【関東大震災100年】大仏は35センチ動き、駅舎に炎が迫った 「複合災害」の鎌倉、伝える写真や資料

火災が間近に迫った鎌倉停車場(鎌倉市中央図書館所蔵)

 100年前、鎌倉は関東大震災を象徴する被災地だった。激しい揺れによる建物倒壊に延焼火災、津波、土砂災害、さらに液状化と、大地震で想定される被災形態が重なる「複合災害」の様相を呈していたからだ。被害状況を記した公的な記録や体験者の手記、写真、絵はがきなどが数多く残っており、研究や教訓の継承に今も役立てられている。

 「鎌倉は第2震で相当被害が出た。光明寺の山門が50センチずれ、大仏は35センチほど前に出た」「前の日に台風が来ていた。建長寺の方丈は土砂崩れで完全にだめになった」

 11日、鎌倉市教養センター。鎌倉歴史文化交流館学芸員の浪川幹夫さんが、1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災による寺社や文化財の被害を概説した。被災状況を捉えた写真を示しつつ、「火災の被害は少なく、大半の仏像類が修復された」と振り返った。

 浪川さんが写真とともに参考にしたのは、当時の鎌倉町(現在の大船や腰越などを除く)が30(昭和5)年に発行した「鎌倉震災誌」だ。

 その記録によると、町内の死者は412人。4183戸のうち、全壊が1455戸、半壊は1549戸。石造や土造、れんが造りの建物が次々とつぶれ、倒壊した銀行で圧死者も出た。被害が軽微だったのは、600戸余りだったとされている。

 また、小町や由比ガ浜、長谷などで火災が相次ぎ、計443戸が全焼した。東京や横浜ほどの大火ではなかったが、同じように昼食調理中の火気使用が主因とみられ、各地で燃え広がった。鎌倉停車場付近でも火災が発生したが、駅舎はかろうじて無事だった。「駅前に火が迫ってきたが、水が枯渇したため、トイレを活用した」という。

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