お笑い芸人・高山トモヒロ 恩師に35年来の謝罪のワケ 不義理許す77歳の言葉が「身に染みた」

高山トモヒロ

お笑いコンビ・ケツカッチンの高山トモヒロが、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組で、高校時代の恩師とのエピソードを明かした。

【写真】高山トモヒロ、恩師と再会の様子

大阪府立桜宮高校時代は野球部で活躍し、プロ野球・元阪神の矢野燿大氏とクリーンアップを組んでいたことでも知られている高山。高3になって進路をそれぞれ決めるとき、家庭の事情で就職を希望するも、なかなか内定が出ず、苦悶の日々を送っていたという。

「甲子園出場などの野球の結果を残していないのに実業団の野球部のあるところを選ぶなど、自分の中で無理していたから、ことごとく落ちた。なので、卒業してからアルバイトするか、何をやりたいというのはないけど親に頼み込んで専門学校に行かせてもらうか、どうしようかと思っていた」(高山)

そこで、高山に救いの手を差し伸べたのが、水泳部の顧問だった辻先生。それまでは体育の授業で関わる程度で、体育教官室ではにらみをきかす「なんか怖い」先生という印象だったそうだが、あるとき、「高山、何したいんや?」と声をかけてくれたそう。

「正直、僕は体育の先生になりたかったが、家庭の事情とかいろいろあって就職すること、就職できれば運動系の、身体を使う仕事をしたい」。そう高山が辻先生に伝えると、後日、辻先生から「某スイミングスクールのインストラクターの枠があるけど、どうや?」と進言が。「これで先生になれるやん!」という思いもあって、すぐにその話しに飛びつき、辻先生の紹介、面接を経て、「無事に合格した」(高山)。

しかし、水泳で大した実績のないままインストラクターを務めたことで、技術面がついていかず、「自分でも浮いてるなというのはわかっていた」。加えて、当時、芸人になりたいという夢が生まれたことで、進路をシフトチェンジ。NSC(NSC吉本総合芸能学院)に入るため、「先生に何も言わずに辞めた……。そのときは、芸能界に夢がいっているから、そこまで気が回らなかった」(高山)。

その後、芸人として活躍し、家庭も持った高山。子どもが高校、大学を経て就職活動をするとなったとき、子どもの先生がサポートする様子を見て、自らの当時の就職活動を振り返り、「そこで初めて、俺、辻先生に謝らなあかん」と猛省。

「冷静に考えたら、野球部の僕を、スイミングスクールのインストラクターにするのは、先生が何回も会社に行って頭を下げてくれていたと思う。ものすごくええように言ってくれたと思うねん。『水泳はやったことないけど根性はある子です!』とか。そんな僕が1年弱で辞めてしまい……大人になって、これは謝りたいと思った」(高山)

ただし、所属していた部も違うことから、卒業後の交流はほぼなかった、高山と辻先生。「35年くらい」の年月が経っていたが……昨年末、ようやくその機会は訪れる。高校のOB会の役員から食事会の誘いを受けて参加したところ、「もう1人、高山がビックリする人、来るで!」という話しが。そこに現れたのが、77歳になった辻先生だった。

再会直後は「OB会の知り合いの人が来た」と思っていた高山だが、挨拶をかわして、辻先生を認識。「その場でパッと土下座して、『辻先生、すいませんでした!』と、そこで初めて言った」。

それからは当時のことや、自らの勝手な行動で辻先生や学校に迷惑がかかっていたのではないかという思いなど、食事をしながら「いっぱい話して、全部謝罪した」という高山。辻先生から返ってきた言葉は、「まあええやん。そんなことより飲もうや」。その一言のカッコよさが身に染みたという。

高山によると、辻先生はすでに教諭を定年退職するも、水泳のマスターズの大会に出場するなど、現在も元気な姿を見せ続けているとのこと。「ずっとそうやって戦っている人は、心もデカい」と感心する高山は、「そんな辻先生に会えて、謝罪できた。今の話をして急に花粉症が治ったくらいにすっきりした!」とコメント。辻先生とはLINEも交換したそうで、「これからも長い付き合いをさせていただきたい」と述べるとともに、「先生、その節は、誠に、誠に申し訳ございませんでした!」と、オンエアで改めて詫びていた。

※ラジオ関西『Clip木曜日』より

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