佐世保空襲から78年

 もう半世紀以上も前の話だろう。平和教育を考える全国規模の集会に、佐世保市の小学校教師の1人はよく参加した。いつも残念に思うことがあったという。本県の代表が発表する平和教育のテーマは、ほぼ例外なく「原爆」だった▲自身が体験した佐世保空襲が取り上げられることは「まず、ない」。取材に伺ったとき、そう語っておられた。その元教師とは「佐世保空襲を語り継ぐ会」代表だった新貝(しんがい)武史さん。14年前に79歳で亡くなった▲こんな話も聞いた。長崎市で佐世保空襲の写真展を開いた折、通りがかった長崎市民から「佐世保で空襲があったんですか」と尋ねられた。長崎原爆を知らない人はいない。この認知度の差は何だろう、と▲体験を広く知ってもらい、語り継ぐことの難しさを、新貝さんはずっと前に感じていた。体験したご本人が「じかに語る」から、体験していない世代が「語り伝える」へ。時代が移行しているいま、難度はもっと上がっている▲佐世保空襲から78年たった。きのうの1面の記事に、若い世代の継承活動がほとんど見受けられず、いかにバトンをつなぐかが課題-とある▲「知らない世代」がいかに動くか。「知らない世代」の関心をいかに呼び起こすか。いくつもの「いかに」を考え、問い続けるしかないのだろう。(徹)

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