ビジネスパーソンが備えるべき「ファイナンス力」とは? 専門家に聞く

大津広一さん

企業財務を読み解くうえで欠かせないのがファイナンスの知識・スキル。ファイナンスと聞くと資金調達をイメージしがちだが、守備範囲はこれにとどまらない。設備の新増設、研究開発、マーケティング、人材採用、新規事業、海外進出、M&A、不動産取得…。企業のあらゆる事業活動を数値化するためのツールとして重要な役割を担う。

ビジネスパーソンが身につけるべきファイナンス力とは。経営コンサルタントで、ビジネス・ブレークスルー大学や早稲田大学のビジネススクールでも教鞭をとる大津広一さんに聞いた。

欧米との意識の差は否めず

-常日頃、「日本のファイナンス力」を高めたいとの思いで活動されていると聞きます。

私が専門とするファイナンスとアカウンティングはビジネススクールにおける2大定量的分野。いずれもビジネスの共通言語にほかならない。ところが、財務・経理部門を除き、大部分の社員にとっては苦手意識や食わず嫌いなところが否めない。数多くの企業で講師を務めてきた率直な感想だ。この辺りは欧米と明らかに意識の差がある。

海外のビジネスでは何事も数字から入ることが多いが、日本の場合は文化的な背景もあり、数字の話は最後といった面がある。日本がかつてのように製品や技術で世界市場をリードしている時代はそれで良かったかもしれないが、巻き返しを図ろうというときに、ビジネスの共通言語の力が弱いと、なかなか入り込めないのではないか。

とりわけ、ファイナンスの分野はアカウンティング以上に普段聞きなれない言葉や理論が出てくる。アカデミックな部分を大事にしながらも、実務でどう使われるのか、どこを押さえておけばいいのか、ビジネスサイドから伝えることを心がけている。

-改めて、ファイナンスとは何か教えてください。

ファイナンスは日本語でいえば、財務あるいは企業財務。ただ、ファイナンスを「財務」とわざわざ翻訳して呼ぶことはあまりない。かたや、アカウンティングは歴史が長く、「会計」という言葉が定着している。

実際、学生が「会計を学んでいます」と言えば、おおよそのイメージがつく。これに対し、「財務を学んでいます」と言われても、人によって内容は異なる場合が多く見受けられる。このため、カタカナのままファイナンスを用いるのが一般的で、混乱も少ない。

ファイナンスは何も資金調達の話だけではない。将来の事業を構想し、具体的な数値に落とし込むために必要となるのがファイナンスの理論。事業を数値化することで、最適な意思決定の手立てとなり得る。

大津広一さん

価値算定のツールを提供するファイナンス

ー具体的には。

企業価値の最大化はどの企業も否定しない。要は最終的に定量的な価値に結び付かなくてはいけない。企業価値を評価・算出(バリュエーション)するツールを提供するのがファイナンスであり、そのベースとなる決算書は会計の分野。会計を分かっていないと、ファイナンスも分からない。

会社存続のためには適切なリターンを資金のステークホルダーに返していかなければならない。リターンの源泉は企業価値。思うように成果が出なければ、経営陣への株主の圧力は増す。今や株主の批判の矛先が社外取締役に向かうことも珍しくない。リターンの還元についてコミットメント(公約)が求められる時代となり、ファイナンスの重要性が一層高まっている。

ー例えば、フリーキャッシュフロー(FCF)は会計でも出てきますが、ファイナンスの分野とどう違うのですか。

FCFとは本業のビジネスで正味稼いだ、使い道が自由なおカネを表す。この前提は会計もファイナンスも同じ。では何が違うのかといえば、見ている方向が過去か未来かで違う。会計上のFCFは過去の報告(キャッシュフロー計算書)であるのに対し、ファイナンスのFCFは目の前にある事業計画の将来の予測に基づく。つまり、将来のFCFの現在価値を求める。

もう一つの大きな違いはキャッシュフロー計算書が会社全体のおカネの流れを表すのに対し、ファイナンスにおいては事業やプロジェクト、あるいはM&Aに個別にフォーカスする。


資本コストを意識した経営が動きだす

ー2018年に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでは、資本コスト(株主の期待収益率)の重要性が示されました。企業経営に何か変化が出ましたか。

ガバナンス改革の流れの中で、資本コストを意識しなさいよ、という文言が盛り込まれた。これを受け、NPV(正味現在価値)、IRR(内部収益率)、ROIC(投下資本利益率)といった指標を取り入れて、資本コストを踏まえた意思決定の動きが急速に進んでいるのは間違いない。企業が公表している中期計画などを見れば、明らかだ。

新規投資や事業の撤退による事業ポートフォリオ見直しなどの判断に際し、NPVやIRRを用いるケースが増えている。部門別の業績管理指標としてはROICの活用が主流になりつつある。

実際、2018年以降、資本コストをテーマとする研修の依頼がぐっと増えた。特にマネジャー・部長、役員クラスの研修ではROICについて必ず触れてほしいと言われる。ある大手の電機メーカーではROICに絞って3時間講演したことがある。

ーつまり、ガバナンス・コードを理解するためにはファイナンスを分かっていないと、響かないというわけですね。ファイナンスには難解そうな理論や計算式がつきものですが、主要指標とされるNPV、IRR、ROICではどういう違いがあるのですか。

簡単に整理すれば、ROICは単年度で評価し、NPV、IRRは複数年度で評価する。ROICは株主や銀行などから調達したおカネを使ってどれだけの利益を出しているかを示す。ただ、昨今のROIC経営が行き過ぎると、短期志向の経営につながるおそれがある。

NPV、IRRは将来のキャッシュフローを予測して現在価値を算出する点で共通する。したがって、どちらを用いても本来、意思決定は同じになるはず。そのうえで違いを挙げると、途中のプロセスや価値そのものを議論する場合はNPVを重視すべきなのに対し、予算に制約がある中で複数のプロジェクトから優先順付けを行う時や、割引率が明確に定まらないケースはIRRが好ましい。

要は、それぞれの指標の優位性を十分に理解して使いこなしていくことが求められる。

M&Aはインカム・アプローチが最も合理的

ーM&Aでは買収金額を決める際、バリュエーションが肝となります。

その方法には主にコスト、マーケット、インカムの3つのアプローチがある。社員を中途採用する場合の給与を例にすれば、違いが分かりやすい。前職の給与をベースにする考え方がコスト・アプローチ。同業他社の似たようなポジション、年齢の人と比較するのがマーケット・アプローチ。これに対し、インカム・アプローチは極端に言えば、前職も他社の給与も関係ない。新製品開発や販路拡大などへの将来の貢献に着目しておカネを払う。

もちろん、値段を決めるのに絶対の正解はない。M&Aであれば、なおさらだ。ただ、その場合に最も合理的で理論が通っているのがインカム・アプローチであることは間違いない。なぜなら、売買の対象は将来。買い手が手に入れるのは将来であって、過去でも、現在でもない。したがって、大部分のM&Aでは将来の予想キャッシュフローを適切な割引率で割り引いて現在価値を算定することが行われる。

ーファイナンスの重要さ、おもしろみは?

先に述べた3つのアプローチを使えば、いろいろなモノにまつわる価値の考え方が見えてくる。買い物など私生活の場面でもいろいろと役立ち、身近に感じてもらえるのではないだろうか。今払おうとしている価格が、コストに基づくのか、マーケット(相場)に基づくのか、インカム(消費者のメリット)に基づくのかと思考してみると良いだろう。

もう一つ挙げれば、リスクとリターンの関係。ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンという言葉がある。リスクとは不確実という意味。上に振れれば、大儲けだし、下に振れれば大損する。これは人生観にも当てはまる。

日本語に話半分という表現がある。いい加減なことばかり言う人の話はたくさん割り引いて聞いた方が良いということだ。将来のリスクが高い、不確実な事業は、高い割引率で割り引くというファイナンスの考え方に通じるものである。

大津 広一(おおつ・こういち)さん
1989年慶大理工卒。米ロチェスター大で経営学修士(MBO)。富士銀行(現みずほ銀行)、英バークレイズ証券などを経て、2004年オオツ・インターナショナルを設立。会計と財務を中心に、日本語と英語による実践的マネジメント教育に従事。米国公認会計士。

ビジネス・ブレークスルー大院客員教授。早大院経営管理研究科、慶大理工学部でも非常勤教員を務める。最新著は「ビジネススクールで身に付ける ファイナンス×事業数値化力」(日本経済新聞出版)。ほかに「ビジネススクールで身につける会計×戦略思考力」(同)、「企業価値向上のための経営指標大全」(ダイヤモンド社)など多数。

9月に発売した最新著

聞き手・文:M&A Online編集部 黒岡 博明

M&A Online編集部

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