中山美穂「遠い街のどこかで」遠距離恋愛カップルのためのクリスマス・ラブソング  2022FNS歌謡祭 第2夜に出演!

ハートフルなラブソング「遠い街のどこかで…」

今年もフジテレビ恒例の音楽イベント『FNS歌謡祭』で歌を披露することで注目を集めている中山美穂。前回出演は同時期に主演ドラマ「黄昏流星群」が放送されていた2018年のことだから、4年ぶりの出演ということになる。

同番組のキャスティングには、言うまでもなくその年話題となったドラマのキャストや主題歌が考慮されるのが通例だが、今回披露される「遠い町のどこかで・・・」もかつてはその一つであった。だが、むしろこの楽曲に関しては、当時を懐かしむリスナー達が待ち望んだ、季節に相応しい一曲というべきだろう。

“Happy Merry Christmas” というコーラスで始まるハートフルなラブソングは、彼女自身が主演を務めたドラマ『逢いたい時にあなたはいない…』の主題歌であった。最終回の視聴率は26.3%だったというから、ゴールデンタイムのドラマでも一桁というのが珍しくない今なら、ちょっとした社会現象規模のヒットである。

羽田空港にもドラマの題材はあった? テーマは遠距離恋愛

1987年 JR東海のキャンペーンソング、松任谷由実「シンデレラ・エクスプレス」は、遠距離恋愛を楽曲のテーマに仕込んだ最初のエポックであるが、その流れを汲んで1988年に始まった『ホームタウン・エクスプレス』、のちの『クリスマス・エクスプレス』のキャンペーンは、山下達郎「クリスマス・イブ」を季節のスタンダードに押し上げた。

だがこのドラマで中山美穂が演じた“遠恋”真っ最中のヒロインの恋人は札幌にいる設定だったから、当時新幹線は使えない。使うのは航空機である。ドラマの題材は東京駅だけでなく、羽田空港にもあったのだということをこの作品は改めて想起させようとしていたのか、ともかく「遠い街のどこかで…」は、当時はよく見られた “若手サラリーマンの地方勤務” という時代背景の中で生まれたものである。

スマホやらLINEやらテクノロジーが距離を超えていく今、果たしてこれらが同じ価値観で語られるのかわからないが、まさに隔世の感である。

中山美穂の功績

それにしても、考えてみれば中山美穂のフジテレビへの貢献度はつくづく半端ないと思う。かのあだ名職人、有吉弘行が命名した秀逸なあだ名に、木村拓哉を称した “月9バカ” というのがあるが、中山美穂はさしずめその女性版といっても過言ではない。

当時のヒット曲「WAKU WAKUさせて」を主題歌にしたフジ初主演のドラマ『な・ま・い・き盛り』は86年10月にスタート。以降87年から2002年までの15年間、同局で主役を務めた連続ドラマは実に10作品。しかも多くが10月クール作品というから恐れ入る。なぜなら新年度4月の番組改編に向けた提供スポンサーの継続意向の確認は、前年12月までの視聴率の状況を参考に検討される傾向があるからだ。この間、彼女の主演ドラマの出来映えがテレビ局の営業収入に多大な影響を与えていたわけである。

中でも92年の『誰かが彼女を愛してる』を放送した水曜21時枠は、その年の10月クールに彼女のドラマを放送するために設けられた枠であった。その主題歌「世界中の誰よりきっと」が、『FNS歌謡祭』への前回出演時に初主演ドラマの主題歌とともに披露されたというのは、決して偶然ではないだろう。彼女の長年の功績に対して、フジテレビから深い敬意が払われているのを感じるのだ。

イメージするのはクリスマスだけじゃない!

ところで「遠い街のどこかで…」にはクリスマスソングとはまた別の一面がある。朝のワイド番組『めざましテレビ』のレギュラーコーナー「きょうのわんこ」において、番組開始当初(94年4月)からテーマソングとして毎朝使われ続けてきたという事である。

視聴者の愛犬の映像とともに、オルゴールのインストバージョンが流されるのだが、耳当たりの良さも手伝って、同曲のメロディが持っている本来の優しさを実感することができる。番組を締めくくる癒しのコーナーに、なぜリリースから2年を経たクリスマスソングがさり気なく使われているのか、その意図を我々は知る由もないが、といって違和感を感じないのも事実である。

存在感を示した1991年の中山美穂

「遠い街のどこかで…」がリリースされた91年という年はメガヒットが数多く生まれた年であった。おかげでヒットチャートの1位を獲得することは叶わなかったが、時代の空気を掴んだという点では、大きな存在感を示したと言えるだろう。かつて中山美穂自身、この曲が自分のヒット曲の中でも特に幅広い人たちに支持されていると語っていた通り「遠い街のどこかで…」はリクエストで常に上位に挙がる人気曲なのである。

中山美穂は、デビュー以来シングルをリリースすれば即1位というアイドル的人気を博していたのだが、この頃は女優業にも本腰を入れて取り組んでいた。文字通り “主演女優” と “ヒット歌手” という二刀流を成し遂げていたのだが、実はそんな彼女も女優業を封印して歌手活動に専念したことがある。

93年からの1年はボイトレに励み、表現力に磨きをかけ、その試みは「幸せになるために」「ただ泣きたくなるの」という大ヒットに昇華されていく。時代は彼女に味方したかも知れないが、自らの努力を結果を結び続けてきた彼女は、女優としても歌手としても一時代を築いたといえるだろう。

※2018年12月24日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: goo_chan

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