“習近平帝国”中国でSNS「実名告発」が急増のワケ|宮崎紀秀 中国で、自らの本名を明かし、職場の上司から受けた性暴力などを告発する女性が相次いでいる。なかには、妻が夫の不倫や不正行為を暴露するケースもある。なぜ、女性たちは実名や素顔を晒してまで告発に走るのか。そこからは現代の中国社会が抱える病理が垣間見えた。

若い女性が51歳の中国共産党員を告発

中国で、自らの本名を明かし、職場の上司から受けた性暴力などを告発する女性が相次いでいる。なかには、妻が夫の不倫や不正行為を暴露するケースもある。なぜ、女性たちは実名や素顔を晒してまで告発に走るのか。そこからは現代の中国社会が抱える病理が垣間見えた。

「私のポニーテールをつかんでひっぱり部屋のなかに引き入れ、後ろから抱きついてきました。そして『とても愛している』と言って私の胸や腰を触ってきたのです」

映像のなかでそう訴える若い女性。カメラに真っ直ぐ見据えた瞳から、意志の強さが感じられた。

女性は自分の胸の前で、カメラにみえるよう小さなカードを掲げていた。中国人が何をするにも確認を求められるID、身分証だ。管理社会に生きる中国人にとって、命の次に大事と言っても過言ではない。日本の免許証のように顔写真と本名や生年月日が明示されている他に、国民一人ひとりにつけられた管理番号も記されている。つまり、女性は自らを特定する個人情報を曝しているのだ。SNSでの投稿だ。

女性は戴小玉さん。河南省の信陽市にある県の一つ、光山県の財政局に勤務する。戴さんが映像のなかで訴えたのは、過去に職場の上司から受けた性暴力被害だった。その上司とは中国共産党員で、当時51歳の男、鄭成才。

訴えによると――。

2021年8月10日、鄭は財政局内の会議室から立ち去ろうとする戴さんを、ポニーテールを掴んで引き戻し、鍵をかけた。そして後ろから抱きついて、胸や腰を触ってきた。激しく抵抗する戴さんをソファーに押し倒し、両腕を押さえつけ、行為に及ぼうとした。戴さんが大声を出すと、鄭はひるんだ。会議室の扉を開けて、外に誰かいないかを確認したうえで再び戴さんを襲おうとしたが、彼女はその隙に逃げ出した。

戴さんはその晩、警察に通報。鄭は約一カ月後には逮捕され、12月30日には光山県の裁判所で一審判決が下された。

ならば、彼女はなぜあえて今更、実名を晒してまで事件をむし返すようなことをしたのか。

「犯罪の状況は軽い」と刑事処罰を免除

裁判資料などによれば、一審判決は、鄭が強制わいせつの罪を犯した事実は認定したものの、監視カメラの映像から推定される犯行の時間が70秒あまりと短かったことや、被害者の抵抗にあって犯行をやめたことなどから、「犯罪の状況は軽い」として、鄭に対する刑事処罰を免除した。

検察は、鄭が共産党員である点や、戴さんが被った仕事や生活への影響や精神的なダメージの大きさから考えて、量刑が不適切として控訴した。

一方、驚くべきことに、被告の鄭も無罪を主張して控訴した。だが、二審も一審の判決を維持した。 「一審も二審もこのような結果になったので、再審を申請したところで意味はないでしょう。でも、一縷の希望を捨てたくありません。全く相手にならないことは分かっていますが」

戴さんはSNSを使った実名告発に踏み切った理由について、中国メディアに対しそう答えていた。
鄭さんは事件後にうつ状態になり、睡眠薬を常用するようになった。夫やその親との関係も悪化してしまい、いまや離婚の危機にあるという。

「私は正義を求めているのです。強制わいせつ罪が認定されたにもかかわらず、彼は謝罪もせず罪も認めておらず、私の名誉を汚しているのです」

鄭さんが実名告発の動画をアップしたのが2022年4月23日。複数の中国メディアがそれを取り上げ、光山県の規律検査委員会と監察委員会が、鄭の党内や行政上の職を解くなどの処分を発表したのは、告発から2日後の4月25日だった。戴さんは実名告発という手段によって、せめて一矢を報いることができたのかもしれない。

国有企業の職員を告発したが

戴さんに先立ち、同年2月に注目を集めた告発者は、豊かな黒髪と透けるような白い肌が印象的な若い女性だった。身分証を掲げて動画での実名告発という大胆な行動にもかかわらず、細い肩のラインと不安げに揺れる大きな瞳は、儚(はかな)げな印象を与えた。

その宛晶晶さんが告発したのはかつての恋人、王興利。当時、王は高速道路や鉄道の建設を担う国有企業の職員。23歳の宛さんより20歳あまり年上で、妻帯者であることを隠していた。

訴えによれば、宛さんは王と1年半にわたり同棲。まだあどけなさが残る宛さんだが、その間、二度妊娠し中絶したという。精神的に追い込まれ、うつ病になるほどのモラハラも受けていた。

宛さんは、王が乱れた私生活を送り、自分以外にも多数の女性と関係を持っていたとぶちまけたが、告発したのはそれだけではなかった。

王が、賄賂の授受や人身事故についての偽の報告、巨額の公費の利息の着服などに関与していたと暴露したのだ。王のパソコンから証拠資料もコピーしてあるという。

宛さんは、過去にも王の会社の規律や監査の担当部門に通報していた。だが、王に処分らしい処分は下されなかった。彼女がSNS上での実名告発に踏み切ったのは、その苛立ちからだった。

実名告発から一週間あまり経った時、宛さんはSNS上に自殺を仄めかす文章を載せた。中国メディアによれば、その後、彼女は実際に自殺を試みたが、それを察知したネット民らの機転に助けられ、未遂に終わったという。

彼女はその文章のなかで、告発の目的は金目当てだとか、愛人だから当然、などのネット上の中傷に心を痛めていたことも明かしていた。

「告発のために立ち上がった時は、正義の光という希望を見たと思ったけど、結局何も変えられないことが分かった」

身を結んだ告発

告発から約1カ月後、王の会社は、宛さんの告発についての調査結果を発表した。

それによれば、宛さんの指摘したなかで、人身事故の虚偽報告や公費の利息の着服は確認できなかったが、王が出入り業者から金を受け取っていた事実はあった。その件について、王はすでに国家機関に自首したという。

この調査は、会社の上部組織にあたる国営企業グループから「新たな手がかり」を得て、それを「重視した」としている。つまり、上からの圧力によって動いたわけだ。宛さんの告発は無駄ではなかった。

中国で、権力を持つ共産党員や公務員は体面を整え身内を守るために、往々にしてその立場を利用して“不都合な事実”を押さえ込もうとする。その傾向は中央から地方、中心から末端に行けば行くほど強い。戴さんや宛さんが実名を晒したのは、名も無い庶民の声として葬り去られてしまわないためなのだ。

妻や元妻が暴露した「乱れた医学会の下半身」

同年3月下旬から、まるで流行のように相次いだのは、医師に対する告発だった。いずれも乱れた下半身の暴露、告発者は妻や元妻だった。

重慶市の34歳の女性看護師は、白衣姿でカメラの前に立った。同市内の別の病院に勤める肝胆外科の専門医である夫が、院内で医薬品を扱う担当者と不倫しており、キックバックをもらっていると暴露した。

彼女は、2歳年下の夫が学生の頃から経済的にも支えてきた。にもかかわらず、夫が順調にキャリアを重ねていくうちに、夫の両親も「息子の結婚は早すぎて、嫁は息子に釣り合わない」などと考え出したらしく、彼女に冷たく当たるようになった。

彼女は、過去にも夫のキックバックの疑いを病院に訴えたが、それを知った舅から腹を蹴られ、当時、身籠っていた赤ちゃんを流産してしまった、などという酷い仕打ちも受けていた。

重慶の看護師の告発から4日後、河北省の大学病院で神経外科を務める医師を告発したのも妻だった。夫が職権を利用して多額のキックバックや物品を受け取っているうえ、愛人と結託して夫婦間の共同財産も奪おうとしているなどと訴えた。

いずれも、告発を受け調査が開始された。

これらに続いて寧夏医科大学総合病院の医師を糾弾したのは、別れた妻だった。DVや多数の看護師との不倫関係に加え、キックバックや医薬品を転売している疑いを暴露した。

これに対し、元夫の医師側も自撮り映像で反論。妻のほうの不倫が原因で離婚に至ったが、彼女が裁判所による財産分与に不満で、自分を誹謗して金を脅し取ろうとしている、などと主張した。医師の両親と名乗る高齢の男女も動画で、離婚以前の嫁の悪妻ぶりを涙ながらに並べたて、息子を擁護した。

こうなると、単なるこじれた離婚騒動の延長戦かもしれないが、病院側は医師の不倫やDVについて事実と認め、他の問題についても調べを進めると回答している。

病院の隠蔽体質

中国で医師の社会的立場は強い。診察を受けるためには、人々は長い順番待ちを覚悟しなくてはならない。そんな状況だからか、医師への袖の下が常態化している憤懣はよく聞いた。

金や地位があるところには、色や欲が蠢く。医師になるには必ずしも共産党員である必要がないから、不倫だけなら党の規律違反の対象にならない者もいるかもしれないが、キックバックや横領の事実が明らかになれば、当然、刑事罰からは逃れられない。

共産党や官僚組織と同様、権威的な組織である病院も体面を繕うため、隠蔽体質がある。分かりやすい例は、新型コロナウイルス感染の発生に気づき、いち早く警鐘をならした武漢の李文亮医師への対応だ。李医師は、情報を外に漏らさないよう釘を刺されたうえ、処分された。読者の記憶にも刻まれているだろう。

本稿では触れないが、同じような構図にあるアカデミズムにおいても実名告発が相次いでいる。

「夫に殺される」著名人による実名告発

徐大宝(写真/https://www.sohu.com/a/142073026_759830より)

市井の女性による上司や夫への告発に続き、なんと今度は著名人による実名告発が話題をさらった。 「私は相手と別れて、しっかりと生きていきたい。でも、離婚証を手にできる日まで生きていられるかどうか、分からない」

すっぴんながらも端麗な女性が、やはり身分証を胸の前に掲げて涙ながらに訴えるその動画を見た時、思わず女性の顔を二度見して確認してしまった。

なぜなら、女性は中国でライブ配信などでブレイクした人をさす「網紅」の代表的人物の一人で、私自身が過去に密着取材した徐大宝(身分証の本名は徐語瞳)さんだったからだ。中国版SNSウェイボーでは、この時でも72万人のフォロワーを抱える。

34歳になった徐さんが、泣いて赤くなった鼻を啜りながら訴えたのは、5歳年下の夫から受けたDVの実態だった。

結婚から1年を待たずして、四度の激しい暴力を受けたという。まぶたやが青黒く腫れ、白目部分が出血していると見られる画像もあった。

ある時は、首を押さえられたまま顔を殴られた。顔を枕に押しつけられ失神したこともあるといい、夫に殺される可能性さえ仄めかす発言をしていた。

「もし私が突然失踪して音信不通になったら、お願いだから警察に通報してください。もし私に万一のことがあったら、絶対に自殺ではありません」

本性はDV男だった

私が徐さんを取材したのはこの6年前、彼女はまだ28歳、独身だった。彼女はもともとペットのトリマーで、宣伝のつもりで当時流行り出したばかりのライブ配信を始めたところ、大ブレイクしたのだった。

ドラマや映画への出演も果たし、移り住んだ北京の高層マンションのクローゼットには、ブランド品がひしめき合っていた。幼い頃に抱いた女優になるという夢を「ライブ配信が叶えてくれた」と目を輝かせて語る徐さんは本当に嬉しそうで、まさにわが世の春を謳歌する、という体だった。

その時、恋愛についてはこう語っていた。

「以前は、少しお金を使ってくれるような高級なサラリーマンでも満足したけど、いまはそうではなくなりました。良くないことかもしれないけど、心理的な変化です。本音を言うと、いまはボーイフレンドを探すのが本当に難しくなりました。どんな人が自分に釣り合うのか、友達を選ぶようになりました」

こう記すと嫌味な女に思えるかもしれないが、成長著しい中国において、明日は今日よりも明るいと信じ切ることができる若者らしい発想だった。生活水準や交友関係の劇的な変化をポジティブに享受し、それに伴い、好みの男性の基準の変化を悪びれず話していた彼女は、むしろ正直すぎるくらい素直だった。

そんな徐さんが選んだ夫は、もともと彼女のファンだったというハンサムな実業家だった。付き合って数カ月後の電撃婚だったが、夫の本性は不幸にもDV男だったわけだ。

徐さんの告発に、夫の側も反論した。殴った事実については言い訳の余地はないと潔く認めたが、諍いの原因は、徐さんが結婚前や結婚後にも複数の男性と関係を持っていたためなどと釈明した。最も激しい暴力を振るったのは、突然帰宅した際に、使用済みの避妊具を見つけたからだという。

それが事実だとしても、妻への暴力が許されるわけではない。

ネット民は冷ややか。理由は彼女の「ちょっとイタイ過去」

かつての輝くような笑顔が、あざだらけの浮腫んだ顔に変わったのを目にすると心が痛んだが、意外にも一部の中国メディアやネット民が冷ややかなのは、彼女の“ちょっとイタイ過去”にも理由がありそうだった。

彼女には、以前にネットを通じて知り合ったオーストラリアに住む華僑の男性との“恋バナ”があった。若くて裕福と思った男性にバリ島まで会いに行ったが、現れたのは事前の話とは違って背の低い中年男だったという。

それでも金持ちには変わりないと思い、男性と数日間をともにして肉体関係も持ったが、結局、男性は裕福でもなく騙されただけと分かった。彼女はそんな話もライブ配信のネタにした。

カンヌ映画祭に中国国旗、五星紅旗をあしらったドレスで現れたこともあった。中国では多少有名でも国際的には無名の彼女は招待されたわけでなく、押しかけて行ってレッドカーペットを歩いたとも言われた。本人は話題作りのつもりだったのだろうが、中国では「国旗を侮辱した」などの反感を賞賛より多く買った。

もともと配信のアクセス数を稼いでスターへの階段を登った芸能人ゆえに、売名行為ではないかと疑う声さえあり、どうも彼女の旗色は悪い。

権力者への糾弾ではなく、痴情のもつれを実名告発してしまった彼女の誤算かもしれないが、あっという間にスターに上り詰め、次には一気に夫のDVに苦しむ不幸な女性に転じてしまうジェットコースターのような人生も、そのプライバシーをも常にSNSに上げ、ネットの影響力を満身に受けてきた彼女の生き様も、いまの中国の一面を象徴している。

12年前に指導教官だった教授を告発

中国の実名告発の“歴史”を遡れば、2018年が大きな転換点となった事実にたどり着く。同年1月1日、北京航空航天大学の博士過程の卒業生である羅茜茜さんが、実名を明かしたうえで、12年前に指導教官だった陳小武教授を告発した。

自身も含め、複数の教え子たちが性暴力被害を受けていたという過去を暴露したのだった。

前年には、米新聞ニューヨークタイムズがハリウッドの大物プロデューサーによる女優たちへ性暴力をスッパ抜き、それをきっかけに、「私も」と性暴力の被害者たちが名乗り出る#me too 運動が広がっていた。そのうねりのなかで、中国でも羅さんに続いて女性たちが次々と声を上げ、羅さんの告発は中国版#me too の先駆けと位置付けられた。

その際、若者たちが、検閲が難しいとされるブロックチェーン(ネットワーク上でデータを分散的に管理する技術)を使ったことも、新たな時代を感じさせた。

告発の対象は、普段は大義と正義を説く官製メディアや、社会的弱者を守るはずの公益団体の男たちにも及んだ。

中国版#me too運動の挫折

だが残念ながら中国版#me too は、中国社会の体質を根本から動かすほど大きなうねりとなったとは言い難い。中国版#me too の湧き起こった2018年の7月に暴露された国営中国中央テレビの著名キャスターによるセクハラ疑惑の結末だ。

弦子というアカウント名(実名ではない)の女性が、実習生だった四年前、当時看板キャスターの朱軍氏から体を弄られるなどのセクハラを受けたと告発した。

弦子は警察に訴え出たものの、警察は同氏の“社会へのプラス面の影響力”を考慮するようになどと諭し、事件を立案しなかったという。

弦子は告発に続き、同氏をセクハラで提訴した。その行方が海外メディアにも注視されるなかで、北京市海淀区人民法院(地裁に相当)は2021年9月、「証拠が不十分」などとして訴えを棄却した。

それは、中国共産党の価値観が規範であるこの国の体制の壁が、欧米の女性たちと何ら変わらぬ意識や勇気を抱くようになった若者たちの前に立ちはだかり、中国版#me too を挫折させた瞬間にも見えた。

中国当局は不都合な人物を「消す」

中国の国民には、様々な問題の解決を地元政府などに直接訴える「陳情」の権利が認められている。地方政府の庁舎などにはきちんと陳情専門の窓口があり、嘆願書を携えた人々が列を成していることも多い。

だが実際は、雑多で大量の個人の訴えを役所が一つひとつ解決してくれるわけではない。そんな状況にしびれを切らし、上級機関である省の政府や北京の中央政府に直訴しようとしたところで、地元の警察に身柄を拘束され、その声を封じ込まれてしまうことはよくある。

中国では、革命の貢献者や経済的に成功を遂げた者の子供たちを「紅二代」「富二代」などと呼ぶが、親の代から陳情(中国語で上訪)を続けざるを得ない人たちを「訪二代」などと呼ぶようになった冷酷な現実がある。

そんな無力な陳情システムに代わって人々が多用し始めたのが、SNSだ。中国ではネット上の言論も常に検閲されているが、検閲に引っかからなければ、バズって世論の圧力が味方につく可能性もある。なにより、直接の加害者や担当部門による“不都合な事実”のもみ消しが難しくなる。そのなかで実名告発は、「根拠のない噂」などと片付けられないために有効だ。

中国で権力を持つ者に楯突くのは危険だ。実名を晒せば報復される恐れもあるし、公然と体制に反旗を翻したと見做される可能性さえある。

だが、もっと危険なのは、その人の存在が消されてしまうことだ。中国当局は、“不都合な人物”を“消す”手段を選ばない。騒乱挑発などの容疑をかけて身柄を拘束したり、長期間にわたる監視や監禁をしたりもする。

告発者は実名を世間に晒し、人々の記憶と記録に残すことで、消されないための、あるいは消された時に身を守るための手段として期待する。

5年間SNSに自らの姿を晒し訴えた妻

私が過去に取材したこんな例がある。

人権派弁護士の王全璋さんは、突然、当局に身柄を拘束された。その妻、李文足さんは、夫が身柄拘束されてから、国家政権転覆罪で有罪判決を受け、さらに刑期を終えて出所するまでの5年間、SNSに自らの姿を晒し、夫が当局に不当な弾圧を受けていると訴え続けた。彼女自身も当局に監視されたり、行動の自由を奪われたりする危険な奮闘だった。

出所後に取材に応じた夫の王全璋さんは看守所の所長から、「あなたは看守所のパンダだ。あなたの事件は注目度も高く影響が大きいから、私たちの任務はあなたの安全を守ることだ」と言われたと教えてくれた。

「私の事件がより注目されたため、看守所の人たちは、私の身の回りや健康の状態に気を配ってくれました。私個人の体験からすれば、外部からの注目度が高ければ高いほど、監禁された人はより安全になります」

それは、妻が声を上げ続けたからだった。

理不尽に立ち向かおうとする人々

プロテニス選手の彭帥さんが、元最高指導部の張高麗氏から性的関係を迫られたなどと暴露したあとの末を見ても明らかだ。このスキャンダルがSNSで拡散すると、彭帥さんの消息が途絶えた。すると、世界のアスリートらから彼女の身を案じる声が上がり、北京冬季五輪の開催が迫るなか、IOC・国際オリンピック委員会のバッハ会長がオンラインで彼女と会談し、身の安全を確認した。圧倒的な知名度をもつ彭帥さんの実名の強みが生きた例だろう。ただ北京五輪が終わったあと、彼女の動静はほとんど伝わってこない。そうしたなかで、AP通信がバッハ会長の話として、2022年5月に彭帥さんがIOCのアスリート委員会のメンバーと電話で、五輪後としては“2回目か3回目”のコンタクトを取ったと報じた。テニストーナメントの観戦などのためにヨーロッパを訪問したい意向を示したという。ただバッハ会長は、中国の厳しいコロナ対策が渡航を困難にするだろうとの見解を示しており、彭帥さんが国外で自由に発言するのを許されるような境遇にはないことは想像できる。

中国の社会において、国民一人ひとりの存在は、日本や欧米に比べ軽い。それは、習近平政権が固執したゼロコロナ政策を見ても分かりやすい。社会全体の秩序や安定を守るためには、そこに生きる個人の生活の犠牲は厭わないのだ。

その社会にありながら、実名告発という個の存在を拠り所にして理不尽に立ち向かおうとする人々が増えている。それは、三歩進んで二歩下がるかのような遅々とした変化(いや、もしかしたら一歩進んで二歩下がっているだけ)かもしれないが、人々の意識が個を尊重する社会に向かう兆しに見えなくもない。

宮崎紀秀

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