アジア大会出場の野球新興国・ラオスを指導するのは韓国球界のレジェンド

ラオスでの野球の普及に尽力する李萬洙氏【写真:豊川遼】

現役時代は韓国初の三冠王に輝いた李萬沫氏

 現在、インドネシアで行われているアジア競技大会の野球競技は10の国と地域が参加しており、26日からはグループラウンドが始まった。それ以前にラオス、タイ、スリランカによる予選ラウンドが行われ、特にラオスにとってこれが国際大会デビューであった。

 国際大会初出場を果たしたラオス。インドネシア・ジャカルタにあるGBK球場のベンチ内には韓国語が響き渡っていた。東南アジアに位置するラオスでは主に韓国人が普及活動を行っている。同活動の第一人者である李萬洙(イ・マンス)氏に話を聞いた。

 李萬洙氏は韓国プロ野球草創期におけるレジェンド選手の1人で、現役時代はサムソンライオンズに所属。韓国球界第1号本塁打を記録しただけではなく、球界初の三冠王にも輝くなど長年、捕手としてチームを支えた。現役時代の背番号22は永久欠番となっている。通算252本塁打を放ち、引退後はホワイトソックスのコーチを経てSKワイバーンズの監督を歴任した。

 SK監督在任中の2013年オフ、ラオスとの出会いは突然訪れる。「11月に友人からラオスで野球を教えてほしいと頼まれました。了承はしたものの、なかなか忙しくて実行に移すことができませんでした。それでも何度もプッシュされたことで引き受けることにしました」と青天の霹靂だったことを振り返っている。翌年には実際にラオスへ。そこではグラウンドや道具はおろか、野球という言葉も存在しておらず、本当にゼロから普及活動を始めることになったという。

 まず手始めに道具を集めるところから始めた。李萬洙氏はSK球団関係者はもちろん、これまで培った人脈を頼ってボールやグラブ、バットなどをかき集めた。「集めた道具の量としては段ボール5箱分ですね。コンテナに乗せてラオスへと送りました」と苦労を語っている。最初はなかなか活動に踏み切ることができなかったが、やり始めると猛スピードで事を進めていく。

 次はラオスでのチームづくりに着手。最初は現地で野球についてPRし、実際にプレーしてみたい人を集めた。「ランニングやキャッチボールなど野球の基本的な動作を見て判断しました。結果的には40人を選んでチームをつくりました。これがラオスでの最初のチーム、ラオ・Jブラザーズです」と経緯を紹介してくれた。李氏はそのまま監督兼オーナーに就任することになった。

 ラオスでの普及活動のパイオニアといえども、海外での野球指導は言葉の壁もあり難しい。「通訳の助けもありましたが、最初は1人で100人以上の選手を見ていました。さすがにそれは大変なので、今は韓国人のコーチが3人います」と投手ならぬコーチ分業制で指導を行っているという。

李承ヨプ氏も道具を寄付 野球連盟設立し4年でア大会出場果たす

 その後は韓国で活動拠点を置きながら自ら立ち上げた青少年の野球選手を支援するために立ち上げた財団「ハルク・ファウンデーション」の活動を通じてラオスへの道具の送付や指導などを行っていく。本人は年に3、4回ほどのペースでラオスに足を運んだ。ラオスにおいて4回にわたって国際野球交流会も実施されており、日本チームも参加。これまでは元日本ハムの糸数敬作氏の姿もあった。

 李氏は指導の傍ら、ラオスに野球を根付かせるべく奔走。スポンサー集めや寄付の依頼、現地の政府関係者との会談などを経て、昨年7月3日に念願だったラオス野球連盟を誕生させ、世界野球・ソフトボール連盟(WBSC)に加入した。そしてアジア大会への出場が決まると、今年6月には選手達を韓国に呼んで代表合宿を実施。日本でも活躍した李承ヨプ氏が道具を寄付したという。

 そして迎えたアジア大会本番。李氏はコーチとして参加し、現役時代と同じ背番号22のユニフォームに袖を通した。国際大会デビュー戦の相手はタイ。タイ系アメリカ人も擁する打線との対戦となった。初の国際試合で緊張したのか、ラオスの選手達は序盤から失点を重ね、0-15の6回コールド負け。しかし、次戦のスリランカ戦では一変、ランニング3ランが飛び出すなど乱打戦が展開され、途中1点差までに詰め寄ったが惜しくも10-15で敗れ、国際大会初勝利とはならなかった。

ラオス野球発展へ尽力「野球からもらった愛を今度は伝えたい」

 世界への普及活動は、現役を引退した選手のセカンドキャリアとして考えられる分野でもある。今後のラオス野球の発展へ、日本球界やファンへのメッセージを求めると次のように話した。

「ラオス野球はまだまだ始まったばかりです。今でも道具等は寄付などで賄っています。1人でも多くの協力者が必要であり、是非、日本のみなさんのお力を貸してください」

 当初は野球不毛の地での活動に対して疑問の声もあったが、今では国際大会に出場できるところまで到達した。「野球からもらった愛を今度は伝えたい」李氏は今後も野球への恩返しのため、ラオス野球発展に尽力する。将来的に日本代表と対戦する日も訪れるだろう。今後の成長に注目だ。(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

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