横須賀の96歳・荒金寿郎さん 高校野球神奈川大会の地元会場で夢の始球式 戦時下県大会Vも甲子園中止に

横須賀スタジアムのオープニングゲームで始球式を務めた荒金さん=9日、横須賀

 いつか始球式で投げられたら─。ちょうど80年前の戦時中に白球を追っていた元神奈川球児の夢が実現した。高校野球の全国選手権記念神奈川大会。オープニングゲーム(9日、横須賀スタジアム)で始球式を務めたのは横須賀市在住の荒金寿郎さん(96)。川崎市立工業高時代の1943年に中等野球の県大会でプレーしたという荒金さんは「始球式なんて二度と経験できない。ここで投げられただけで幸せ」と万感の思いに浸った。

 黒字で右から左に「川崎工業」と記された白いユニホーム姿の荒金さんが、力強く右腕を振り抜いた球は、2度バウンドして捕手のミットに収まった。スタンドから拍手を浴び、「指に力が入っちゃった。もっとうまく投げられたら良かったけど」と笑顔で語った。

 荒金さんによると、同校では外野手や三塁手でプレーし、43年の県大会で優勝。しかし空襲の影響で全国大会は行われず、甲子園の土を踏めなかった。

 42年6月のミッドウェー海戦以降、太平洋戦争の戦況は悪化。学生スポーツなど日常生活にも影響を受け、中等野球の開催が危ぶまれた。43年当時の神奈川新聞では「中等野球存続の岐路」と見出しを打って報じており、結果的に「県の英断」で実施にこぎ着けたことも続報している。

 当時は野球に励むのも「心身を鍛えて戦争に行くお国のため」と荒金さん。学校のグラウンドで練習中に米軍機が低空で飛んできたこともあった。「パイロットの顔が見えるくらい近くて、慌てて校舎に逃げ込んだ」と振り返る。

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