私のコロナ禍3年 面会禁止 つらい最期 夫と母 1年で亡くす

院内の新型コロナ感染を防ぐため、多くの病院が面会を制限。みとりができなかった家族も多い(写真はイメージ)

 「私のようにどこにもぶつけようのない悲しみを消化できない方もいるのではと思い投稿させていただきました」。長崎市北部に住む女性(60)は「1年の間に主人と母を亡くしました」と自身にとってのコロナ禍を振り返る。
 新型コロナウイルスの感染が全国各地に広がりつつあった2020年3月。母は手術を受け、毎日病室に通い手を握り励ました。ただ4月1日から突然面会禁止に。2年半後、母は87歳で亡くなった。母の闘病中に夫が体調を崩した。発症からわずか2カ月、21年11月に帰らぬ人となった。享年59。
 「病院での面会禁止は大切な人との最期の時間さえも奪い、そのことでどこか現実味がないまま、私の心は今も泣くことすら満足にできずにいます」
 「つらい現実の中でもそばにいて、残された日々の中で穏やかな時を過ごし、会いたい人に会え、悲しみの中にも家族に見守られながら旅立つことができたなら、後悔は少なかったかも」
 女性は半年前まで特別養護老人ホームの職員。家族に医療従事者もいる。だからこそ医療や福祉の現場がコロナ禍で「命を削る戦い」の中にあることを知っている。夫や母がお世話になったことに「感謝しかない。面会禁止にせざるを得なかったことも理解できる」。
 女性は「日常が当たり前ではないことを痛感した。二度とこういうことが起こらないよう平和な毎日が続くことを祈っています」。
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 長崎新聞の情報窓口「ナガサキポスト」で「あなたにとってのコロナ禍3年」を募集。210人から投稿があった。その一部を紹介する。

 ■たくましく
 1年目、次男が第1志望の高校に落ち、コロナ禍の最悪な高校生活がスタート。2年目、長男が大学不合格で浪人を決断。息子と共に戦いの日々。中学生になった娘の部活動は思ったように練習も試合も行えない、結果がなかなか出ない日々。3年目、見事長男が大学第1志望合格。中学生の娘も部活動で主将となり頑張る。4年目の春、次男が大学第1志望合格。与えられた環境の中で子どもたちは我慢しながら努力してきたのだと、親としては、たくましく感じました。(長崎市・40代女性・専業主婦)

 ■売り上げ増
 コロナ禍になり、売り上げの減少が一番不安でしたが、逆に旅行などの遠出や夜に飲みに行かれるお客さまが減ったことにより、お昼に豪華な食事をされる方が増えました。客単価が上がり、それに伴って売り上げを増やすことができました。(大村市・30代男性・自営業)

 ■これから孝行を
 面倒でたまらなかった職場の集会や飲み会がなくなってホッとした面もあります。高齢の父が持病で入院後、会うこともできず、短期間で亡くなってしまったことが一番の後悔です。コロナさえなければと思いました。高齢者にとってこの3年間は、自由に出かけることができず、離れた家族とも会えずつらかったと思います。これから、この3年分の親孝行を精いっぱいしたいです。(諫早市・50代女性・パート)

 ■彩り少なく
 会いたい人に会えず、行きたい場所に行けず、(感染が)落ち着いてきたと思ったらまた増えての繰り返し。感情の起伏が激しく、家と職場の往復で特別なイベントもない。季節を楽しんだり、演奏会で音楽を聴いたり、美術作品を見たりなどが全くできず、彩りの少ない3年間だった。そして、芸術文化が人の心を豊かにするものなんだなと前より強く深く実感することができた3年間だった。(佐世保市・30代女性・公務員)

 ■風邪とは違う
 今まさにコロナ罹患(りかん)中。せきや倦怠感(けんたいかん)、味覚嗅覚障害が想像以上につらく、療養期間が終わってもすぐに元気になれない予感。風邪やインフルエンザとは違うと実感している。ただ、今はまだ「コロナだから」と堂々と仕事を休める環境なのが救い。5類に引き下げられ「コロナは風邪」くらいの認識になり、療養期間が短くなったり、かかった人の苦しみが軽視されたり、仕事を休みにくくなったりするのではないかなという不安がある。(長崎市・40代女性・公務員)

 ■急激に衰え
 心身共に疲れ、急激に衰えを感じた3年でした。(大村市・60代男性・パート)

 ■目が回る多忙さ
 調剤薬局勤務ですが、ほぼ丸投げ状態で突然始まった無料PCR検査に振り回され、コロナ感染患者さんへのお薬配達、(オンライン服薬指導の)「0410対応」、当たり前の感染対策。目が回るような日々でした。それに子育て中のスタッフが多いので急な子どもの発熱での早退、遅刻、お休みなど。結局は子育てが終わった独身のスタッフが無理して頑張るのが当たり前になっていました。仕事がなくて困っている方には申し訳ないのですが、休みたくても休めない3年でした。(佐世保市・50代女性・会社員)

 ■心残りと無念さ
 昨年母が旅立ちました。脳梗塞で倒れたのがちょうど4年前。入院からリハビリの後に複数の施設を転々とし、コロナ禍の最中に特別養護老人ホームに入所させていただき約1年半。厳しい制限でそれまで頻繁だった外出もイベントも面会もままならず、それでもリモートや直筆のお手紙などで母の様子を懸命に伝えてくださった職員の皆さまには心から感謝しています。ただコロナ禍がなければもっと一緒に思い出づくりができただろうと思うと、少しばかりの心残りと無念さがないとは言えない気持ちです。(西彼長与町・50代女性・自営業)

 ■在宅体制の改善を
 父親がコロナになり、後遺症で要介護5に。数カ月前までご飯を食べていたのに食事を摂取できなくなりました。退院して自宅に戻る際、介護ヘルパー事業所が少なく大変困りました。退院した後の在宅、介護の現状改善にもっと力を入れてほしいです。介護、福祉の書類などの手続きには時間がかかるし、知らなければいろんな介護利用もできません! たくさんの人が困っています!(西彼長与町・40代女性・主婦)

 ■母として胸痛い
 娘が小学校のころから楽しみにしていた中学校のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)への修学旅行がコロナのせいで行けなくなり、代案の九州内の旅行も行けませんでした。せめてハウステンボスでテーブルマナーを学ぼうとなりましたが、それすらもボツになりました。一生に一度の中学の修学旅行という思い出ができないまま卒業を迎えたことに母親としてすごく胸が痛い思いです。(佐世保市・40代女性・パート)

 ■そこまで窮屈では
 毎年参加していた地区の運動会もなかったし、ことごとくイベントがなくなって楽しみがなかったなあ。でも何となくそれに慣れた感もあるし、五島の田舎に住んでいるのでそこまで窮屈とは思わなかったかもです。(五島市・50代女性・パート)

 ■祈るばかり
 沖縄や福岡にいる息子や娘は家族全員コロナにかかったのですが、何もしてあげることもできず、祈るばかりでした。私はワクチンの副反応がひどくて何日も寝込んだりしました。新聞に載っていた型紙でマスクを手作りしたり、いろいろと大変な3年でした。(長崎市・60代女性・専業主婦)

 ■諦めの連続
 コロナ禍が始まった年、末の娘は高校2年生。修学旅行は中止になり、同時にマスク生活が始まりました。学校の行事もほとんどが中止となりましたが、「コロナだもん、仕方ないよね」が合言葉のように過ごしていました。翌年、小学校から続けていた吹奏楽部の最後のコンクールも中止。この時はさすがに泣きました。卒業式は辛うじて開催されましたが、何に対しても、あまり期待しないようになったと思います。諦めることに慣れてしまったような感じでしょうか。
 子どもだけではなく、自分たちの高齢の親も我慢の数年間でした。高齢者施設などでは、今でもまだ少し規制があります。子どもや孫たちになかなか会えず、人との交流がなくなったことで元気もなくなり、結果として老化が進んだように見えます。感染は防ぎたい、でも自由にさせてあげたい、この狭間(はざま)で苦しんだ3年間でした。だから、まだ注意は必要だけど、できるだけ自由な生活を取り戻してあげたいと思います。(長崎市・50代女性・パート)

 ■一人で去った父
 私の父は1年前、食道がんでこの世を去りました。闘病中はコロナ禍で入院中の面会は禁止。容体が悪化しても病院での待機は許されなかったので、父は一人でこの世を去りました。何を思って天国にいったのか。一人で寂しくいかせてしまったと思うと、この文章を書いていても涙が出ます。それほどコロナが憎いですし、息を引き取る前日の面会ですら15分しか立ち会えなかったことに憤りを覚えています。今のコロナ対策の緩和をみると、モヤモヤが募る一方です。(長崎市・20代男性・公務員)

 ■申し訳ない日々
 入院患者さまがご家族と面会することができずに本当にもどかしく申し訳ない日々でした。状態の悪い患者様とは時間制限と感染対策を行い原則は面会していただくようにしていましたが、病棟内でクラスターが発生している際にはそれすらもかなわず、家族と最期の時間を過ごすこともなく納体袋にご遺体を入れてお見送りしなければならなかった切なさは今でもつらい記憶です。3年間はあまりにも大きな代償でした。(佐世保市・50代女性・看護師)

 ■葬儀を配信
 とにかく不自由な3年間でした。義父が逝去した時は(感染拡大の)真っただ中。県外にいる孫たちは帰省することすらはばかられる時期でした。孫に囲まれて見送ることができなかったのは悔やまれます。しかし、そんな中でもユーチューブで通夜・葬儀を生配信できたことは救いでした。文明の利器も使い道によっては、今までできなかったことをかなえられるツールと実感した出来事でした。(諫早市・50代女性・自営業)

 ■人との関わり大事
 未知のウイルスが確認されたころ、難病指定の病気の疑いがある症状を発症。コロナに感染したら重症化では済まないかもとの怖さで過ごした3年間。そして父との別れ。コロナ禍で葬儀をするにも二転三転。幸いお通夜、火葬と無事にお別れできました。コロナ感染で亡くなられた方は火葬にも立ち会えなかったとのこと。心が痛みます。この3年間で人との関わりがどんなに大事か気付かされました。(雲仙市・60代女性・専業主婦)

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