祝 30周年!山下達郎「サンデー・ソングブック」日曜午後の定番ラジオプログラム  ヤマタツのこだわりと世の中への配慮が込められた55分

オンエア30周年のアニバーサリー!「山下達郎のサンデー・ソングブック」

毎週日曜午後2時、ラジオからドラムソロのような軽快なイントロが聴こえてくる。楽曲は1992年にリリースされた山下達郎のシングル「アトムの子」の冒頭のメロディーである。

そこに80年代洋楽ファンのミューズ、シャーリー富岡による「タツロー ヤマーシタ プレゼンツ!」というタイトルコールがオーバーラップする。ご存知 TOKYO FM『山下達郎のサンデー・ソングブック』のオープニングである。

2022年の今年、30周年を迎えた「山下達郎サンデー・ソングブック」。その1992年10月3日に放送された記念すべき第1回のアーカイブが本日10月2日に放送されることになった。

最近はそうでもないのだが、この番組が始まった当時、日曜の午後はとにかくFMラジオを聴いていることが多かった。週末ともなれば車で出かけることが多く、おそらくは今の3倍ぐらいは運転していたのではないかと思う。運転中はもちろん音楽を聴くのだが、元々ジャンルについては雑食であるので、CDなどで決まった音楽を聴いたりせず、ラジオから流行りの音楽を知るというのが習慣になっている。

また、なるべく走っているエリアのステーションを聴くようにしているのは、行く先々の交通情報のこともあるが、その時の天候など放送との空気感を共有した方が番組も楽しめると考えての事である。

都内を走る時には “TOKYO FM(T-FM)” “J-WAVE”(注: Inter FMは1995年開局)ということになっていたが、流行りの音楽を知るという目的からすると、日曜午後は『TOKIO HOT100』を放送するJ-WAVEを好んで聴くことが多かったように思う。

その頃、在京FM2局は熾烈な聴取率争いを展開し、当初から洋楽志向を打ち出してきたJ-WAVEに対抗し、T-FMは赤坂泰彦を看板DJとしてJ-POP路線を繰り広げ、新たなリスナー層を育ててきた。

1994年からは番組のブランディングの一環として、従来から土曜午後枠にあった邦楽・洋楽のカウントダウン番組を土台に「カウントダウンステーション」と名付け、また日曜午後には人気アーティストによる冠番組を集約し、若いカップルに向けた番組作りをコンセプトに「ラヴ・ステーション」と銘打って、全国ネットで展開するようになった。ラヴはテニスのポイントなどでいう「0(Zero)」を意味し、周波数80.0MHzを模して81.3MHz(Eighty One Point Three)のJ-WAVEへの対抗軸を打ち出していった。

早い話が流行り音楽のカウントダウンを裏局より一日早く放送し、その『HOT100』の当日には看板番組をぶつけて潰してしまえという、何ともあざとい編成である。

山下達郎のサタデー・ソングブックから、サンデー・ソングブックで再スタート

1992年10月にスタートした『山下達郎のサタデー・ソングブック』は、オールディーズやR&Bなど、洋楽POPSから彼の音楽の志向性を前面に打ち出して音楽ファン垂涎のプログラムとして支持を集めていたが、こうしたT-FMの編成方針に沿う形で、1994年4月、現在の日曜午後2時からの放送枠へ移動し『サンデー・ソングブック』として再スタートを切った。2022年の今年、放送開始30周年を迎えたが、それは『サタデー…』時代を含めてのことである。

私事であるが、一時期仕事の関係で同番組に近い別の番組に関わる機会があり、幾度となく同局を訪れる機会があった。大物アーティストの番組であるから当然番組は事前収録であり、あいにくご本人に遭遇することはなかったが、スタジオの予定表に『サンデー・ソングブック』と書かれていると「おおっ!」と思ったものである。

  

収録ながら重視されたライブ感と音に対する徹底したこだわり

実はこの番組の収録スタジオは使用機材も含め、全て決まっていて、録音は必ずそこでしか行われない。全て達郎氏ご本人の指定、好みによるものである。

しかも収録でありながらライブ感を重視するために、かける音楽の尺やトークも合間に流れるCMも全て聴きながら、生放送さながらに55分一発録音で行われるという。生放送ではなく収録番組だからこそ、微妙に音圧も調整しながら常により高音質で発信できるよう取り組まれているのである。

例えば、持込音源についても例外ではない。番組の名物コーナー「棚からひとつかみ」などで紹介される古い洋楽音源のほとんどは、彼自身が所有するアナログ盤なのだが、他番組では使われている今どきのデジタル音源に音負けしないよう、自宅の機材でリマスタリングしてラジオ放送に最適化したものを持ち込んで使用しているのだ。

またこれら事実のほとんどは達郎氏が番組や過去のインタビューの中で詳らかにしており、音に対する徹底したこだわりについてはファンであれば周知の事実である。かつて好きな音楽だけをかけられないということで『オールナイトニッポン』をわずか9ヶ月で降板した彼のこと、現在唯一のレギュラー番組として全力で取り組んでいるのが理解できるというものである。

山下達郎が向き合ったファンや社会

音楽家・山下達郎の音に対するこだわりの逸話は数多い。都内のコンサートは「中野サンプラザ」と「NHKホール」でしか開かれない。人気からすれば、当然アリーナクラスの会場を満席にすることなど容易いはずだが、音響に関して評価できない会場は使用しないというのが彼のポリシーである。

また自らの声においても「納得できる声が出ない」として、その場でコンサートを中止したこともある。その時は当人自ら客席に向かって謝罪し「RIDE ON TIME」一曲だけを歌ってステージを下りてファンの喝采を浴びた。もちろんそのコンサートは後日改めて開催され、多くのファンが溜飲を下げたということだ。

コンサートをドタキャンしておいて「いいものを見た」「これぞ真髄だ」などと云われて賞賛された話など、まず他で聞くことはないだろう。誤解を恐れずにいえば、私も含めて達郎氏のファンは、ご本人にとっては、たとえ不本意な出来事すら許容してしまう、ある種の変態である。

彼はこの『サンデー・ソングブック』を窓口としてファンや社会と向き合ってきた。それは邦楽洋楽のジャンルを問わず音楽界の偉大な先達へのリスペクトや追悼の意と世間の空気感に対する対応に表われている。

2012年3月11日に放送された「東日本大震災一周年 追悼と復興祈念プログラム」は、前年同日に地震が発生した時刻2:46PMに行った1分間の黙祷を含む番組内容が高い評価を受け、同年の放送文化基金賞を受賞している。こうした社会の機微を感じながら番組を発信し続けているからこそ、この番組はスポンサーや番組の入れ代わりが著しい日曜午後のプライムゾーンで28年の長きにわたり、不動のポジションを保持し続けているのである。

良質なものをリスナーへ届けようとする自らのこだわりと世の中への配慮という両方の側面がこういった事柄にも表われており、我々はそのことに一々納得してみせるのだ。

※2018年2月4日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: goo_chan

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