重たい子どもたちの通学かばん 教科書、副読本にタブレット…

子どもたちの通学時の荷物がずっと重いことをご存じだろうか。半世紀前、私たちの時代もランドセルや学生カバンが重く、教科書や辞書を学校の机の中に置いて帰ったこともたびたびだったが、今の子どもたちは、さらに大変なことになっていた。コラムニストの羽世田鉱四郎さんのレポートです。(新聞うずみ火編集部)

子どもたちの通学かばんを持ったことがありますか。小学生はランドセル、中高生になるとリュックが多いようですが、私も孫たちの学生カバンを持ってみたらとても重くて、簡単には持ち上がりませんでした。

先日、小柄な女子中学生とすれ違ったのですが、腰を曲げ、あえぎながら坂道を登って帰宅する姿がかわいそうでした。心身ともに伸び盛りの中高生にとって、なんとも残酷な仕打ちです。

最近の教科書は、私たちの頃に比べてひとまわり大きくなっており、オールカラーで図版や写真が満載、紙質もいい豪華な反面、非常に重い。高校の化学の教科書は科学知識や技術が満載で、工場の製造現場ですぐに役立ちそうな内容です。産業界の要請で 即戦力を必要としているのでしょうか。

教科書も一回り大きくなり、カラー化で重くなった

これにたくさんの副読本が加わります。さらにコロナ禍で、タブレットと水筒(感染防止のため、学校の給水器は使用禁止)が必携になったので、ますます通学かばんはパンパンになっています。

せめて、教科書や副読本は分割し教室に置いておくという選択も大切ですが、「置き勉」(学校に教科書などを置いて帰ること)禁止。文科省や教育委員会の皆さん、ぜひご検討ください。子どもたちの心身の健全な発達のためにも。

■進学競争は低年齢化

子どもの数は減っていますが、進学競争は低年齢化し激化しています。難関大学への進学実績で、私立の中高一貫校が優勢なため、公立高校では3年間の教科内容を2年間で教え、残りの1年間を受験勉強に充てる動きも加速しています。

大都市を中心に、子どもたちは幼い頃から学習塾に通い、長時間の勉強を強いられています。私たちの時代、子ども同士の会話は「遊ぼう!」でしたが、今は「遊べる?」に変わりました。子どもの発達には「遊び」が欠かせないのですが……。

「置き勉」も認めてほしい

地方の出身や経済的に恵まれない子弟の進学も難しくなりました。「教育の機会均等」はますます遠のいています。

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「小泉・竹中の行財政改革」で、2004年から国立大学が法人化され、運営交付金が減少しました。研究資金も配分が減らされ、競争原理を導入し、短期的な成果が求められています。基礎研究そのものが衰退しました。研究者の数、時間、予算も不足し、大学教員は予算獲得に走り回り、時には軍需産業からの誘惑にも惑わされているのが現実です。

かつて知人から「伸び切ったパンツのゴムのような学生が多い」と愚痴られたことがありました。コロナワクチンを開発したハンガリー出身のカリコ・カタリン博士。基礎研究を大事にして、彼女のような研究者が登場するような環境を作る必要があります。(コラムニスト 羽世田鉱四郎)

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