矢沢永吉デビュー50周年の軌跡!1978年の「時間よ止まれ」と「成りあがり」  一寸のブレもない永ちゃんの信条 “ボトムで燻る不良にも最高の音楽を!”

ボトムで燻る不良にも最高の音楽を! という矢沢永吉のスタンス

1975年4月13日、日比谷野外音楽堂。キャロル解散。4と13。この不吉な数字が並んだ最悪の日を最高の日にしようと矢沢永吉はベースのネックに日本酒を吹きかけ野音のステージに登ったという。

元々ベーシスト志望ではなかった矢沢だが、彼が奏でるベースラインは独特なうねりを持ち、バンドのグルーヴを率先していく。ほぼインプロヴィゼーションに近い演奏の中、観客は熱狂していく。この日矢沢が巻き舌で歌ったビートルズでお馴染みの「SLOW DOWN」のカバーはロックンロールの真髄だった。テクニックやクオリティを凌駕した熱量がそこにあった。

バイクチーム、クールスが率先して野音入りしたキャロルは、玄人筋の音楽評論家や文化人に絶賛されながら、暴走族や不良少年に支持された。社会の歯車になることに疑問を持ちながらも燻り続けている少年たちのフラストレーションのはけ口としてキャロルのロックンロールが存在していたことは確かだ。

そんなキャロル出身の矢沢がバンドの持ち味であった性急なビートと、テクニックやクオリティを凌駕したロックンロールの熱量をあっさり捨てソロデビューを果たす。キャロル解散から約半年後の1975年9月の出来事だった。

革の上下に長髪のリーゼント、通称 “琵琶ベース” と言われた矢沢永吉モデル、独特なシェイプのベースを抱えた姿はそこにはなかった。「キャロルの遺産みたいなものを食い潰して生きていくなんて嫌だった」と語り、マドラスチェックのジャケットにプロケッズのデッキシューズを履いた姿がレコードジャケットには写っていた。ソロになった直後の中野サンプラザのステージではラメの入った衣装でバラードを歌う。多くのキャロルファンは戸惑ったはずだ。しかしこれが矢沢永吉の本懐だった。

ボトムで燻る不良にも最高の音楽を!

―― この信条はデビュー50周年を迎えた今現在まで一寸のブレもない。

歌手として名実ともにトップに君臨した1978年の矢沢永吉

矢沢が紡ぐメロディは繊細でロックのフォーマットからはかけ離れた部分も見られる。そうありながら、砂漠に水が染み入るように人の心に溶けてゆく。そして、大袈裟ではなく、ここに生きる意味を見出す人も多い。矢沢が紡ぐメロディはそこに人生を賭けても構わないと思わせる美しさと力強さがあった。

そんな矢沢のソロ活動は最高のミュージシャンで、最高のクオリティを。というスタンスから始まっている。

ファーストアルバム『I LOVE YOU,OK』には、映画『ゴッドファーザー』、『ゴッドファーザーPARTⅡ』のサウンドトラックを手がけたトム・マック氏をプロデューサーに迎えた。さらにキャロル解散の野音公演からちょうど1年後の1976年、7月24日、『スター・イン・ヒビヤ』と題された凱旋ライブでソロアーティストとして同じ場所に立った時のバッキングには、高中正義、後藤次利、高橋幸宏といったサディスティックスの面々を中心に固められた。

この凱旋ライブには、キャパ3,000人程度の日比谷野外音楽堂に約7,000人のファンが詰めかけたと言われている。しかしその一方でレコードセールスが決して順調だったわけではない。デビューから1年の間にリリースされた3枚のシングル、デビューシングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」オリコン最高位43位、セカンドシングル「真夜中のロックンロール」同最高位65位、サードシングル「ひき潮」同最高位50位…。

“スターダムに駆け上がる”と言う常套句があるが、そこに近道はなかった。矢沢はライブに軸足を置き、年間150本ものステージを組み全国を周った。そして、“キャロルの矢沢” を求める不良たちに最高のメロディを聴かせる。最高のパフォーマンスを魅せる。美しい音楽は心の奥に泉を作る。そこから湧き出た気持ちが抑えきれない熱狂的なファンを生み、翌年の1977年には日本人ロックアーティストとしては初の日本武道館単独公演を成功させる。

着実に熱狂的なファンを掴みながらも、まだロックが市民権を得ていなかった70年代後半、いわゆるお茶の間を賑わすヒットソングとロックミュージシャンは大きく乖離していた。矢沢の熱狂は当事者のファンに取っては、矢沢の音楽がライフスタイルの中心であって、それは社会現象として取りただされることはあっても、市井の人々にとってはリアリティを感じられるものではなかったはずだ。

そんな矢沢の風向きが大きく変わるのが、翌年、1978年だった―― そう、資生堂キャンペーンソングとなった「時間よ止まれ」が3月21日にリリース。オリコン最高位1位、自身初となるミリオンセラーを獲得する。時代的にも極上のシティポップという見方もできるだろう。風の流れを変えるような、目を閉じればどこか遠い南国のリゾートに一瞬にして連れて行かれるようなメロディ、海外旅行の浸透にはまだ遠い時代、全国民に夢を見させた最高のメロディで矢沢の人気はお茶の間にまで浸透する。そして同年、矢沢は芸能人長者番付歌手部門1位を獲得。日本の歌手として、名実ともにトップに君臨した。

同時期に発売された「時間よ止まれ」と「成りあがり」

そして、同時期1978年7月には、今も読み継がれ、ここに書かれた生き様から多くの成功者を生んだ “矢沢永吉激論集”「成りあがり」が刊行されている。

「オレは、昔のことを思い出すとマジになる。これは素晴らしいことだ。二十八歳。スパースターと呼ばれ、所得番付に出るようになっても怒っている。怒ることに真剣になる」

冒頭にこう書かれた人生の指南書は、キャロルに夢中になっていたいわゆる普段活字を読まないような不良少年が読み耽るほどの衝動が詰め込まれていた。多くの不良少年がここに書かれる矢沢の姿に自分を投影した。

矢沢は「でも、オレはだれもがBIGになれる “道” を持っていると信じている」と読者を鼓舞する。燻っている少年たちの道を拓き、最高の音楽を聴かせる。そんな矢沢イズムは、「時間よ止まれ」のミリオンヒットにより全国区となり、サクセスストーリーのプロトタイプとなる。

「時間よ止まれ」と「成りあがり」―― 極上のリゾートミュージックと、汗がほとばしり、前のめりで極めて人間臭い自伝。両方の発売日から考えてみても、これらが同時期に制作されていたかと思うと興味深い。そしてこれがデビューから50周年を迎える矢沢永吉の魅力なのかもしれない。

引用文献:成りあがり-矢沢永吉激論集(小学館 / 1978年)

カタリベ: 本田隆

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