あれから45年!令和にセックス・ピストルズ「勝手にしやがれ !!」は響くのか?  今こそ求められる、閉じた世界を強引に破壊するようなパワーをもつ音楽ムーブメント

セックス・ピストルズ登場以前のパンクロック・ムーブメント

1977年10月28日、セックス・ピストルズのアルバム『Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols(勝手にしやがれ!!)』がイギリスでリリースされた(日本盤の発売はひと月遅れだったようだ)。このテキストを書いている2022年から振り返ると45年前のことだ。

セックス・ピストルズは1970年代のパンクロック・ムーブメントを象徴するバンドとして知られている。その活動期間はわずか3年という短さで、残したスタジオアルバムは1枚だけだ。けれど、それが逆に彼らが世界の音楽シーンに与えたインパクトの強さを物語っていると思う。けれど、そのインパクトの強さがゆえにセックス・ピストルズがパンクロックの元祖だという思い込みもあるようだ。けれど、実際にパンクロックのムーブメントが生まれたのは、セックス・ピストルズが誕生する以前のことだった。

1976年の冬から77年にかけて、僕は『レコードの本』というMOOK(雑誌スタイルの単行本)の制作に携わっていた。その中に、パティ・スミス(1975年 ファーストアルバム『Horses』発表)、ブロンディ(1976年 ファーストアルバム『妖女ブロンディ(BLONDIE)』発表)を中心に、ニューヨークのパンクシーンを紹介するレポートがあった。僕がパンクロックを最初に強く意識したのはその時だった。

このレポートをきっかけに、パティ・スミスやブロンディだけでなく、ニューヨーク・ドールズ(1973年 ファーストアルバム『ニューヨーク・ドールズ』発表)、テレビジョン(1975年 ファーストシングル「Little Johnny Jewel」発表)、ラモーンズ(1976年 ファーストアルバム『ラモーンズの激情(Ramones)』発表)など、ニューヨークのパンクアーティストのレコードも聴くようになっていた。

ニューヨークのパンクロッカーと印象が違ったセックス・ピストルズ

セックス・ピストルズやロンドン・パンクシーンのニュースを聴いたのはその少し後だった。

しかし、同じパンクロックという言い方をしていたけれど、ニューヨークのパンクロッカーとセックス・ピストルズの印象はかなり違っていて、正直、かなり違和感があった。

大雑把な印象だけれど、ニューヨークのパンクシーンは、ベトナム戦争などの社会不安へのフラストレーションを背景にしながらも、1960年代のブルース・プロジェクトやベルベット・アンダーグラウンドなどのニューヨーク・アンダーグラウンド・バンドの流れを汲む、アート色の強いカウンターカルチャーというニュアンスのムーブメントで、どちらかといえばアナーキーだけれど知的な匂いもあった。

それに対してセックス・ピストルズに感じたのは、ストレートにぶつけてくる反抗心の強さだった。ヘアースタイルや安全ピンなどのファッション要素や曲の内容からは、閉塞感にあふれた社会情況の中で必死で抗っている貧困層の悲壮感や捨て鉢な怒りのような感覚だった。

僕は、そんなセックス・ピストルズに対して、共感と違和感を同時に抱いていた。

後になって、セックス・ピストルズの生みの親であるマルコム・マクラーレンがニューヨークのパンクシーンに接して刺激をうけたこと、そしてロンドンにパンクバンドを誕生させることを思い立ったことを知った。マルコム・マクラーレンはヴィヴィアン・ウェストウッドとともに経営していたブティック「SEX」の客だったアマチュアバンドをもとにセックス・ピストルズをつくりあげ、そのプロデューサーとなった。そして、彼によってセックス・ピストルズの過剰にスキャンダラスなイメージが演出されていたことも知った。

メジャーなロックに対するアンチテーゼ。ロンドン・パンク・ムーブメント

僕がセックス・ピストルズに感じていた違和感には、マルコム・マクラーレンがロンドン・パンク・ムーブメントを仕掛けた際のオーバープロデュースの影響がかなりあったのかなと思う。だから当時僕は、セックス・ピストルズよりも、ザ・クラッシュ(1977年 ファーストアルバム『白い暴動(The Clash)』発表)やダムド(1977年 ファーストアルバム『地獄に堕ちた野郎ども(Damned Damned Damned)』)、ストラングラーズ(1977年 ファーストアルバム『夜獣の館(Rattus Norvegicus)』を発表)などの同時代のパンクバンドの方がすんなり受け入れられる気がしていた。

シンプルでワイルドなロックンロールという基本的スタイルは共通していたけれど、ニューヨークのパンクロックには、社会に対する反抗の要素とともにロックの多様な表現の可能性を追求する先鋭的な実験のひとつというイメージがあった。それに対してロンドンのパンクには、階級社会の矛盾や1960年代から続く深刻な経済不況に対する不満の表明と同時に、メジャーなロックの動向に対するアンチテーゼという攻撃的ニュアンスが強く感じられた。

考えてみれば、ビートルズを筆頭に台頭した1960年代ブリティッシュ・ロック・ムーブメントは、アメリカでそのスピリットを失っていたロックンロールの再生でもあった。そして、そこからさらにさまざまな音楽要素を取り入れるなど新たな表現の可能性を追求することで、ロックはアーティスティックでクリエイティブなカルチャーとして世界に広がっていった。

しかし、それとともにロックのパフォーマンスも大がかりで派手なものが増えていき、ロックはレコードセールスをも含めたビッグビジネスになっていった。ブリティッシュ・パンクはそうしたロックの高尚化やビジネス化に対するアンチテーゼの意味合いが強かったという気がする。

ビートルズに出会った感覚。セックス・ピストルズの特異性とは

かつてビートルズなどの60年代ビートグループが蘇らせたロックンロールの根源的なエネルギーと不良性を、肥大化したロックビジネス全盛の時代にたたきつける。パンクにはそうした意義が確かにあったハズだ。だから、ブリティッシュ・パンクのムーブメントに触れた時、僕はビートルズに出会った時の感覚に近い懐かしさも感じていた。

ビートルズ自体、ロックンロールのスピリットを受け継ごうとする意志と、自分たちならではの表現を追求しようとする指向を合わせ持っていた。さらに当時のブリティッシュシーンには、ザ・フー、キンクスなど、ビートバンドというスタイルを堅持しながら表現の可能性を追求していったグループが確実に存在していた。

こうした動きは1970年代に入っても、ハードロックやプログレッシブロックなどの動きとは一線を画し、ブリンズリー・シュウォーツ、ニック・ロウなどのパブロックといった形で受け継がれていく。

音楽的な流れで言えば、イギリスのパンクロックのムーブメントは、こうしたビートロックの系譜の上に置くことができるのだと思う。そしてこの流れはエルヴィス・コステロ、ポリス、さらにはザ・ジャムからスタイルカウンシルへといったニューウェイブシーンにもつながっていったのだと思う。ところが、セックス・ピストルズをこの流れに置こうとするとどこか浮いた感じがしてしまうのだ。

それは彼らの成り立ちの特異性が影響しているのかもしれない。ギターのスティーブ・ジョーンズとドラムスのポール・クックはもともとアマチュアバンドを組んでいたが、そこにマルコム・マクラーレンがベースのグレン・マトロックと、音楽経験がほとんどないヴォーカルのジョニー・ロットンを急きょ参加させたという文字通りの急造バンドだった。

しかも、メンバーのなかでは音楽性が高く、主要な楽曲を作曲していたグレン・マトロックはアルバム『勝手にしやがれ!!』発売前にグループを脱退、替わりにベーシストとして加入したシド・ヴィシャスは演奏力に問題があったけれど、マルコム・マクラーレンは、バンドは下手な方がいい、という考えからむしろ歓迎したという。

プロデューサー、クリス・トーマスの功績

確かに、バンドには演奏力に問題があることで醸し出されるインパクトや魅力があることもわかる。けれど、パンクを音楽性ではなくスキャンダリズムなどの社会的話題性やファッション性を軸に捉えていたであろうマルコム・マクラーレンの方針によって、セックス・ピストルズはインパクトこそ強烈だけれど、音楽的系譜の中に置きにくい孤高の存在になってしまったのではないか、という気もする。

それでも『勝手にしやがれ!!』は、ロックの名盤と呼ぶにふさわしいアルバムだと思う。ジョニー・ロットンのヴォーカルからは言いようのない切迫感が伝わってくるし、その言葉はまさに彼自身のものだ。そして演奏自体も荒っぽいけれど意外と聴きやすくまとまっている。

これはプロデューサーに起用されたクリス・トーマスの功績も大きいのではないかと思う。彼はビートルズの『ホワイト・アルバム』のアシスタントから出発し、プロコル・ハルム、ロキシー・ミュージック、さらにはサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』(1974年)までを手掛けている売れっ子プロデューサーだった。

クリス・トーマスの起用を提案したのはドラマーのポール・クックだったというが、クリス・トーマスはセックス・ピストルズが持っていたプリミティブな迫力や熱い表現衝動を生かしながら、そのサウンドをすっきりと聴きやすく仕上げている。それは、ジョニー・ロットンたちがその楽曲に込めようとしている現状に対する鬱屈や怒りを理解して、それをリスナーに伝わりやすい “音像” に整えるという、いわば通訳的役割を果たしているという気がする。

『勝手にしやがれ!!』を発表した翌1978年、セックス・ピストルズはアメリカツアーを行う。しかし、その途中でジョニー・ロットンがグループから脱退。ツアーは中止となり、セックス・ピストルズは解散してしまう。スキャンダラスな話題づくりを主軸としたマルコム・マクラーレンの方針が、結果としてバンドメンバーとの亀裂を広げていった結果と言えるだろう。

その結果として、セックス・ピストルズの音楽よりも、メンバーの常軌を逸した言動に注目が注目が集まり、最終的にシド・ヴィシャスの破滅的な生き様がパンクの象徴と見られるような風潮も生まれていった。たしかにパンクにはむき出しの人間ドラマとしての側面があって、その強烈さが大きな魅力になっていることもわかる。けれど、それが音楽としての評価となってしまうと、やはり違和感はある。

セックス・ピストルズ、パンクロックの時代を越えた普遍的有効性

その意味では、セックス・ピストルズ脱退後にジョン・ライドンと改名して新たなバンドPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成し、より音楽的な実験を行っていったジョニー・ロットンにはシンパシーを覚えた。

セックス・ピストルズが音楽史の中で果たした功績とは、なにより1970年代後期というロックビジネスの爛熟期に、余計な要素をそぎ落としたロックンロールの本質的スピリットを突きつけ、自分たちのサウンドでロックの価値観を問い直すという、いわばルネサンス的役割を果たしたとことにあると思う。

さまざまなジャンルからムーブメントが生まれ、それが多彩なバリエーションとともに盛り上がっていくことで音楽文化が豊かに発展していくという歴史がある。しかし、音楽性やエンターテイメント性が高度になり、様式としての完成度が上がることと引き換えに、その音楽が本来持っていたスピリットが失われてしまうリスクも抱えている。だからこそ、ムーブメントが盛り上がる時に、その原点を確認することは大きな意味がある。

セックス・ピストルズをはじめとするパンクロックの、時代を越えた普遍的有効性とはそこにあるのではないかと思うのだ。

例えば、一見多彩にも思えるけれど、実は現在の日本のメジャーシーンはかなり狭い範疇のアーティストによって構成されているという印象がある。それらのアーティストによる限られた範疇の音楽が反復され続けているシーンは。華やかさの陰に閉塞感も忍び寄っているのではないかとも感じられる。

そんな閉じたシーンに風穴を開け、本当の意味での多様性と生命力をもった次の時代の音楽シーンを切り拓いていくためには、形はまったく違うものに見えるかもしれないが、かつての音楽シーンにセックス・ピストルズそしてパンクロックが果たしたような、閉じた世界を強引に破壊するようなパワーをもつ音楽ムーブメントが求められているという気もするのだ。

カタリベ: 前田祥丈

アナタにおすすめのコラム モンキーズ、ピストルズ、フィンガー5、踏み台に選ばれたのは誰なのか?

▶ セックス・ピストルズのコラム一覧はこちら!

80年代の音楽エンターテインメントにまつわるオリジナルコラムを毎日配信! 誰もが無料で参加できるウェブサイト ▶Re:minder はこちらです!

© Reminder LLC