東京駅の設計者が行橋で銀行を!? 行橋赤レンガ館でノスタルジックな時間を

旧百三十銀行行橋支店 正面から

北部九州・山口災害情報パートナーシップを結ぶコミュニティFM各局とRKBによるコラボ番組『ローカる!』。地域密着のコミュニティFM局のパーソナリティにとっておきの街ネタを紹介してもらう。11月は福岡県築上郡築上町にあるスターコーンFMの放送エリアで話題のスポットを訪れた。11月20日の放送では行橋駅から歩いて5分ほどの場所にある歴史的な建物、「行橋赤レンガ館」の秘密に迫った。(報告:『ローカる!』ディレクター荒木風花)

行橋赤レンガ館の歴史 レンガ造りの意味とは

赤レンガが基調の「行橋赤レンガ館」に詳しい行橋市教育委員会の天野正太郎さんに話を聞いた。

天野さん:大正3年に、当時「百三十銀行行橋支店」として建てられたレンガ造りの建物です。造られた大正の頃ですと、この赤レンガ造りが今でいう最先端でスタイリッシュな造りだったと考えられます。もともと行橋という土地が、江戸時代から地域の商業の中心地で、明治の初めの頃に国の政策により、日本中で銀行が作られました。福岡県では4つの銀行が作られました。この4つとは、福岡藩、久留米藩、柳川藩、小倉藩といった藩の数に対応していることになります。

その中で、小倉藩は小倉ではなく行橋に銀行を作った。それには深い意味がある。

天野さん:幕末に長州藩と幕府が戦った「第2次長州征伐」が関係しています。小倉藩は幕府に忠実は藩だったため、幕府側で戦いました。しかし長州藩の騎兵隊に敗れた小倉藩がいる幕府側は、小倉の地を長州藩に奪われてしまいました。明治時代になると小倉藩は消滅し、みやこ町の豊津藩に所属していました。その中で商業的に栄えていた行橋で商人たちがお金を出し合って「八十七銀行」が作られたという歴史があります。その八十七銀行が統廃合し、大正初めに「百三十銀行」が作られました。

行橋赤レンガ館の説明書き

赤レンガが特徴の「百三十銀行」。赤レンガというと東京駅を思い浮かべる人も多いと思うが、この二つには意外な共通点があった。

天野さん:東京駅を設計した建築家の辰野金吾は佐賀県唐津市の出身です。その辰野金吾がこの赤レンガ館の監督として設計に携わっています。 設計は今の清水建設(清水組)が担当し、辰野金吾事務所が監督をしたという形になります。

中に入ると天井が高くて広々した空間が広がる。平成初期まで信用組合として使わており、市民の方の寄付で行橋市が買い取り、設計を担当した清水建設が保管していた当時の設計図を基に改修工事ののち、「行橋赤レンガ館」として生まれ変わった。そこには銀行ならではの空間もあった。

行橋赤レンガ館の中

荒木:ここに分厚い扉がありますがこれは…

天野さん: 銀行の金庫になります。火事があった場合でも中のものが燃えてしまわないように分厚い扉が守っています。見学に来られた中で希望される方には見ることもできます。2階の隠し扉ももしもの時に貴重品を取り出せるように用意されたものになります。

現在は市民の憩いの場に 名物は色とりどりのクリームソーダ

銀行の名残もありつつ、カフェとしてくつろぎの場所になっている。行橋市観光協会事務局長の上畑さんにお話を伺った。

上畑さん:すごく雰囲気の良い空間で、カフェメニューを楽しむことができます。ドリンクのほかに、焼き菓子や玄米を使ったピザも提供しています。名物のクリームソーダは従業員の発案で、赤レンガ館のレトロな雰囲気に合うということで生まれました。

ブルーハワイクリームソーダと玄米マルゲリータをいただいた。

名物のクリームソーダと玄米マルゲリータ

荒木:ブルーハワイクリームソーダ…最高です!見ているだけで癒されますね。玄米ピザはヘルシーながら重量感もあって美味しいです!

レトロな空間のカフェ 人気の写真スポットなんだそう

年末にかけてイベントが目白押しの行橋赤レンガ館の情報は以下で見ることができる。

HP: http://www.city.yukuhashi.fukuoka.jp/doc/2015102700015/

電話:0930-23-7724

左からディレクター荒木、上畑さん、天野さん 銀行ということでお金ポーズ

ローカる!

放送局:RKBラジオ

放送日時:毎週日曜 11時00分~11時15分

出演者:荒木風花

番組ホームページ
公式Twitter
公式Instagram

※放送情報は変更となる場合があります。

© 株式会社radiko