忌野清志郎のバンドマンとしてのビギニングRCサクセション初期の傑作『シングル・マン』

『シングル・マン』('76)/RCサクセション

今週はどのアーティストの名盤にしようかとあれこれ見ていたら、2015年に発売されたRCサクセションのベストアルバム『KING OF BEST』が、11月16日にハイブリッドSACD化で再発されることを知った。清志郎のソロ関連は当コラムで何度か取り上げているが、RCは連載がスタートしたばかりの頃に『RHAPSODY』を紹介したっきり。なぜかそれしか紹介してこなかった。RCにはまだまだ名盤がある。そんなわけで、今週はRCの最初期の作品のひとつ、『シングル・マン』について書こうかと思う。1980年に同アルバムが再発された時のLPレコードの帯になぞらえれば、こんな素晴らしいレコードをここまで紹介してこなかったことを恥じ入り、反省している次第です。

RCのブレイク直前で再発

筆者が初めてRCサクセション(以下RC)を聴いたのは1981年だったと思う。RCの最初のベスト盤『EPLP』だったと記憶しているが、もしかすると『PLEASE』だったかもしれないし、『RHAPSODY』かもしれない。いずれにしても、いわゆるブレイク期というか、忌野清志郎(Vo)を筆頭に、小林和生(Ba)、仲井戸麗市(Gu)、新井田耕造(Dr)、Gee2wo(Key)の5人編成のバンドになってからの音源である。その後、『BLUE』も聴いたし、1982年発売の『BEAT POPS』はレコード店で揚々とフライングゲットした記憶があるし、同年にカセットテープのみで発売されたライヴ盤『Yeahhhhhh...at武道館』はその『BEAT POPS』がリリースされるまでの間、愛機SONYウォークマンII WM-2でのヘビーローテーションだったこともよく覚えている。要するに自分の10代半ばはほぼRC漬けだった。下手くそなRCのコピーバンドも組んだ。「よォーこそ」のソロが演奏できずに四苦八苦。学園祭で披露するも結局上手くいかずに恥ずかしい思いをしたことも今となっては懐かしい思い出である。以後、1986年の『the TEARS OF a CLOWN』もめちゃくちゃ聴いたし、『COVERS』(1988年)も『TIMERS』(1989年)もリアルタイムで受け止めた(『TIMERS』はRCでも清志郎でもないけどね…)。1980年代に最もよく聴いたバンドは間違いなくRCである。

話は前後するけれど、『EPLP』(か『RHAPSODY』『PLEASE』辺り)でスタートした筆者のRC歴だが、当然それ以前の音源も遡って聴くことになる。1972年の1st『初期のRCサクセション』、2nd『楽しい夕に』、そして1976年の3rd『シングル・マン』。この3作がまさに文字通りの“初期のRC”。1980年以前であれば入手困難であったろうが、ブレイク期直前の1979年、[RCの新譜を待ちかねていた音楽評論家の吉見佑子が中心となり、「新譜が出せないのなら、廃盤となってしまった『シングル・マン』をファンの元へ」と叫び、「シングル・マン再発売実行委員会」を設立、吉見が事務局長となり、ポリドールへ同アルバムの再発売を働きかけ]たことで、1980年に『シングル・マン』が再発([]はWikipediaからの引用)。“初期のRC”の3作はいずれも入手できる状況ではあって、自分では買わなかったけれど、誰かが所有していたものを借りたか、あるいはレンタルレコード店で借りたかして聴いた。で、どうだったかというと…微妙だった。正直言ってピンと来なかったのである。

ただ、我がことながら、それは今でも止むなしだったと考える。仲井戸麗市=チャボの鳴らす、ぶっといレスポール。新井田耕造=こうちゃんの叩く、これまたぶっといスネア。そして、清志郎の歌詞。《どうしたんだ Hey Hey Baby/バッテリーはビンビンだぜ/いつものようにキメて フッ飛ばそうぜ》(「雨上がりの夜空に」)や《そうさおいらは一番キモちE だれよりも/キモちE サイコー サイコー/かかかかかんじる キモちE E》(「キモちE」)辺りに衝撃を受けた少年にとって“初期のRC”はちょっと地味に感じられた。周りのRC好きの中には♪2時間35分〜とか♪ぼくの好きな先生〜とか口ずさんでいた奴もいたけれど、当時の自分はやっぱりBabyやYeahがほしかったのだろう。辛うじて、「ヒッピーに捧ぐ」と「スローバラード」の入った『シングル・マン』は、それらの曲をコピーするために聴いたものの、『RHAPSODY』以降の作品に比べると再生回数は圧倒的に少なかった。「ヒッピーに捧ぐ」と「スローバラード」はLPでB面収録だったので、B面ばかり聴いていた記憶もある。

要するに、お子様の自分には“初期のRC”がよく分からなかったのだ。ゴダイゴやYMOが大ヒットしたり、サザンオールスターズがすでに一定の評価を得たりしていた1980年前後。自分にとって刺激的なのはバンドだった。フォークギターではなくエレキギター。メンバーにベースとドラムがいてこそ音楽だ…くらいにも思っていたのだろう。味覚同様、お子様の聴覚とはそんなもんだ。ただ、そこから年月を経て現在に至るまで、その後のRC作品、清志郎のソロ作品、あるいは清志郎が影響を受けたバンド、アーティストの作品、さらにはRCや清志郎からの影響を公言するバンド、アーティストの作品を聴くにつれ、“初期のRC”、とりわけ『シングル・マン』の自分内評価は上がっていった。おこがましい話だが、この辺も味覚に似ている。秋刀魚のワタを好んで食べる子供はいないけど、進んで食す大人はいる。そんなところではないかと思う(何か微妙に違う気もする…すみません)。真面目なところ、これは今回超久々に聴いてみて思ったことでもあるけれど、この『シングル・マン』というアルバム、なかなか複雑だ。個々の楽曲もなかなか個性的。ひと口に語るのは簡単ではないのである。お子様の耳に馴染まなかったとしても仕方がない…と、個人的に今さら言い訳のひとつもしてみたくなる作品なのだ。

R&B;、フォーク、 ロックンロール、サイケetc.

オープニングM1「ファンからの贈り物」は軽快なキーボード、ギター、ブラスセクションに彩られたイントロから始まるナンバー。ドラムのバランスがやや後ろで小奇麗な感じもするけれど、完全なバンドサウンドで、この時のRCは清志郎、小林に破廉ケンチ(Gu)を加えた3人であったものの、そもそも清志郎はフォークトリオみたいなことをやろうとしていなかったことがはっきりと分る。ファンキーでソウルフル。間奏のトランペット、サックス、ギターのソロ廻しも、いかにもバンド的だ。歌のメロディーも今となっては清志郎らしい。ハーモニーによるCメロの《ファンからの贈り物 どうもありがとう》の箇所を、GAROっぽいとかTHE ALFEEっぽいとか言うと、いずれのファンにも怒られるかもしれないけれど、清志郎もCrosby, Stills, Nash & Young辺りからの影響があったというから、似通って当たり前だろう。

小林がメインヴォーカルのM2「大きな春子ちゃん」はアコギ基調で、今回聴いて“子供の頃の自分はこういうのが何か嫌だったんだわね”と思ったりもした。コーラスワークもM1のCメロに近く、やはりフォーク寄りではあると思う。ただ、事はそう単純ではない。ストリングスの重ね方はアメリカンな印象もあるし、アウトロ近くにはドゥワップ的なコーラスも聴こえてくる。ドラムのフィルも多彩で、いわゆる日本のフォークとは一線を画していたと思う。お子様にはそれが分からなかった。

続く、M3「やさしさ」は「スローバラード」がシングルリリースされた際、そのB面に収録されていたナンバーで、今思うとB面らしいと言えばB面らしい楽曲ではあるように思う。とにかく進行が面白い。いや、はっきり言えば妙な進行である。マーチングビートに乗ったキラキラとしたシンセ(たぶんシンセ)から始まって、冒頭こそ歌メロも親しみやすいのだけれど、《ずるい人だ 君は》のあとで転調。《(ずる ずる ずる ずる・・・・)》以降は何か不穏な空気が支配していく。清志郎のシャウトも延々と続き、かなり狂気じみた感じ。ここのパートは何かが決定的に壊れたような印象がある。その後、再び親しみやすいパートに戻るものの、アウトロでのブラスの鳴りにはまだ少し狂気が宿っているようで、聴いていて何とも居心地の悪さがある。まったく一筋縄ではいかない。“そう言えば、当時聴いた時もこの辺がよく分からなかったなぁ”なんて、また記憶が蘇った。バンド編成じゃないことやフォーキーな感じもさることながら、当時の自分はこうした変化球も馴染めなかったのだと思う。

M4「ぼくはぼくの為に」はロックンロールで、跳ねたピアノやシェイカーでスピード感を出したリズムが、のちの「ダーリン・ミシン」(アルバム『PLEASE』収録)辺りにも似た雰囲気。所々でシャウトもあって、だいぶワイルドではある。その意味では、バンドでのRC好き、即ちお子様の自分も好まれそうなカッコ良いナンバーだが、たぶんM3を敬遠したことも影響したのだろう。M3に続くM4を当時積極的に聴いた記憶がない。

その後のM5「レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり)」も不思議な楽曲だ。こちらは超変化球と言ってよかろう。前衛的というか実験的というかサイケデリックというか、今も何と表現していいか分からない。『シングル・マン』は当時B面ばかり聴いていた…と前述したが、それはバンドでコピーするためでなく、M3とM5を聴こうとしなかったからだったような気もしてきた。

M6「夜の散歩をしないかね」はメロウなピアノによるジャジーな逸品である。清志郎の歌は相変わらずだが、アレンジはちょっと大人っぽい。もしかすると、この辺の垢ぬけた感じも子供には分からなかったのかもしれない…と、これまた今思った。つまり、『シングル・マン』はバラエティー豊かすぎるのだ。LPのA面だけでもR&B;、フォーク、ロックンロール、サイケ、アヴァンギャルドと、まるで雰囲気の違う楽曲が収められている。今、聴くと、“よくぞ、これだけ個性的なナンバーを集めたものだ”と、清志郎たちのクリエイティビティに驚く。その後の音楽シーンで縦横無尽に八面六臂の活躍を見せた忌野清志郎というアーティストのビギニングを見るかのようだ。

バンドの代名詞的名曲も収録

すでに結論が出たような感じもするが、せっかくだからB面も見ていこう。個人的によく聴いたことも関係してか、B面はA面よりもすっきりとしている気がする。M7「ヒッピーに捧ぐ」はRCファンならば知らない人はいない名曲のひとつ。本作収録曲のほとんど編曲をモップスのメンバーであった星勝が手掛けていて、一説には清志郎はそのアレンジを気に入ってなかったとも言われている。きちんとしすぎているきらいは確かにあて、その辺がお気に召さなかったようだが、このM7に関して言えば、重めのストリングスやキラキラとしたシンセ(たぶんシンセ)の音色と、ブルージーなバンドサウンドとの融合はかなりいい具合だと個人的には思う。特にアウトロ近くで哭いているかのような清志郎のシャウトを支えるユニゾンのギター、ベースの旋律は秀逸だし、そこにコーラスが重なって賛美歌のように聴こえる箇所はお見事だと思う。当時のスタッフの逝去を描いた歌詞に合っている。

M8「うわの空」はブルースだろう。これもGAROとかBUZZっぽいと言うと、またいずれのファンにも怒られるだろうが、未聴の人に楽曲の雰囲気は分かってもらえるのではないだろうか。つまり、コーラスワークもいい楽曲である。ストリングスもきれいだ。

M9「冷たくした訳は」はアコギ基調でありつつも、アップテンポのロックチューン。R&B;的なブラスもあしらわれている上に、間奏ではエレキギターも鳴っていて、清志郎の♪ガッタガッタ〜も飛び出すし、完全にのちのバンド編成に通じるところがある。

M10「甲州街道はもう秋なのさ」もファンのよく知る名曲。[レコーディングでは星勝アレンジによるストリングス・パートが録音されたが、後にメンバーのみで再度トラックダウンされ、これがほぼ取り除かれている]そうである([]はWikipediaからの引用)。前半のベースは弓で弾かれているように聴こえて、何ともサイケな雰囲気。丁寧に重ねられた楽器のアンサンブルと鬼気迫る印象の清志郎のボーカルとが生み出す緊張感が、《うそばっかり》と繰り返される歌詞の世界観を奥深くしているように思う。

アルバムのラストはRCを代表するナンバーのひとつ、M11「スローバラード」。改めて聴くと、歌のメロディーと歌詞がいいことはもちろんのこと、イントロから流れるピアノの旋律と、全体を彩るホーンセクションも同曲になくてはならない要素であることが分かる。イントロのピアノはもちろんのこと、ホーンのアレンジもその後のさまざまなライヴ録音を聴く限り、大きな変化はない。それにも気付く。このレコーディングに参加したTower of Powerのテイクは、その後、RCのサポートを務めることになる梅津和時(Sax)や片山広明(Sax)らによる生活向上委員会(のちのブルーデイ・ホーンズ)に比べてきちんとした印象ではあるが、ここでのアレンジがあってこそ、同曲はジャパニーズソウルの傑作となったのだろう。躍動感溢れる梅津や片山の演奏もいいが、Tower of Powerもまた素晴らしいと思う。

ひと口に語るのは簡単ではないとは言ったものの、こうしてザっと解説してみると、前述した通り、その後のRC、そしてRCの活動休止後に清志郎が展開したワークスの礎のようなものを感じる『シングル・マン』である。歌詞も実に奔放だ。

《贈り物をもらったら ぼくがあの娘に贈るのさ/つまらないものは ゴミ箱に捨てるぜ》(M1「ファンからの贈り物」)。

《誰もやさしくなんかない/君と同じさ いやらしいのさ/誰もやさしくなんかない/だからせめて 汚ないまねは/やめようじゃないか》(M3「やさしさ」)。

《バイバイ 君といたってしょうがない。/バイバイ お別れにキスでもしようか/感違いにまたがって 君は泣くことができる/ぼくはおりるよ さようなら/いつまでもお元気で》(M4「ぼくはぼくの為に」)。

《君を傷つけたけれど ぼくは乱暴者じゃないよ/やさしくだってできるさ/君にやさしく》(M9「冷たくした訳は」)。

《ぼく まっぴらだ/もうまっぴらだ/これからは来ないでくれないか/ぼくもうまっぴらだよ/うそばっかり/うそばっかり/うそばっかり/うそばっかり》(M10「甲州街道はもう秋なのさ」)。

M6、M7、M11辺りはストレートに優しさ、柔らかさを感じさせつつも(M8もそんなニュアンスがあるかもしれないが)、上記の歌詞にはあっさりとしたところもあっけらかんとしたところもあるし、怒りもある。意味や背景がよく分らないものもあるが、はっきりとした物言いであることは間違いないだろう。清志郎自身が本作制作時を振り返ったインタビュー記事を読むと、歌詞では自身の想いを包み隠さなかったようではある。物語の整合性はないが、自身が思ったことを歌詞にしているという点では一貫していたと思われる。そんなアーティストであったから、その後、反原発も反戦反核も歌詞にしたし、それが発売禁止となれば怒るのも無理はない。歌いたいことを止めるのは自身にはできなかったのだろう。たとえ、それがテレビの生放送だったにせよ…である。『シングル・マン』の歌詞からものちの不屈さはうかがえるところである。

TEXT:帆苅智之

アルバム『シングル・マン』

1976発表作品

<収録曲>
1.ファンからの贈り物
2.大きな春子ちゃん
3.やさしさ
4.ぼくはぼくの為に
5.レコーディング・マン(のんびりしたり結論急いだり)
6.夜の散歩をしないかね
7.ヒッピーに捧ぐ
8.うわの空
9.冷たくした訳は
10.甲州街道はもう秋なのさ
11.スローバラード

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