストリートライヴが活動のメインになっているような子らもいましたしね。

西本
そうでしたね。今はパイ山もきれいになっていて、もうストリートライヴはできなくなったんですけど。楽器屋さんがストリートライヴ用のセットを売るようにもなって、コピーバンドが練習に使ったり、早くから場所取りをやっていたり、ポイ捨てとかのマナー違反が目立ったりと、仲良くワイワイやるような感じではなくなってしまいましたからね。

歴史あるART HOUSEから 気持ちを新たにリスタート

千々和
今となってはその時代を知らない方もART HOUSEで働いているわけですよね(※取材時は7月)。

西本
そうですね。もう伝説みたいな感じなんで、誰も信じてくれないんですよ(笑)。でも、閉店の流れで、僕よりも前からART HOUSEに出ていた方々が出てくれる機会もあって、その方のMCは僕がずっと言っていたことと同じ話もあるので、それを聞いて“あの西本の話ってほんまやったんや!”ってなっていました(笑)。

千々和
閉店前最後の一カ月のイベントは本当にさまざまなアーティストが出ていますよね。

西本
毎日ついて行くのに必死ですけど、本当に楽しくやっています。

石田
それは閉店するとはいえ、もう次が決まってるから“これで終わってしまう”という悲壮感がないからですよね。

西本
あははは! そうですね。感受性豊かな方は泣いてくれるので複雑ですけど(笑)。

千々和
新店PADOMAの準備はART HOUSEの閉店が決まったのと同時に始めたんですか?

西本
はい。実際のところは立ち退きが決まる前に物件を探し始めて、PADOMAの物件に出会ったんですよ。僕は今40代なので、50歳を超えてから今のビルを立ち退いて、そこから新たに勝負はできないと思って、自主的に“退きます”って感じになったんですけど。

石田
ART HOUSEの移転ということで、名前を引き継ぐことは考えていなかったんですか?

西本
もともと前任のオーナーが考えた名前で、“電話帳の先頭にくるように”というのもあったんですよ。それから時代も変わったし、今では逆に“ART HOUSE”だとネットで検索しにくいことや、未だにパンクブームの時のイメージがついている方もいますし(笑)、“こういうバンドは出るべきではない”とか“出たほうがいい”とかのカラーをリセットしたかったという気持ちもあって。移転してリスタートした時に“ART HOUSEって最近また名前を聞くようになったけど、今も頑張ってるんかな?”ってなるのと、新しい名前で“神戸にこんな箱あったっけ?”というのでは、知ってくれた人の探求心が全然違うと思うんですよね。だから、分かりやすく新しい店舗を気にしていただくっていう意味合いと、自分のお店としても初めてなので、別の名前にしました。

岩田
では、新店の“PADOMA”はどんな想いでつけた名前なんですか?

西本
SNSでの検索にも引っかかりやすいようにというものありつつ、“パドマ”は蓮の花のことで、本当は“PADMA”と書くんですよ。たまたまスタッフが“PADOMA”と間違えてメモに書いていて、“その“O”の部分に、西本さんが考えていたロゴを入れたらいいんじゃないですか?”という案が出て“ええやん!”となりました(笑)。お店の名前が入ったバックドロップをステージにドーン!と掲げるっていうのが、僕はどうしてもできないんですけど、動画とかで観たらすぐに“ここのライヴハウスや!”となるのはいいなと思っていたんですよね。だから、PADOMAのステージはネオン管でロゴを作って光らせたいと考えていたりします。

岩田
となると、ART HOUSE とPADOMAは見た目の印象も結構変わりそうですね。

西本
まずPADOMAの入口が独特で、森みたいな見た目で象のモニュメントが二体置いてあるんですよ。その時点で“お洒落やん!”と言ってくれる人もいます。あと、僕はタイが好きなので“西本っぽいところやな”と言われているので、内装もお洒落にしないあかんなっていうプレッシャーを感じています(笑)。

いろいろ挑戦できる 箱を目指したい

千々和
PADOMAではそういったお店の雰囲気以外にどんなことが変わっていきそうですか?

西本
引き続き地元のアーティストにも密着していきたいというのは変わらずにあるんですけど、そもそもART HOUSEはエレベーターなしの3階だったので、今までイベンターさんにイベントを組んでもらっても、アーティストさんにまた来てもらいにくいというのは自分でも分かっていたんですよね。イベンターさんが間で取り持って初めましてのアーティストさんが出てくれても、いざライヴハウスに着いたら3階まで自分で機材を運ばないといけないなんてあり得ないでしょ? そのためにアルバイトを雇うにしても赤字になるから、もうそこは割り切ってやってきたんですけど、PADOMAは1階なのでそのへんは新しく挑戦できることがあると思っています。どうなっていくかは実際に営業を開始してからでないと分かりませんけど、ワンマンからスリーマンくらいで知名度のあるアーティストさんのブッキングも意欲的に入れているところです。地元のアーティストのブッキングも分散させて日を埋めるのではなく、一日にギュッと詰め込んで濃厚にしていきながら、神戸を盛り上げていきたいですね。

千々和
前回、2020年9月の座談会に参加していただいた時は、ART HOUSEで定額制のオンラインファンクラブ・AHOを始めた頃でしたが、今後の展開はどうなっていくのでしょうか?

西本
AHOではサイトを多言語化して、海外に向けて日本の音楽を発信するというのをやっていきます。海外には日本の音楽文化に興味を持っている方もいるし、コロナで旅行もままならないので、そうやって発信していくスタイルに変わっていく予定です。日本で配信ライヴを観る時って、だいたいは“このアーティストが出ているから観よう”って流れだと思うのですが、海外の方はもっとフラットに興味を持ってくれると思うので。そこからどう広げていくかというのは問題ではありますけどね。僕は年に一回、慰安旅行と題してスタッフも一緒に海外に行っていて、もともと海外旅行が好きなので、“独自で発信できることって何やろ?”って考えていたりはします。

千々和
AHOではART HOUSEやPADOMAに出ているアーティストを中心に発信していくと思いますが、西本さんから見て今の神戸のシーンはどんな印象ですか?

西本
相変わらずギターロックやオルタナ系のバンドが出演を希望してくれる機会が多くて、音楽的に最近の傾向を実感することはあまりないんですけど、真面目な人が多い気がしますね。煙草を吸わなかったり、お酒じゃなくソフトドリンクで、ライヴ後はちゃんと帰宅するみたいな。セックス・ドラッグ・ロックンロールの真逆というか。まぁ、コロナの影響もあるとは思いますけどね。

千々和
関東でも似たところはありますね。数十年前よりもライヴハウスが安全な場所になったというのも大きいと思います。

石田
昔はライヴハウスの人がバンドの打ち上げについて行って、こと細かくダメ出しをするっていうのがありましたけどね。

千々和
今はダメ出しがきっかけでその場で喧嘩になるよりも、あとからSNSで“こんなことを言われた”と拡散されて、変な方向で広まるリスクもありますから(笑)。

西本
それもあるかもしれませんね(笑)。あと、今のアーティストは上手な人が多いですよ。若手は基本的に下手くそなところから始めていくのに、そんなに場数を踏んでいなくても、すでにクオリティーの高い人が多いです。

千々和
持ち曲が少ない状態でライヴに挑むというより、曲を配信したり動画をアップして、そこで反響を得てからライヴをするアーティストもいるので、ネットが第一関門になっているのかもしれないですね。

西本
笑えるくらい下手なライヴもそれはそれで観たい気持ちはありますけど(笑)、目も当てられないくらいに下手なバンドって見なくなりましたよね。そもそもライヴをするアーティストの数も全体的に減っているような気がします。少子化も前々から言われていましたけど、集団で何かをすることを嫌う人もいるし、ソロとか宅録で完結することもできますからね。

石田
バンドを従えず、パソコンでバンドサウンドを流してひとりでステージに立つ人もいますからね。

千々和
いい意味では、人づき合いが苦手な人も音楽ができる時代ですよね。ART HOUSEでのお客さんの様子はどうでしたか?

西本
閉店の流れも相まって人がたくさん遊びに来てくださり、終始みんなが楽しんでいる光景を見ることが多かったので、イレギュラーではありながらも一時のコロナ禍よりは人が戻ってきている実感があります。ライヴハウスがやたらビビられるというのは少なくなってきたと思ったり。

千々和
少しずつ上向きになっていると感じる時はありますね。東京の池袋Admではセカンドドリンクのオーダーが100杯を超えたら「マツケンサンバ」が流れて、その間はドリンクが無料になるんですよ(笑)。そんな楽しいことをやっているところもあるので、まずは足を運んでいる人たちだけでも盛り上げていけたらいいなと思います。最後に、9月からのPADOMAのオープンに向けての意気込みをお願いします!

西本
自分の手で探して決めたので、いろいろ挑戦できる箱っていうのを目指したいと思っています。今までも音楽に携わってきたから音楽はもちろんですけど、ダンスとかお笑いとかいろんなことができる場を作りたいですね。どんなかたちで音楽と交えるのかを考えつつ、幅広くやっていけるようになったらいいなと。

■live music club PADOMA
兵庫県神戸市中央区
中山手通1丁目22-10 象ビルヂングB1F

live music club PADOMA オフィシャルHP

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