加藤和彦と安井かずみが “東京” を描く短篇集「あの頃、マリー・ローランサン」  合掌 10月16日は加藤和彦の命日です(2009年没・享年62)

加藤和彦の “ヨーロッパ三部作” とは?

秋の、ちょっとメランコリックな気分と合っているのか、この時期になると、加藤和彦のアルバムが聴きたくなる。

加藤和彦のソロアルバムの代表作とされているのは『パパ・ヘミングウェイ』(1979年)、『うたかたのオペラ』(1980年)、『ベル・エキセントリック』(1981年)のいわゆる “ヨーロッパ三部作” だろう。

作家アーネスト・ヘミングウェイのロマンあふれる生き方をテーマにした『パパ・ヘミングウェイ』から始まり、ヘミングウェイの作家としての出発点ともなった1920年代のヨーロッパのカルチャー・ムーブメントにスポットを当てた『うたかたのオペラ』、『ベル・エキセントリック』と続く連作には、加藤和彦ならではの美意識と、それぞれのテーマの世界観がリアルに描かれていた。

音そのものからリアルな空気感を伝えることにこだわり、レコーディングも『パパ・ヘミングウェイ』ではヘミングウェイが後半生を過ごしたバハマとフロリダ、『うたかたのオペラ』ではベルリン、『ベル・エキセントリック』ではパリ郊外のシャトー・スタジオで行なわれている。

リラックスした雰囲気のアルバム「あの頃、マリー・ローランサン」

加藤和彦のヨーロッパ三部作は、コンセプトアルバムのひとつの究極の形を示した80年代の名盤と言えるだろう。しかし、それだけに聴く方としても、いささか構えてしまうこともある。そんな時に僕がふっと聴きたくなるのが『あの頃、マリー・ローランサン』だ。

『あの頃、マリー・ローランサン』は、『ベル・エキセントリック』から2年の間隔をあけて1983年に発表されたアルバムで、この間に加藤和彦はワーナー・パイオニアからCBSソニーに移籍していた。

レコード会社が替わったせいだけではないと思うが、『あの頃、マリー・ローランサン』には、ヨーロッパ三部作とは違うリラックスした雰囲気が感じられる。アルバムタイトルのマリー・ローランサンは、20世紀前半のパリで脚光を浴びた女性画家。その点では同じ時代をテーマとするヨーロッパ三部作との共通点を感じさせる。

聴いて感じる加藤和彦のダンディズム、そして極上のセンス

けれど、このアルバムはマリー・ローランサンの生き方をテーマにしているのではなく、タイトル曲として「あの頃、マリー・ローランサン」という曲が収められているのだ。しかも、曲中にローランサンの絵を欲しがる彼女が出てくるというだけで、アルバムのテーマはオシャレでスノッブなライフスタイルの中に描かれる男女の機微だ。

日常の中で “ふっ” と出会う、どこかドラマチックなシーン、そんな加藤和彦のダンディズムが、この曲だけでなくアルバム全体からリアルに感じられるのだ。だから、聴き手としても自分に身近な世界に引き寄せながら、彼が見せてくれる極上のセンスを味わえるのだ。

『あの頃、マリー・ローランサン』は、ヨーロッパ三部作という大作をつくりあげた加藤和彦にとって、息抜きとは言えないかもしれないけれど、自分の身近な世界のエッセンスを拾い集めたエッセイのようなアルバムなのではないかと思う。以前、本人にこのアルバムについて尋ねた時には「あそこでAORをやってみたかったんだよね」と語っていた。

加藤和彦作品のパートナーである安井かずみの詞も、三部作の緊張感から少し離れて、身近なシーンに大人のドラマを描いているという感じがする。

安井かずみとの最初の共作「それから先のことは…」

そこで思い出すのがヨーロッパ三部作の前に発表したアルバム『それから先のことは…』(1976年)と『ガーディニア』(1978年)だった。

この2枚のアルバムは、サディスティック・ミカ・バンドから次のステップに進もうとする加藤和彦にとって、アイドリング的意味合いのある作品だった。安井かずみとの最初の共作でもあった『それから先のことは…』は、加藤和彦の言葉によれば、大きなテーマのない “私小説” だった。

しかし、サウンド面では、念願だったアラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオで、多くのソウルの名盤を手掛けてきたロジャー・ホーキンス(ドラムス)をはじめとするハウスバンドによるレコーディングをおこなうなど、自分の音楽性のベースを確認する作品だった。そして『ガーディニア』では、ボサノヴァを主体としながら、坂本龍一、高橋幸宏など、後のヨーロッパ三部作につながるメンバーとのクリエイティブなサウンドアプローチを行っていた。

『あの頃、マリー・ローランサン』には、この2枚のアルバムに通じるものがあるような気がする。そこには『それから先のことは…』のような手探り感は無い。けれど、あのアルバムに感じられた、サディスティック・ミカ・バンドという大きな嵐を越えた “凪” にも似た感触が、このアルバムにもあるという気がする。それは、このアルバムがヨーロッパ三部作という大きなテーマを越えた “凪” の時期につくられているということで、マイルドな空気感が共通しているのかもしれない。

80年代に開花したソロアーティスト・加藤和彦

僕が『あの頃、マリー・ローランサン』にとくに惹かれるのは、アルバム全体のリラックスした肌触りを生み出しているヴォーカルと演奏の魅力だ。

レコーディングは久しぶりに東京で行われ、ほとんどの曲が、高中正義(ギター)、矢野顕子(キーボード)、ウイリー・ウイークス(ベース)、高橋幸宏(ドラムス)、浜口茂外也(パーカッション)のリズムセクションで演奏されている。それも、全員が揃ってセッションする一発録りで録音されているという。1人でも失敗すればやり直しという緊張感をはらみながら手練れのプレイヤーたちが生み出すとびきりのグルーヴを、まさに生ものの状態で味わうことができるのだ。

加藤和彦のヴォーカルもステキだ。本人は「仮歌のつもりで歌った」と語っていたが、リキミのない歌い方がタイトなサウンドとからんで、なんとも良い味わいになっている。サウンドに緩みがないのに心地よいリラックス感が伝わる。『あの頃、マリー・ローランサン』は、そんな極上のAOR作品なのだ。

加藤和彦は、その後ソロアルバムとして『ベネツィア』(1984年)、『マルタの鷹』(1987年)、『ボレロ・カリフォルニア』(1991年)を発表するが、以降は純粋なソロアルバムは発表していない。その意味でも、加藤和彦の1980年代は、ソロアーティストとしての開花の時代だった。

ヨーロッパ三部作は言うまでもなく、『あの頃、マリー・ローランサン』をはじめとする、彼が80年代に発表したアルバムたちの魅力を、改めて振り返ってみる価値は絶対にあると思う。

※2020年10月16日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 前田祥丈

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