日朝首脳会談20年 交渉舞台裏、飯島内閣官房参与に聞く

インタビューに応じる飯島内閣官房参与=13日午後、官邸

 日本人拉致問題を巡り北朝鮮外交に長年取り組む飯島勲内閣官房参与(76)が17日までに、小泉純一郎首相(当時)の初訪朝20年を迎えて神奈川新聞社のインタビューに応じ、訪朝時はSP(警護官)の人数を極端に減らして「(交渉の)門を開かせるには信頼することが大切だった」と振り返った。日本人拉致問題解決に向けた展望については「融和の精神があれば道が開ける」と強調した。(三木崇、有吉敏)  

 小泉氏が初めて北朝鮮を訪問して金正日(キムジョンイル)総書記(故人)と会談、日朝平壌宣言に署名したのは2002年9月17日。小泉政権の首相秘書官(政務担当)だった飯島氏は訪朝が決まった直後、「SPを30人ぐらいにしてくれ」と指示した。海外出張時は通常100人余りの警護が付くが、今回は「ふんどし一丁」(飯島氏)という異例の警護体制をとった。

 交渉を成功させるためには、互いの信頼関係を確実なものにする必要があった。国交がなくても日本側は「信頼している」と伝えるためだ。

 また、小泉氏が交渉の合間に待機する平壌の迎賓館「百花園」などを事前にチェックするSPには、情報機関の内閣情報調査室や公安調査庁の関係者を一切入れないよう求めた。しかし、名簿に公安調査庁から1人が加わっていたことが判明すると飯島氏は人事担当者を怒鳴り上げたと明かし「訪朝時は一切タッチさせなかった。それぐらい厳しくやった」と振り返った。

 一方で、この交渉で北朝鮮側から必ず答えを引き出したいという強いメッセージも伝えた。小泉訪朝の同行記者は欧州連合(EU)経済視察団の80人を大幅に超える120人を要求。衛星電話など通信環境の現地利用を含め、条件を全てのませることに成功した。

 また、歓迎食事会が開かれると北朝鮮側のペースに巻き込まれる恐れがあることから、おにぎり3個、ポテト、お茶のセットを300人分用意して政府専用機に積ませた。交渉は日帰りで行い、もてなしは一切受けないことを示す“心理戦”で乗り切った。

 その結果、曽我ひとみさんら5人の帰国が実現するなど拉致問題は成果を上げた。しかし、その後は「死亡」とされた横田めぐみさんらの安否に関する再調査は手詰まり状態が続く。

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