ディスコブームの終焉… その時アース・ウィンド・アンド・ファイアーはどうした?  演奏力に裏打ちされたハデなイメージ戦略で増えていった “アース” ファン

__リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜 Vol.36
Earth, Wind & Fire / Faces__

アース・ウィンド・アンド・ファイアーは分かりやすいスピリチュアリズム

70年代末の大ディスコブームを通過した人たちには、“Earth, Wind & Fire” = “アース” はディスコサウンドの代表的なバンド、というイメージが強いのではないでしょうか? 私は1978〜79年、音楽出版社の社員としてディスコプロモーションを命ぜられ、夜毎歌舞伎町に通いましたが、数多(あまた)あったディスコチューンの中で、ひときわカッコよかったのが、アースの「September」と「Boogie Wonderland」でした。綿密でありながらムダのないアレンジと、シャープでダイナミックな演奏力から生まれるグルーヴは、今なお色褪せませんが、当時は、特に以前からのファンには、「日和った」という批判の声も少なくなかったそうです。れっきとした「ファンクバンド」なのにディスコに走るなんて商業主義だ、というわけですね。でも、アースは以前から商業主義的な側面はしっかり持っていたと思います。

Warner時代の最初の2作は、リーダーのモーリス・ホワイト(Maurice White)と弟でベースのヴァーダイン(Verdine White)以外はメンバーが違い、音楽もまだ焦点が定まってない感じですが、Columbia移籍後は一定の方向性のもと、驀進していきます。その方向性とは一言で言えば「スピリチュアリズム(心霊主義)」。「愛」や「平和」や「宇宙」などのテーマ、ライブなどにおけるド派手な衣装や演出、7th アルバム『Spirit(魂)』(1976)あたりからのレコードジャケットにおける神話的SF世界などが、その具体的な表現です。日本においてはアルバムの邦題、「暗黒への挑戦(That's the Way of the World)」、「太陽神(All 'N All)」、「黙示録(I Am)」等々のイメージもそれに拍車をかけました。

そういうことをちょっと胡散臭く感じる人もいたでしょうが、分かりやすく目立つのは間違いなく、しかも大真面目に、かつ溢れるサービス精神で展開されると、人はやはり振り向いてしまいます。そしてもちろん、メンバー全員の卓越した演奏力。これがないといくら立派なイメージや主張もまさに絵に描いた餅ですが、アースはそれぞれのパートでも全員のアンサンブルでも、他のどこにも負けない、おそらく世界一演奏が上手いバンドでした。演奏力に裏打ちされたハデなイメージ戦略で、アースはしだいにファンを増やし、売上を高めていったのです。

勝手な想像ですが、音楽性は「ファンク」でも、それを深く追求することに執念を燃やしていたわけじゃなく、あの時代はファンクが最も“旬”だったから、選んだだけなんじゃないでしょうか。でも上手いから、どこよりもカッコよくできてしまう。で、だからディスコが流行ると、サッとそちらにも手を伸ばして、いちばんカッコいいものをつくっちゃった。

アルバム「Faces」は路線修正?

ただやはり、ディスコで売れ過ぎると、あまりにも大衆的というか、安っぽいイメージがついてしまいます。で、80年代に入ると、ディスコブームにも退潮の兆しが見え始めた。やばい、これは早めにハンドルを戻さねば、と再びファンク路線に戻したのが、10th アルバム『Faces』じゃないかと思うんですね。しかも、前年に『I Am(黙示録)』(1979)、翌年には『Raise!(天空の女神)』(1981)とコンスタントに出しているのに、あえてここで2枚組。我々はシングルヒットで勝負する安物のディスコバンドじゃないよ、と強調したかったんでしょうか。

で、これがアルバムとしてヒットすれば万々歳だったのですが、それまでよりちょっと落ちてしまったんですね。6th アルバム『That's the Way of the World(暗黒への挑戦)』(1975)で初の全米1位を獲得して以来、ずっとポップチャートで一桁のランキングを維持していたのですが、『Faces』は10位。R&Bチャートでは2位でしたが。シングルヒットが1曲もなかったのが原因だと思います。次作『Raise!』は「Let’s Groove」がシングルヒットして、5位に戻りますから。でもその次の12th『Powerlight (創世記)』(1983)は12位、そこからどんどん落ちてしまいます。

つまりはこの『Faces』あたりから、もうアースのファンクは飽きられていったんでしょうね。今聴き直すと、よくできてる、がんばってると思うんですけど。「Share Your Love」なんかはメロがいいし、アレンジは面白いし、勢いもあります。これをシングルカットすればよかったのにと、私は思ったりしますが、されてない。戦略ミスじゃないかなー。プロデューサーが悪いのか?…モーリスですが…。また、ハービー・ハンコックの妹さん、ジーン(Jean Hancock)が詞を書いている「Win or Lose」もいい曲。そして「Back on the Road」は、これはシングルカットされているけど、“TOTO”のスティーヴ・ルカサー(Steve Lukather)がギターを弾きまくっているキャッチーな曲です。

ルカサーは前作『I Am』の「Rock That!」でもフィーチャーされていますが、それよりもっとルカサー節が炸裂、TOTOよりも、何と言うか、弾力性がより高いアースの演奏の上で、とても張り切っているように感じます。でもチャートインしてません。うーむ。

モーリスは2007年に「アースのどのアルバムがいちばん好きか?」と訊かれ、

「たぶん『Faces』だな。なぜならメンバー同士が実にいい関係にあったから」

と答えています。数あるアルバムの中から特に『Faces』を選ぶなんて、よほど特別な思いがあったのだろうと思う一方、このアルバム発売後ほどなく、アース・サウンドの要のひとりであるギターのアル・マッケイ(Al McKay)が辞めているんですよね。あれ?「いい関係」だったんじゃないの…。

チャールズ・ステップニーの存在

まあでもやはり、6th『That's the Way of the World』(1975)、ライブ『Gratitude(灼熱の狂宴)』(1975)、7th『Spirit(魂)』(1976)あたりと比べてしまうと、『Faces』は少々こじんまりとしているような気がしますね。それくらい、その3作は気合が入っていると感じるんです。そして、この3作にあって他にはないものがひとつあります。チャールズ・ステップニー(Charles Stepney)というプロデューサーの存在です。ジャズピアニスト出身でアレンジャータイプのプロデューサーですが、アースのサウンドを大きく進化させた立役者だと思います。

それ以前のアルバムは、デビューからずっとジョー・ウィザート(Joe Wissert)がプロデュースしています。彼は1976年、アースから離れたすぐ後に、ボズ・スキャッグスのアルバム『Silk Degrees』を手掛けて大ヒットさせる人ですが、アースとはいまいち相性がよくなかったかもしれません。で、5th『Open Our Eyes(太陽の化身)』(1974)の時に、チャールズ・ステップニーをアレンジャー兼ソングライターおよびアソシエイトプロデューサーとして招きます。実はステップニーがラムゼイ・ルイス(Ramsey Lewis)をプロデュースした1968年頃、モーリス・ホワイトがルイスのバンドのドラマーだったことで、二人は知り合っていましたので、招いたのはモーリスの意向でしょう。

そして、この『Open Our Eyes』からサウンドがガラッと変わりました。多彩かつ綿密でメリハリの効いたアレンジ。間違いなくステップニーのおかげでしょう。もともと演奏力においてはツワモノ揃いのバンドですから、そこにこのアレンジセンスが加われば、もう鬼に金棒です。ステップニーがしっかりプロデュースに入った『That's the Way of the World』およびリードシングルの「Shining Star」はともに、見事全米1位を獲得しました。このアルバムは同名の映画のサウンドトラックだったのですが、映画は大コケだったので、アルバムのヒットは紛れもなく音楽自体の魅力によるものです。

ところが、悲劇が訪れます。『Spirit』の制作半ばの1976年5月17日、ステップニーが心筋梗塞で急死したのです。まだ45歳でした。アルバムタイトルは彼の死を悼んでのものです。頭脳の一部を亡くしたも同然でしたが、モーリス初めアースの面々は既にステップニーから多くを学んでいたようです。ピカイチの演奏力とアレンジ力は、さして後退することなく、ディスコ時代へ突入していったのです。

しかしポストディスコにはうまく対応できなかった。彼らにはステップニーの方法論を踏襲することはできても、それを超えることはできなかったようです。タラレバ話をしてもしょうがないですが、もし、ステップニーが生きていたら、別の展望を描けたかもしれませんね。

「真室川音頭」の謎

ところで、『Faces』についてひとつとても気になることがあります。今回聴き直して初めて気づいたのですが(実は1回も全部通して聴いたことがなかった…レコードやCDを買ったのにそういうこと、よくあります…)、14曲目の「In Time」の後に、山形民謡の「真室川音頭」が30秒足らず流れてくるのです。盆踊りの会場で収録したような音で、音源自体は、1979年に日本ツアーをしているので、その時になんらかの方法で入手したのだろうと考えられますが、なぜアルバムに入れたのかが謎です。私はCDを持っているのですが、曲目表には載っていないし、クレジットでも何も言及されていません。ネット上でも、これが入っている事実に触れている人はいますが、その理由についての記述は一つも見つかりませんでした。

2014年にリリースしたクリスマスアルバム『Holiday』で、日本の唱歌「雪」を取り入れた「Snow」という曲を披露しているアース(というかモーリス)ですから、そもそも日本の民族音楽に強い興味があったのかもしれません。あるいは、モーリスが『Faces』のライナーノーツに書いている「この世で最も歓びに満ちた波動は『微笑み』であり、微笑みによって私達は仲間と真に触れ合うことができる。ともに地球をより高い波動へ押し上げよう」というコンセプトに、日本の「盆踊り」がピッタリだと考えたのでしょうか? でもそれなら、他国の民衆歌もいくつか入れてもよかったはず。なぜ日本だけ?… やはり今のところ謎です。

カタリベ: ふくおかとも彦

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