JR只見線、11年ぶり全通 鉄路救った郷土写真家の一枚 地域再生の日々が映画に

第一只見川橋梁を渡る只見線。沿線から列車を眺められるよう、複数の鉄橋周辺で枝打ちや展望台の整備などが進む=福島県三島町(星賢孝さん撮影)

 豪雨災害で鉄橋が流失し、一部が不通だったJR只見線(福島・新潟県)が10月1日、11年ぶりに開通する。廃線の懸念を振り払うように、観光路線として再生すべく力を注ぐのが「奥会津郷土写真家」の星賢孝(ほしけんこう)さんだ。地域の良さを発見し、耕す。その活動を追ったドキュメンタリー映画が神奈川県内で公開される。

 会津若松駅から1時間15分ほど、列車は只見川に架かる第一只見川橋梁(きょうりょう)をゆっくり渡る。ダムにせき止められた川面はぬめるようだ。星さんは言う。「夏は川霧、冬は雪。各地を旅行して気付いた。奥会津の四季はどこにも負けない絶景だと」。そして付け加える。「只見線が走ることで、この風景に命が吹き込まれる」

◆故郷を失う

 星さんは公開中の映画「霧幻鉄道」の主人公だ。副題は「只見線を300日撮る男」。とはいえ、根っからの鉄道ファンではない。カメラを手にしたのは、故郷の喪失と産業の衰退を身をもって経験したことがきっかけだった。

 地域経済の変容は、長年勤めた建設会社で感じ取った。「指名競争入札の導入で地元以外の業者が増え、落札価格は下がり、業界が疲弊した。公共事業はもう地方を支えない。このままでは奥会津そのものがなくなる、と思った」

 生まれ育った小さな村は、1963年の土砂崩れで移転を余儀なくされ、消滅した。故郷を失うつらさは骨身に染みている。只見線沿線には高齢化率が5~6割に達する自治体もあり、もう時間がない。ならば今ある只見線を生かし、観光客を呼び込む。それが星さんの結論だった。

◆外国人の姿

 6、7年ほど前、沿線の雰囲気が変わり始めた。外国人観光客がひなびた集落を訪れるようになったのだ。東京でも京都でもなく、山あいを行く1日数本しかない列車に乗り、車窓を眺める。町を豪雪の底に沈める真冬にさえ。

 その様子を間近に見て、かつて「鉄道は要らないとの考えに傾いていた」(星さん)住民の多くも、少しずつ只見線の価値を認識していったという。

 これこそ、星さんの地道な取り組みの結果だった。観光客の来訪は、星さんが撮り続けてきた只見線の写真を交流サイト(SNS)で発信したことが一つの契機とされる。特に雪のない東南アジアの人々にとって、雪に埋もれるように走る列車の姿は「ロマンチックな鉄道」と映った。星さんが台湾で開いた只見線の写真展には、1万3千人も来場したという。

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