吉田美奈子の歌詞を深読み!山下達郎も歌った不倫ソング「時よ」  アルバム「LET'S DO IT -愛は思うまま-」リリース44周年

アルバム「LET'S DO IT -愛は思うまま-」に収録された「時よ」

吉田美奈子。

日本を代表する女性シンガー。R&B を歌う草分け的存在であり、その実績は現在活躍する多くの女性ヴォーカリストたちに、今なお影響を与え続けているといっても過言ではないだろう。

独特の節回しや、艶やかで伸びのあるベルベットボイスは、彼女が歌い上げる世界観を思う存分表現する。僕が初めて吉田の存在に気がついたのは山下達郎からだった。

高校生の頃、バンドで達郎の曲を散々コピーしていたこともあり、その流れに乗ればこの曲に出会うのは必然だった。吉田が作詞し、達郎が歌う「時よ」(『IT’S A POPPIN’ TIME』収録 / 78年)を聴いた僕は、一瞬で心を持っていかれてしまったのだ。

「時よ」は、78年10月25日にリリースされた吉田美奈子6枚目のオリジナルアルバム「LET'S DO IT -愛は思うまま-」にも収録されている。

さて今回は、同じく吉田が作詞して、達郎も歌った「FUTARI」(『FOR YOU』収録 / 82年)というバラードにも注目し、この2曲を深読みすることで、吉田美奈子が描く詩の世界を探りたいと思う。もちろん私的であり、ある意味曲解になるので読まれる方は「こんな考え方もあるのか」と、寛大に受け止めて欲しい。

「時よ」と「FUTARI」。どちらもひとつの部屋を舞台にした別れの曲

「時よ」と「FUTARI」。どちらも僕は、ホテルの一室で朝を迎えるまでの「彼女目線」「彼目線」の違いだと解釈している。では何故そう思ったのか? 歌詞を追って紐解いてみたい。

僕はまず彼目線の「FUTARI」の歌詞のこの部分に注目した――。

 溶け合う影に忍んで来るのは
 すべてを覆うただ闇の夜
 夜がこのまま暗闇へ沈んでも
 二人継がれた心は隠せない

愛に満たされた世界。信頼する人の声さえも、堕ちてゆく二人に届くことはない。ただ、好き合ってはいけないという事実だけが重くのしかかってゆく。二人の愛は、本物なのに… と、僕は妄想全開で解釈した。何故なら、次の歌詞で「愛が深いとこんなにも悲しい」とあるからだ。つまり「悲しい」という言葉は “避けられない別れ” を示唆している。

 寄り添う影が溶けたらそれで
 もう決して離れないから 僕は
 心を継ぎ合えたらそれで
 もう決して離れないから 僕は

この部分、決して離れないのは「心」であって、僕らは別れることになるけれど心は離れることはないという男性側の心情(あるいは言い訳)とは考えられないだろうか。

もちろんバックコーラスにある「We’re together and eternally(私たちは一緒に、そして永遠に)」という歌詞を意訳すれば「僕たち結婚します」に捉えられるけれど、僕は「結ばれないけれど、二人の心は永遠に繋がっている」と妄想を膨らませた。

さて、ここで彼女目線の「時よ」の歌詞を突き合わせてみる。

 秘かに会った あの日の二人
 かなわぬ恋と 知ってても
 しぐさの裏に 隠されている
 言葉の意味が 重すぎて

ここで読み取れるのは直観的に不倫と理解できる言葉の数々。

先ほど「FUTARI」で綴られていた「もう決して離れないから 僕は」という歌詞が、「時よ」の歌詞「しぐさの裏に 隠されている」言葉の本当の意味であって、彼女は迫りくる “別れ” を静かに受け止めているのだろう。

僕の中の「時よ」と「FUTARI」が、ここで完全に繋がった。

 二度と会うのは やめにしようと
 心おさえて さよならを

どちらともなくこの結末を知っている…そんな切なさを、わずかな行数に収める類稀なるセンスに脱帽せざるを得ない。ドラマでいう「枷(かせ)」だ。好き同士でありながら結ばれることは許されないという狂おしいまでの気持ちに胸が張り裂けそうになる。

そして「時よ」の曲調はドラマチックな展開を見せ、“その時” に向かってゆく。

 夜が明けてゆく
 別れの時が来る
 苦しいほどに あなたを僕は
 抱きしめる
 抱きしめる
 抱きしめる

以前、吉田美奈子が歌う「時よ」のライブ映像を観た。3分30秒にも及ぶ間奏があり、彼女がベッドの中で愛する男に囁くように語りかける演出があった。

「時計を見ないで… 随分長い時間ここにいるね。今、何時?… もうそんな時間… もう少し、もう少し大丈夫でしょ」

それはもう生々しいひとり芝居であり、この情感を作り出すにはこうした経験がなければ不可能だと感じた。そう、この曲は吉田の内省的な部分、あるいは経験を露わにした作品だと断言したい。

―― と、ちょっと考え過ぎちゃいましたかね(笑)。いつか僕のこの妄想話を、吉田美奈子本人に問いてみたい。冷笑されて終わってしまうかもしれないけれど。

バラードの定番 “ハチロク” を、吉田美奈子は何故選ばなかった?

さて、山下達郎は、「時よ」を “ハチロク” と呼ばれる8分の6拍子のバラードに仕立て上げている。これに対して吉田の歌う「時よ」は8分の3拍子だ。このこだわりはなんだろう? 吉田の作曲はバラードでありながら “ワルツ” の雰囲気を取り入れていて、リズムを変えた達郎の重厚なバラードとは一線を画す。聴き比べると似て非なるものだと理解できるだろう。

吉田は、この別れの曲をただ哀しみに暮れるのではなく、少しでも華やかに演出しようと思ったのではないだろうか?手を取り合って見つめ合いワルツに身を委ね、そしてサヨナラをするゆったりとした時間の演出…そこに彼女の持つ女性らしさやセンスを感じてならない。

それは不倫の曲も然り。許されずとも人は人を好きになる。愛してしまうという人間の性は否めない。ただ、ふとした瞬間に「ちょっと心が揺れた」なんて経験をしたことがないだろうか?

人間だもの、本能的に “好き” が止まらないことだってあるはずだ。だからこそ人は心に反して別れを決めた “さよなら” に揺さぶられてしまう。そういった感情を曲で表現できるとは… 天賦の才というのは、きっとこういうものなのだろう。

※2019年3月1日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: ミチュルル©︎たかはしみさお

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