西武球団主催の車椅子ソフトボール大会開催 普及活動とパラ採用を目指す

大宮第二公園多目的広場で第4回ライオンズカップ車椅子ソフトボール大会が行われた【写真:武山智史】

体験会には女子プロ野球選手も参加

 9月1、2日の2日間、埼玉・大宮第二公園多目的広場で第4回ライオンズカップ車椅子ソフトボール大会が行われた。西武は野球振興の一環として、2015年から大会を主催。球団公認チーム「埼玉A.S.ライオンズ」を立ち上げるなど車椅子ソフトボールの普及活動に力を注いでいる。

 初日は参加6チームを2つに分けた予選リーグとトーナメント準決勝までが行われたが、2日目は朝から強い雨が降る悪天候に。開催も危ぶまれたが9時過ぎから雨が弱まり、大会本部は開催に踏み切った。

 2つのコートでは、片方で横浜ガルス対北海道Brave Fightersの5位決定戦。もう一方では一般向けの車椅子ソフトボール体験会が行われた。参加者は車椅子に乗りながらキャッチボールやバッティングを楽しんだ。

 埼玉西武と同じく埼玉を本拠地とする女子プロ野球チーム・埼玉アストライアの山崎まり選手も体験会に参加。「野球とは違った面白さがあります」と車椅子ソフトを体験した感想を語った。バッティング体験では、その様子をネット裏から見守っていた西武の居郷肇球団社長が急きょ参加する場面も。法政大-プリンスホテルと名選手で鳴らした居郷氏は、現役時代さながらのバッティングを披露していた。

サプライズで登場したのはあのアイドル

 そして、体験会にはアイドルグループ「仮面女子」の猪狩ともかさんがサプライズで登場。猪狩さんと言えば昨年9月8日、メットライフドームでの対日本ハム戦の始球式に登場するなど、大の西武ファンとして知られる。しかし今年4月、強風で倒れた看板の下敷きとなる事故に遭い、その結果、脊髄損傷による両下肢麻痺で車椅子生活を余儀なくされた。

 その後、リハビリを経て8月下旬にはイベントに参加し芸能活動を再開。このライオンズカップにはスペシャルナビゲーターとして来場した。体験会では競技用の車椅子に乗ってキャッチボールなどを行った。競技用の車椅子について猪狩さんは「普通の車椅子よりも軽いですし、ターンしやすいです。ダンス用に良いなと感じました」と笑顔を見せた。

 決勝戦の試合前セレモニーでは猪狩さんのスペシャルナビゲーター就任式が行われ、居郷社長から「IGARI 27」とネームと背番号が入った埼玉西武のユニホームが授与された。さらに、試合前の「始打式」ではピッチャー役を務めた居郷社長のボールを三塁方向へ打ち返す打撃を披露。猪狩さんは始打式を終えて「一発で打てたのでうれしかったです。車椅子ソフトボールはやっていても楽しいですし、見ていても迫力が凄い。『こんなに車椅子で動けるのか』と感動しました。私が体験することで、今よりも多くの人に知ってもらえるきっかけになればと思います」と振り返った。

今大会も白熱の試合が繰り広げられた【写真:武山智史】

白熱の試合が繰り広げられた大会の結果は…

 決勝戦では、第1回から参加し過去準優勝2回のTOKYO LEGEND FELLOWS(以下東京)と、北九州、大阪、東海の連合チームである国士無双が対戦。1回表に国士無双が2点を先制するも、その裏に東京が4点を挙げ逆転。東京はその後も小刻みに得点を奪い8対4で勝利し、ライオンズカップ初優勝となった。

 東京の松井進作監督は「車椅子ソフトボールの主要大会では北海道と北九州の大会は優勝していましたが、このライオンズカップはまだ優勝していなかった。これで3つの主要大会で優勝となったのでうれしいです」と喜びを語った。

 決勝戦後に行われた表彰式で居郷社長は「引き続き車椅子ソフトボールを支援していく所存です。みんなで発展していきましょう」と呼びかけた。東京の松井監督は車椅子ソフトボールの魅力として「障がい者も健常者も、老若男女が楽しめるスポーツ」を挙げる。日本車椅子ソフトボール協会では将来的な目標として「パラリンピックの正式競技」を目標に掲げている。その土台作りとして、西武は今後も車椅子ソフトボールの普及活動を続けていく。(「パ・リーグ インサイト」武山智史)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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