チェッカーズ「ミセス マーメイド」不良少年が奏でた世界に通じる洗練された音楽  新フェーズに移行しても枯渇することはなかったチェッカーズの才能

年3回のハイペースでリリース! チェッカーズ「ミセス マーメイド」

今年1月にNHK BSで放送されたザ・チェッカーズ(以下チェッカーズ)の武道館におけるラストライブ。その後春には全国の映画館で上映され、配信公開も行われた。来年の結成40周年に向けてチェッカーズ周辺が更なる盛り上がりを見せている。近年僕がリマインダーでチェッカーズのコラムを書き続けていたのも必然だったと思うとやはり嬉しい。

今回ピックアップするのは、1991年9月4日に彼らの26枚目のシングルとしてリリースされた「ミセス マーメイド」だ。

1986年の10月15日にリリースされ、メンバーが初めてソングライティングを手がけたシングル「NANA」から数えると16枚目のシングルにあたるのが「ミセス マーメイド」。作詞 売野雅勇、作曲 芹澤廣明というヒットメーカーと袂を分かち、バンドが育んできた音楽性とファッションを含めた独自性で勝負に出たチェッカーズがバンドでソングライティングを担うことになっても、年3回というハイペースなシングルリリースのサイクルを崩すことはなかった。

このハイペースの中でも才能は枯渇することはなかった。独自性を確立し、ミュージシャンとして新たなフェーズに移ったことは明確な事実だった。

作曲家としての才能を遺憾無く伸ばした鶴久政治

与えられた服を着て、決められた髪型をして、ヒットが約束された楽曲を手にするのではなく、全てを断ち切り、好きな服を着て、好きな髪型をして、岐路に立ち迷いながらも自らを鼓舞するかのように音楽をクリエイトしていく。これがチェッカーズの選んだ道だった。

身軽に自由になった分だけ責任は重くのしかかってくる。多忙を極めながらもクリエイティビティを高めていかなくてはならない。それでも前へ進んで行ったのは彼らが結成当初から純然たるミュージシャンだったからに他ならない。

チェッカーズのシングル曲に関して作詞は藤井郁弥(当時)、そして作曲に関しては毎回ソングライターが変わっていく。これはおそらくメンバー各々が楽曲を持ち寄り、そこでのコンベンションが開かれていたことが想像に難くない。確かにメインのソングライターを決めバンド内の役割分担を明確にシステマティックにした方がバンドの運営は楽だろう。

例えば、「NANA」の作詞作曲を手がけた藤井郁弥、藤井尚之兄弟が、さしずめレノン=マッカートニーのように全シングルのソングライティングを手掛けるというプランがあってもおかしくない。郁弥=尚之が手がけた楽曲は、「素直にI’m Sorry」にしても「ふれてごらん〜please touch your heart」にしてもリリックとメロディの親和性が高かった。

これは血の通った兄弟だからこそなせる技だろう。親和性が高い上にヒットの要因となるフックの掛け方が絶妙だった。しかし、メンバー各々が楽曲を持ち寄り、熟慮を重ねることによりメンバーのソングライターとしての力量も格段と上がってくるし、それに準じてバンドサウンドも革新的に練り上げられていく。そして、その中で作曲家としての才能を遺憾無く引き伸ばし、結果メンバー最多となるシングル曲の作曲を担ったサイドボーカルの鶴久政治だった。

「ミセス マーメイド」の作曲は鶴久だ。鶴久が紡ぐメロディには、従来のヒットソングにはない独自性が高かった。ヒットソングの方程式から外れたところに存在するユニークさというか、直感的に心に引っかかるのではなく、じわじわと心に染み込んでいくような魔力を持ち合わせている。さらに “これが鶴久メロディー”という一貫性ではなく楽曲ごとに多彩な表情を見せてくれるのが最大の魅力ではないだろうか。

不良少年たちが奏でる世界に通じる洗練された音楽

「ミセス マーメイド」はこの独自性が顕著で、清涼感あふれるメロディラインでありながら、ブラックフィーリングのうねりが随所に垣間見られる。そして、そんな楽曲の持ち味を最大限に引き出しているのが、バンドアレンジと彼ら七人でしか奏でることのできないアンサンブルだった。

そして、この楽曲の特筆すべき点として、徳永善也、大土井裕二のリズムセクションを挙げる人も多い。確かに、この楽曲の根底にある心地よいグルーヴは、当時ロンドンで隆盛を極めていたアシッドジャズ、そして新しい解釈のブルーアイド・ソウルから抽出されたものだったと思う。

個人的な話になるが、この「ミセス マーメイド」がヒットしている最中、僕はロンドンに赴いたことがあった。その時街はアシッドジャズ一色だったのだが、この街のビートに「ミセス マーメイド」はピッタリ一致していた。そう、ロンドンの街中でこの曲が流れてきても全く違和感を抱かない。そんな風に思えた。

この最先端のグルーヴを紡ぐリズムセクションが、キャロルの永ちゃんに憧れベースを持ち、かつて “シークレッツ” というバンドに在籍していた大土井裕二だということ。そして、クールスの曲名からインスピレーションを得たと思われる “キューティス” のドラマーだった徳永善也だということ。当時の十代の少年の多くが憧れる直情的なリーゼントのロックンロールに触れることでミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせ、幸運にもプロになり、敷かれたレールから外れても音楽にのめり込んでいき、世界にも通じるグルーヴを紡ぎ出す。これがチェッカーズなのだ。

大土井の “シークレッツ”、徳永の “キューティス” だけではなく、郁弥の “カルコーク”、武内享が在籍した “シェイク”、鶴久が在籍した “フィフティーズ”…。あの頃のK-City(久留米)に思いを馳せる。明らかにロックンロールが好きでたまらない、甘いグリースの香りがするネーミングのアマチュアバンドで練習に明け暮れていた不良少年たちが、アイドルという通過点を持ちながら「ミセス マーメイド」のような音楽の多様性を極め、世界にも通じる洗練された音を奏でる。これがチェッカーズ・ドリームなのだ。

カタリベ: 本田隆

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