【三興製鋼創業 70周年 】〈鈴木史郎社長に聞く〉需要変化に合わせベストな生産追求 総合リサイクル化の方向性も摸索

 電炉メーカー、三興製鋼(本社・神奈川県平塚市、社長・鈴木史郎氏)はきょう21日、創業70周年の創立記念日を迎えた。羽田空港近くの東京大田区で小棒の単圧メーカーとしてスタートし、1984年に現在地に移転。現在では神奈川県内で唯一の小棒メーカーとして、D10~D35の細物を中心に異形棒鋼を月2万5千トン前後生産している。創業者の祖父から四代目社長となる鈴木史郎氏にこれまでの歩みや今後の取り組みを聞いた。(小堀 智矢)

――創業70周年を迎えての感想、抱負。

 「70年間、事業を続けてこられたことはひとえにお客様や従業員、協力していただいている会社や地域の皆様など非常に多くの人たちに支えていただいたからこそ。本当に幸運なことだと感じている。いまの私自身があるのも皆様に支えていただいたお陰だと改めて感謝している」

 「ある調査によると、日本には100年企業が3万社ほどあり、そうした企業が社会を支えていることが日本の特長でもあるという。当社が100年を迎えるにはまだ30年ある。100年企業と比べるべきではないかも知れないが、鉄筋コンクリート用棒鋼という日本の社会や生活を支える資材を製造している会社として、皆様をしっかり支えられる会社でありたい」

――創業までの経緯について。

 「創業者の祖父・伍郎は静岡県の飯田村(現・浜松市)の出身。伍郎は、8番目の子供だったが、12才年上の姉・むらが池谷正一氏に嫁いだ縁で、池谷正一商店に入り、スクラップ業に携わることになったそうだ。当時はリヤカーでスクラップを集荷していたが、運んでいる最中にも売ってくれという声がかかるので、鉄の商売に将来性を感じたというエピソードを聞いている。その後、伍郎は同僚2人と独立し、3人で立ち上げたため当社の社名が『三興』になった」

――創業の地は羽田(東京都大田区東糀谷)ですが、その後、平塚に移転した。

 「当初は日本鋼管の協力工場となり、羽田で単圧メーカーとして小型棒鋼の生産を始めた。その後、電炉を完成させ、鋼塊(インゴット)を自給して生産量を増やしていった。ただ、羽田の本社工場は製鋼工場と圧延工場の間に公道が通っており、製鋼から圧延工場にはインゴットをフォークリフトで運搬していた。工場周辺が市街地化してきたこともあるが、工場のレイアウトが非効率で、連続圧延も難しいことから平塚市への移転を決めた」

――平塚市に移転を決めた理由は。

 「実は当初、千葉県の袖ヶ浦市に移転する計画を進めていた。しかし、お付き合いの深かった丸紅から平塚工業を紹介され、父の一郎が2社の統合を進め、現在の地に拠点を置くことになった。平塚工業はベースサイズの鉄筋棒鋼を製造していたが、その工場をリニューアルして当社が細物の製造に注力したかたちだ」

 「工場を移転した1984年は電炉業界が苦境にあった時期。資金に関して銀行や商社から非常に手厚いサポートをしていただいた。新設備の立上げは、少し時間がかかったが、生産が安定するまでは、半製品を買っていただくなど他のメーカーにも支えていただいた。その後のバブル景気で経営も安定した。設備投資のタイミングも良く、幸運に恵まれていたと感じる」

〝環境〟と〝品質〟をさらに追求

 「また、千葉への工場移転は、契約書にサインする直前にキャンセルすることになったそうだ。愚痴の少なかった父が『あれは嫌な仕事だった』とこぼしていたのが印象に残っている。ただ、その決断をしたからこそ、いま神奈川県で唯一の小棒メーカーとして事業を継続できているのではないか」

――現在の課題や取り組みは。

 「足元の事業環境は厳しく、採算の改善が喫緊の課題だ。製品の出荷単価は徐々に上がってきているが、鉄スクラップ価格も上がってきており予断を許さない。さらに電極や耐火物、電力、輸送費などコストアップ要因が目白押し。ユーザーや流通の皆様にはさらなる販売価格の改善をお願いしなくてはならない場面が来ると考えている。省エネ設備の導入によってコスト削減を検討しているが、なかなかコスト高を吸収できないのが実情だ」

 「2017年度の粗鋼生産量は33万トンだった。生産については需要の変化に合わせたベストな体制を追求する。当社はD35まで生産しているが、ベースサイズの生産量は月3千トン程度。いたずらにサイズを増やす考えはなく、あくまで地域密着型の電炉として地場のニーズに対応している。また、港に近い当社の立地環境を考えると、ビレットや海外の製品需要を含め輸出の可能性は探りやすい。そのため、輸出も積極的に検討したい。輸出は相手先の規格や商慣習を事前に調べておく必要がある。相手先に合わせて海外規格の取得にも取り組んでいきたい」

――今後の三興製鋼に求められるものは。

 「創業当時から鉄筋棒鋼の製造を行っている点で基本的な事業は一貫して変わっていない。ただ、その中で異形棒鋼の品質改良や大量生産など取り組むべきテーマを徐々に変えながら発展してきた。当社に求められる次のテーマが何かと言えば、やはり〝環境〟と〝品質〟ではないか。環境と品質に関する設備投資は積極的に行っていきたい。足元ではスクラップの品質問題が浮上したように、廃棄物処理も含めた環境に対応した電炉業の新たな姿が求められている。これまで電炉メーカーは鉄鋼業という位置づけだが、他の資源にも対応した総合リサイクル業に近い企業体の方向性を模索することも必要ではないか。電炉メーカーは臨機応変に生産できることが、変化への対応という点でメリットになろう。建設用鋼材を生産するという一貫した事業の中で、根本となるものと、変えていくべきものとを常にしっかり意識しつつ、変化への対応に取り組んでいく」

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