南佳孝の特別な1曲「Midnight Love Call」石川セリに提供した神曲をセルフカバー  何度聴いても飽きない! そんな曲こそ “神ってる”

リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜 Vol.37
南佳孝 / MONTAGE

南佳孝は日本のビリー・ジョエル!?

日本の音楽マーケットにおける南佳孝のポジションはなんだか独特です。デビューアルバム『摩天楼のヒロイン』(1973)が松本隆の初プロデュース作品だったこともあって、松本さんとのつながりは長く、強く、そのため、“はっぴいえんど”〜“ティン・パン・アレイ”系のアーティストのひとりという立ち位置であることは明らかです。ただ、細野晴臣、大瀧詠一、坂本龍一、ユーミン、山下達郎、矢野顕子といった“強者ども”に比べるとやはり、二番手、準レギュラー的な存在であることは否めません。

だけど、「モンロー・ウォーク」、「スローなブギにしてくれ (I want you) 」、「スタンダード・ナンバー」などのヒット曲、アイドルを含む他シンガーへの多数の楽曲提供、そしてオリジナルアルバム22作という堂々たるキャリアは、充分以上に称賛に値する実績です。大きく話題を集めることこそありませんでしたが、かと言って忘れられることはなく、コンスタントに「いつだって振り向けばそこにいる」というようなアーティスト。その感じが独特なんです。

で、なんとなく私には、そのポジショニングがビリー・ジョエルと共通するように思えるんです。ジョエルはもちろん、ヒット曲の数も、レコード売上枚数もすごいし、ビッグで超有名なアーティストですが、やはり、たとえばボブ・ディランとかジョン・レノン、ポール・マッカートニー、プリンス、マドンナ、ブルース・スプリングスティーンのような人たちほどのカリスマ性はないと言うか、国務長官は務まっても大統領にはなれない、と感じてしまうのです。

理由ですか? つくる音楽にソツがなさ過ぎると思うんです。売れる曲の“レベル”みたいなものを心得ていて、それを超えないと気がすまないタイプ。天才ではなく秀才。芸術家というより職人。なので駄作はまずない代わりに、神がかった、あるいは狂気を帯びたような作品もまたない……。

もちろんこれは私の見方なので、気に入らない方、ごめんなさい。ただ、さらに勝手なことを言わせてもらうと、佳孝さんには、上記に当てはまらない特別な曲も、1曲だけ?あるのです。

石川セリで発見した南佳孝の才能

実は昔は南佳孝を、音楽をよく聴きもしないで食わず嫌いをしていました。郷ひろみが「モンロー・ウォーク」をカバーした「セクシー・ユー」や「スローなブギにしてくれ」など、否が応でも耳に入ってくる彼の曲は、何と言うか「ニューミュージックの皮を被った歌謡曲」だと感じ、初期に多かった“夏っぽい”イメージのレコードジャケットやタイトルも、チープでありがちな“one of them”だとしか思えませんでした。

歌謡曲はそれはそれで好きですが、精神はモロ歌謡曲なのに、イメージや雰囲気だけいかにもトレンディ風を装っている、みたいなのが嫌いで、私は勝手に南佳孝もその“一派”に投げ込んでしまっていたのでした。

そんなある時、石川セリの歌が好きになって、いろいろ聴いているうち、「Midnight Love Call」という曲にハマりました。特に「わたし雨がキラい〜」からのメロディが変拍子=7拍子×3になるところがとてもカッコいい。脳内リピートが止まりませんでした。今でも雨の日にはよくこの曲が脳裏に流れてきます。

彼女は自分では、少し詞は書きますが、曲をつくらないので、いろんな人が曲を提供しています。自作自演でないと低く見る人たちもいますが、私はSSW偏重主義には大反対です。シンガーはとにかく歌がよければいい。そして石川セリは、めちゃくちゃ上手いワケではないけど、独特の声質と歌の表情が素晴らしい。ユーミン、PANTA、下田逸郎、もちろん井上陽水…といった極めて個性的な人たちから提供されたバラバラな曲たちが、彼女の身体を通ると、「石川セリ」という音楽の世界の中に、バランスよく収まってしまう。

なので、あまり誰がつくった曲なのかは気にもせず、ただその歌声に浸っていたのですが、ふとクレジットを見ると、南佳孝の作曲となっている。作詞は南佳孝と有川正沙子。

いきなり、私の南佳孝に対する評価が変わりました。

佳孝さんがその「Midnight Love Call」をセルフカバーして収録したのが、1980年5月1日リリースのアルバム『MONTAGE』です。女性に提供した曲なので、歌詞の主人公は女性、しかもずっと電話口で語っているという設定ですから、男の声で歌うのは違和感があるはずですが、それが気になりません。気にならないどころか、むしろそこがすごくいい。佳孝さんの歌い方はかなり芝居がかっていると言うか、表情の付け方がオーバーで、下世話に言うと、カッコつけててウソくさい。他の歌だとちょっと鼻につくこともあるのですが、この曲では、女性言葉を歌うという虚構に、芝居がかった歌い方という虚構が重なることで、違和感が快感に転じています。

そう言えば森進一とかクールファイブの前川清とか、演歌には男性が女性の気持ちを歌うものがけっこうありますね。そこに登場する女性はたいてい(保守的な)男性が考える類型的な女性観の投影ですが、そんな人は現実にいないし、いたらいたでしんどい(笑)。でも、男の声でコブシを駆使して大仰に歌い上げるという虚構性が、それをエンタテインメントに昇華している気がします。畑は違えど、基本的には「Midnight Love Call」と同じことが起きていると思います。

佳孝さんの1984年のシングル「スタンダード・ナンバー」は、同じメロディで歌詞を女性目線にしたものが角川映画「メイン・テーマ」の主題歌となり、「メイン・テーマ」というタイトルで薬師丸ひろ子が歌ってヒットしましたが、佳孝さんもその女性バージョンで歌えばもっとよかったかも、なんて思います。

「Midnight Love Call」は神曲

アルバムは、他の曲もみな聴きやすく、それぞれに何かしらの工夫があり、いずれも平均点以上だと感じます。さすがは “音楽職人” です。「憧れのラジオ・ガール」と「風にさらわれて」の2曲がシングルカットされていて、前者はノリがよく覚えやすいいわゆる「売れ線」系で、アルバムにちょっと先行して春に発売、後者はしっとり大人のムードで発売は秋、とまことに王道の采配です。

ただやはり、「Midnight Love Call」が傑出しています。もしこの曲が入ってなかったら、私はこのアルバムを買おうとは思わないでしょう。傑出しているというより、この曲だけが、“神がかって” いる。

昨今は神もずいぶん安売りされていて、若者たちは何につけ、ちょっとレベルが高いとすぐに、「神ってる」などと騒ぎますが、私は安易には使っていないつもり。とは言え、もちろん、私の感性ですので、「そこまでの曲かな?」と思う人もいるでしょう。また、どういうものが神がかっていると感じるのかという私自身の基準も、具体的に言葉で説明するのはむずかしい。ただ、「何度聴いても飽きない」ということがひとつ言えるかな、と。「Midnight Love Call」を1年間、毎晩寝る前に聴けと言われても、私はできると思います。

カタリベ: ふくおかとも彦

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