ウクライナは「ホロドモール」を忘れない!|小笠原理恵 ある者は「政治的妥結!」と叫び、ある者は「プーチンが停戦だと呼び掛けたのだから乗るのが筋だ」と叫ぶ。ウクライナが妥協すれば、平和な社会が戻ってくると本気で思っているのだろうか。約束を守らないのがロシアであり、ロシアの残虐性をウクライナは誰よりも知っている――。

ウクライナはなぜ停戦に応じないのか

ロシアのウラジミール・プーチン大統領は9月30日、ウクライナの東部ルハンスク、ドネツク、南部ザポリッジャ、ヘルソンの4州の住民投票賛成結果を理由にロシアへの併合を宣言、停戦交渉に応じるように呼び掛けた。西側諸国からは「偽の住民投票」と非難されている。なぜなら、軍事的占領地域で行う投票は国際法上認められていないからだ。

このプーチン大統領の停戦交渉の呼びかけに、日本維新の会の鈴木宗男参院議員が10月5日、「プーチン大統領が停戦だと呼び掛けたのだから乗るのが筋だ」と駐日ロシア大使の講演会で語った。さらに、「ミサイルを含め極めて攻撃的な武器を米国が供与するから戦争が長引く」とも述べ、欧米諸国の武器供与停止も訴えた。

これが大きな波紋となっている。鈴木宗男氏の胸中では、ウクライナが停戦を受け入れれば、一発の砲弾も飛ぶことはなくなり市民が命を脅かされることなく、安心して暮らせるようになると思い描いているのだろう。

しかし、戦時下の国家間で交わされる言葉を、額面通りにとらえるのは短絡的で危険だ。鈴木宗男氏の発言は、ロシアとウクライナ間の壮絶な歴史や現状を知らない発言だと感じさせられる。

最新鋭の武器供与でウクライナはロシアに占領された地域を再び奪還しはじめた。なぜ、ウクライナは他国から武器供与を受けてまで圧倒的な国力をもつロシアと必死に戦い、停戦交渉に応じないのか。停戦に合意すれば占領下の地域を含め、ウクライナ国民が凄惨な目に合うと危惧しているのだ。

ロシアは3月にマリウポリで民間人の避難用の「人道回廊」設置のための一時停戦に合意した。市民が避難する5日間は攻撃しないと約束したのにもかかわらず、ロシアは停戦を順守せず攻撃を続けた。すぐに市民達にはシェルターに戻るように指示されたという。

だまし討ちというしかない。国連を通じて合意した停戦をロシアは何度も裏切った。ウクライナがロシアの停戦の意思を信じるはずがない。その上、両国間にはソ連時代に飢餓で多くの人命を失ったホロドモールという歴史がある。この壮絶な歴史をウクライナは忘れない。

隠され続けたソ連による「ジェノサイド」

ウクライナは穀倉地帯だが、ロシア革命によって地主階級は消滅し、土地は国有化された。ソ連の五か年計画で集団農場による農業の集団化や富農撲滅運動でこれまでの生産体制は崩壊した。ソ連に逆らう反政府活動家は、次々に強制収容所に収容された。

1986年にイギリスの歴史学者ロバート・コンクエストは、1932~33年のウクライナにおける飢饉の死者数は500万人と推計した。さらに、1930年から37年にかけての農民の総死者数は1100万人。

飢餓で苦しむ農民は反政府活動をはじめ、強制収容所に送られてこちらでも多数の死者を出した。1930年から37年にかけて逮捕され強制収容所での死者数は350万人で、その間の死者は合計1450万人であった。

穀物は徴発され、ノルマを達成しない農民は弾圧や処罰をうけた。富農と認定されたウクライナ農民はソ連政府により強制移住で家畜や農地を奪われ、少ない家族用の食料や種子に至るまで強制的に収奪された結果、大規模な飢饉が発生したのだ。

明日を生きる食料まで奪われた人々はペットや道端の雑草、木の皮を食べ、病死した馬や死体を掘り起こして食べるしかなかった。さらに、チフスも蔓延し始め極限状態となったウクライナでは、子供を殺して食べるようなカニバリズム(食人)もおきたという。

このソ連による非人道的な政策から起きた大飢饉をウクライナ語でホロドモールという。ホロドモールを検索すると、当時の凄惨な写真や記事が数多く出てくる。

ホロドモールは飢えと殺害、絶滅、抹殺、疫病を意味する合成語で飢饉による殺害を意味する。このホロドモールを題材にした映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』が2020年に公開されたが、この映画の主人公である実在したイギリス人ジャーナリスト、ガレス・ジョーンズはこのスクープを全世界に発表した後、何者かに誘拐され非業の死を遂げている。

当時、世界恐慌により資本主義国家が不況に苦しむ中、モスクワは世界でも有数の豊かな都市として知られていた。しかし、その裏で行われていた虐殺、ホロドモールについては、ガレス・ジョーンズが世界に発表するまで隠され続けていた。

負ければ悲劇を繰り返し、尊い命が失われる

ソ連時代からロシアは諜報活動・情報統制に長けており、そこでは情報収集と分析・評価を行った上で、情報誘導や攪乱、はては暗殺・暴行・脅迫などを含めた強行策を行う。政権に不都合な意見をもつ人物の暗殺がウクライナへの軍事侵攻を契機に増えてきた。

9月1日に、ロシア2位の石油大手ルクオイルのラヴィル・マガノフ会長(67)がモスクワ市内の病院の窓から転落し、死亡した。ルクオイルはマガノフ会長の死は認めたものの、その死因は「重病の末」と説明している。発表に微妙な齟齬があることが、内外に様々な憶測をよんでいる。

同社では、5月にも役員のアレクサンデル・スボティン氏がシャーマン(宗教的職能者)を訪問した後、モスクワ近郊で死亡した。CBSニュースはこのアレクサンデル・スボティン氏はシャーマン治療中に使われたヒキガエルの毒で殺害されたのではないかと報じている。

他にも極東・北極圏開発公社(KRDV)社長が脳卒中で死亡。ガスプロムの金融証券部門副理事が遺書を残して自殺、実業家ミハイル・ワトフォード氏が邸宅のガレージで死亡。さらに、9月21日にはロシアのモスクワ航空研究所の元所長のアナトリー・ゲラシチェンコ氏が事故死した。

ノーベル平和賞受賞の独立系新聞、「ノーバヤ・ガゼータ」の編集長も3月に列車内で何者かに赤い塗料を浴びせられた――。

旧ソ連の諜報機関KGBを引き継いだのはFSB(ロシア連邦保安庁)だ。プーチン大統領は16年間KGBに所属した後、FSBの長官も経験している。プーチン大統領はウクライナへの軍事侵攻へ抗議する活動家をあぶりだし拘置所に収容している。

さらに、ウクライナや支配地域に住むウクライナ人を拘束し、スパイに変えて再びウクライナに送り込んでいるという。ロシアの占領地域に入れば、拘束された家族を人質にウクライナを攻撃する兵士にされるか、スパイにされるか、収容所に送られるか冷酷な選択肢が待っている。

ロシアに苦しめられてきたウクライナは、命の限り戦い続ける覚悟をしているのではないか。負ければ悲劇を繰り返し、尊い命が失われることを誰よりも知っているからだ。世界は日本が想像するほど善良ではない。ウクライナへの軍事侵攻の報道が、鈍化した危機感を目覚めさせた。

今こそ、国防力強化が急務である。

著者略歴

小笠原理恵

© 株式会社飛鳥新社