作家・藤本義一の師、「生きいそいだ奇矯の人」川島雄三

日本映画黄金期の松竹、日活、東宝、大映を渡り歩き、45年の短い生涯に51作品を残した異才・川島雄三(1918~1963)。作家・藤本義一の師でもあった。(新聞うずみ火編集部)

今は昔の話。1974(昭和49)年、藤本義一が『鬼の詩』で直木賞を受賞した。主人公は数々の奇矯と珍芸で名をはせた落語家、桂馬喬。翌年、村野鐵太郎監督で映画化される。薄幸で不遇をかこった馬喬は、ひたすら己の芸を探し、高みを目指してもがき苦しむ。その馬喬を、時に飄々と時に鬼気迫る演技で演じたのが、若き日の桂福団治師。脚本を担当したのは、なんと藤本義一。作家が自分の小説のシナリオを担当するのは珍しい。

映画「鬼の詩」

実は、藤本は小説家になる前に戯曲やシナリオを書き、懸賞荒らしの異名を取り、井上ひさしと競っていた。その修業時代の師匠が川島雄三だ。名作「幕末太陽伝」の監督。「幕末太陽伝」は落語「居残り佐平治」や「品川心中」などを下敷きにした作品なのだ。

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佐平治は、金もないのに友達4人を誘って品川の遊郭へ。散々騒いで翌朝4人は帰して一人居残る。勘定を求められると4人が夕方金を持ってくるとごまかす。翌朝、金がないのを白状。布団部屋へ押し込められるが客の注文を伺ったり、ご機嫌を取り結んだり、祝儀をもらって人気者に。佐平治役はフランキー堺。屈託のない陽気な佐平治を巧みに演じた。脇で石原裕次郎が高杉晋作を、久坂玄瑞は小林旭だったのだから映画好きにはご機嫌な映画だった。

映画「幕末太陽伝」

学生の身で、そんな川島雄三の脚本執筆の手伝いをしていたのが、藤本義一なのだ。宝塚映画の撮影所で脚本助手募集の張り紙を見つけて監督に会いに行く。仲間や先輩から、あの監督だけはやめておけ、精神障害になるか、肉体を滅ぼすぞと脅されたが、それは面白いと応募する。その顛末を藤本は『生きいそぎの記』で小説にしていてすこぶる面白い。

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川島はまさに想像を絶する奇矯の人。次回作を作るぞとまず始めたのが、登場人物たちの暮らす古い邸宅の図面作り。大きな紙に部屋を丹念に書き込み、そこに人物配置。周囲の景観に凝り、小道具にもこだわる。植木屋の服装から故事来歴、天文学に至るまで図書館で調べさせられ、夜になると朝まで酒盛り。話題は豊富だが、一度機嫌をそこねると大爆発。藤本は殺意さえ覚えたという。川島は難病の筋萎縮性側索硬化症を患い、毎日手の平に山盛りの薬を飲んでいた。誰にも見せなかった己の裸も、藤本には平気で見せた。

川島雄三

藤本は『生きいそぎの記』で3回目の直木賞候補になるも落選。3年後に『鬼の詩』で受賞する。『鬼の詩』で活写された馬喬の鬼気迫る姿の裏には、川島雄三の姿が垣間見える。『生きいそぎの記』も『鬼の詩』に勝るとも劣らない傑作だ。なのに、この作品が受賞出来なかった裏話を小松伸六は、「テレビ番組11PMの高名、ないし悪名高き司会者なるがゆえの不運も重なっていたかもしれない」(講談社文庫『鬼の詩』解説)と書く。テレビの司会もしていた藤本義一へのやっかみか。とかくこの世は生きづらい。(落語作家 さとう裕)

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