〈東日本大震災から12年〉発災直後に石巻市で活動 上越消防署特別救助隊・岡田俊介副隊長 「今も現地のこと思い出す」

 東日本大震災からきょうで12年―。上越消防署特別救助隊の岡田俊介副隊長(41)は発災直後、県の緊急消防援助隊として宮城県内の被災地で活動に従事した。そして1カ月ほど前にトルコ南東部で発生した地震災害では、国際消防救助隊の一員として現地に派遣された。岡田さんが二つの地震災害での活動を通じて感じたこと、得た教訓や伝えたいことなどを聞いた。

東日本大震災、トルコ地震災害で現地に派遣された上越消防署特別救助隊の岡田俊介副隊長(7日、上越地域消防局で)

◇想像超える被災地の惨状 多くの遺体に言葉無く
 2011年3月11日、岡田さんは県の緊急消防援助隊第1次隊として、上越地域消防事務組合から5人で宮城県石巻市に出動。翌12日早朝に到着したが、ほぼ全ての家が津波の被害に見舞われ、大勢の人が線路や道路を徒歩で移動していたという。「家がなくなり、避難所がどこかも分からなかったようだ」と岡田さんは振り返る。
 活動に向かう途中、女性から家の2階に取り残された家族の救助を依頼され、急きょ現場へ向かったが、そこで津波被害の現実を目の当たりにした。「家の1階が町に流れ込んだ海水に漬かったままで、2階にいる人たちが助けを求めている。それが目の前いっぱいに広がっていた。被害の全容はとても把握できなかった」
 4日間の救助活動で100人以上を救出したが、寒さと水中での作業は困難を極めた。雪が降る厳しい寒さの中で作業着は乾かず、がれき交じりの水にボートは引っ掛かった。さらに津波情報が発令されるなど、活動は難航。最も心が痛んだのは、水に浮かぶ幾人もの遺体。「特に幼い子どもが見つかるとつらかった。今も時々、現地のことを思い出す」と言葉少なに語った。

岡田さんらが派遣された宮城県石巻市の様子。津波被害の現実を目の当たりにした(2011年3月14日、上越地域消防事務組合提供)

◇持参の資機材現場とずれ 情報の大切さ認識
 岡田さんが痛感したのは、持ち込んだ資機材と実際の救助活動現場とのずれ。中越地震や中越沖地震の活動経験があり、当初は倒壊した建物からの救出を想定していたが、実際は違った。津波による浸水被害が中心で、いったん野営地に戻って装備を調えなければならず、それも足りなかったという。「救助活動(自体)に問題はなかったが、装備や資機材が情報と合致しない。災害では想像を超えるような被害に備える大切さを学んだ」と語った。
 そして12年後、岡田さんは再び想像を超える地震災害の被災地に赴くことになる。

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