グレン・フライの死から7年… イーグルスの音楽は21世紀になっても宝物!  合掌 1月18日はグレン・フライの命日です(2016年没・享年67)

5000万枚超のセールスは歴代2位「イーグルス・グレイテスト・ヒッツ1971-1975」

世界で売れたアルバムセールスのランキングというのがあるが、そのトップ10を眺めてみると、1990年代までにリリースされたいわゆる ”名盤” と呼ばれるオリジナルアルバムが並ぶ。

■ マイケル・ジャクソン / スリラー
■ AC/DC / バック・イン・ブラック
■ ピンク・フロイド / 狂気(Dark Side Of The Moon)
■ ミート・ローフ / 地獄のロックライダー(Bat Out Of Hell)
■ フリートウッド・マック / 噂(Rumours)
■ サントラ / ボディガード
■ サントラ / サタデー・ナイト・フィーバー
etc.

―― 出典先によって微妙に順位が変化したりするが、1990年代以降のCD売り上げや2000年代以降のダウンロード売り上げを含めても、おおむね上位のラインナップは変わりないようだ。そしてこのトップ10を見てみると、並み居るオリジナルアルバム名盤やメガヒットサントラに混じって単独アーティストによるベストアルバムがランクインしていることに気づく。しかも5,000万枚超のセールス、出典先によっては歴代2位。さらにいわゆるオールタイムベストではなく、初期4枚のアルバムからのヒットソングを編纂した途中経過のベストアルバムが。そのアーティストはイーグルス。アルバムは『イーグルス・グレイテスト・ヒッツ1971-1975』。

かのビートルズでさえオールタイムベスト『ザ・ビートルズ1(ワン)』が3000万超のトップ20入り。イーグルス史上、というか20世紀のロックバンド史上最高の名盤と評価される『ホテル・カリフォルニア』(4000万超で歴代トップ10入り!)を上回るセールス、そしてその『ホテル〜』からのヒットソングが収録されていないベストアルバム。イーグルス『グレイテスト・ヒッツ1971-1975』が、いかに異例の売り上げを記録し、ひとつの名盤アルバムとしての立ち位置にあるかが、うかがい知れるというものだろう。

ドン・ヘンリーとグレン・フライというツートップ・メンバー

イーグルスの全盛期、というかそもそもの活動期は1970年代だ。もちろんその後の1990年代以降には何度かの復活を遂げてつい近年の2010年代以降までもライブ活動等はしていたのだが、歴史に残る6枚のオリジナルアルバムを残し、1982年の実質的解散宣言を鑑みれば、イーグルスは1970年代(1971~1981年)のバンドだったというのは紛れもない事実である。

しかしイーグルスはオリジナル名盤アルバム『ホテル・カリフォルニア』を上回るペースで1980年代以降も常に『グレイテスト・ヒッツ1971-1975』が数十年にわたって売れ続けてきた。歴代アルバムセールスのトップ20級の超ビッグネームの中で、唯一イーグルスだけ最大セールスアルバムがベスト盤ということになるのだ。しかも1975年のヒットまでのベスト盤が。

それは様々な要因が複合化しているのだろうが、そもそも人気絶頂時(1976年)に『呪われた夜』(1975年)と『ホテル・カリフォルニア』(1976年)のつなぎ的意味合いでレコード会社がオリジナルニューアルバム的立ち位置でリリースした作品だったということ、1980年代はドン・ヘンリーとグレン・フライというツートップメンバーが80年代を代表するようなヒットソングを複数曲輩出したこと、90年代以降2度の大きな復活を含めことある毎に活動の情報がメディアを賑わせ続けていたこと、グレン・フライという主要メンバーの死(2016年)等が指摘される。

要は82年の解散後も、常に復活の匂いを漂わせながら、そしてオンゴーイングなアーティストとして(往年の神がかり的な)オリジナルアルバムを期待させながら、十数年にわたって新しいファンを生んできたということだ。

特に本国アメリカにおけるイーグルス人気は想像を絶するものがあり、全時代の全国民が、ロックンロールを誕生させた国における最高のロックバンドを永遠に支持し続けるのか、とまで思わせるほどだ。歴代アルバム・セールスのトップ10に唯一2枚のアルバムをランクインさせているイーグルス、ベスト盤の売り上げのほぼ8割がたはアメリカ国内となる。

ワンマンバンドならぬツーマンバンドの様相を呈していたイーグルス

1970年代の人気絶頂期から2000年代に至るまで、イーグルスの歴史はオリジナルの主要メンバーたるドン・ヘンリーとグレン・フライの確執の歴史といってもいいようなものだった。1970年代半ばからグループ内のイニシアティブはこの2人が握っていたわけで、ワンマンバンドならぬツーマンバンドの様相を呈していたようだ。

バーニー・リードンやランディ・マイズナーがバンドを去ったのも、最終的に82年の解散に至ったのも、金銭的なものを含むドンとグレンの確執、ツーマンぶりが要因のひとつと言われる。1980年代は奇しくもそんな2人がしのぎを削るようにソロヒットを輩出し、90年代以降の再始動の布石になっていたのは、なんとも皮肉な話ではある。

1990年代以降イーグルスは2度の大きな再結成を果たしている。それはそれぞれ新たなアルバムをリリースした時期と重なるもので、1度目は1994年まさかの再結成でアルバム『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』をリリースした時だった。ワールドツアーを行ったり積極的な活動を敢行したが、2000年のドン・フェルダー解雇というオチで終息を迎えた。

2度目は2007年新録オリジナルとしては28年ぶりのアルバム『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』をリリースした時。全米アルバムチャート1位を記録、ワールドツアーも行ったが、2016年のグレンの死をもってしてドンはついに解散表明をするまでに至ったが、ほどなくしてグレンの息子、ディーコン・フライやヴィンス・ギルが加入、活動継続はなされている。

グレンの死から7年、イーグルスの再結成は?

『グレイテスト・ヒッツ1971-1975』のリリースからおよそ40年間、イーグルスは紆余曲折を経ながら基本的には音楽界の横綱に鎮座しており、その間件のベスト盤はコンスタントなセールスを上げてきていたのだ。2023年、グレンの死(2016年1月18日)から7年の歳月が経過した。

イーグルのオリジナルメンバーによる再結成は永遠に望めなくなったが、20世紀に残された孤高かつ至宝ともいえるイーグルスの録音物は永遠に消えることはない。奇しくも地球上に生まれた人類であるならば、今日『イーグルス・グレイテスト・ヒッツ1971-1975』を聴いてみるのも、悪くないだろう。

※初出記事にイーグルスの活動に関して誤解を与える記述があったので加筆修正しました

カタリベ: KARL南澤

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