『Sportskeeda』は12日、「起こりかけていた5つの狂った移籍」という記事を掲載した。
サッカー界のマーケットは魔海のようなもの。何が起こるかは誰にもわからず、起こったことが正しいのかどうかも不透明だ。
もしこんなスターの移籍が起こっていたら、サッカーの歴史は変わっていたのかもしれない…。
ピエール=エメリク・オーバメヤング(→WBA)
アーセナルが今年1月に6375万ユーロ(およそ82.5億円)という価格でボルシア・ドルトムントから獲得した快速FWオーバメヤング。
彼はかつてウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン(WBA)への移籍が決まりかけたことがあり、そのときは200万ユーロという額で交渉されていたという。
WBAのスカウトを務めていたスチュワート・ホワイトは、2011年にサンテティエンヌとオセールの試合を見て、オーバメヤングのプレーに関心を抱いた。
しかしながら、交渉の相手はミラン。彼の父親がスカウトを務めているクラブだった。WBAが彼を獲得することは叶わなかった。
ロベルト・レヴァンドフスキ(→ブラックバーン)
ポーランドリーグで得点を量産していた22歳のストライカーだったレヴァンドフスキは、新しい挑戦を求めていた。
結局彼はボルシア・ドルトムントに移籍することを決め、その後バイエルン・ミュンヘンでプレーすることになったわけだが…。
ただ、彼は2010年にブラックバーン・ローヴァーズの施設とスタジアムを視察に来るという予定まで立てていた。
ところが、それがアイスランドの火山が噴火したことで飛行機が飛べなくなりキャンセルに。その結果、彼のキャリアはドイツで形成されることになったのだ。
リヴァウド(→ボルトン)
2002年の日韓ワールドカップを優勝したブラジル代表の攻撃的MFは、ACミランでのプレーでコンディションを崩してしまった。
そして2004年にはサム・アラダイスが率いていたボルトン・ワンダラーズが接近。プレミアリーグへの移籍に近づいていたという。
しかしながら、関心をもつだけでは十分ではなかった。リヴァウドは結局ギリシャの名門オリンピアコスへの移籍を決め、81試合で43ゴールを奪う活躍を見せた。
ディエゴ・マラドーナ(→シェフィールド・ユナイテッド)
1978年に若手のサッカー選手をスカウトすることになったら、17歳のディエゴ・マラドーナをチェックせずに終わることはまずないだろう。
シェフィールド・ユナイテッドの監督を務めていたハリー・ハスラムは、アルゼンチンにスカウト旅行をし、20万ポンドでマラドーナにオファーしたのだ。
ところが、クラブがそれを断った。20万ポンドは高いと考え、16万ポンドであのアレハンドロ・サベーラと契約したのだ。サベーラはいい選手だったが、流石にマラドーナと比べては…。
なお、この二人が後にアルゼンチン代表監督としてワールドカップに臨むことになるというのもなかなか趣がある。
ジネディーヌ・ジダン(→ブラックバーン)
20年以上前、ジネディーヌ・ジダンはボルドーのヤングスターとしてプレーし、多くのサポーターを沸かせていた。
ブラックバーンのケニー・ダルグリッシュ監督は、1995年にプレミアリーグで優勝したチームを更に強化するため、ジダンの獲得を要求した。
しかしそれは起こらなかった。その唯一の理由は、ブラックバーンのオーナーであるジャック・ワーナーだった。
『なぜティム・シャーウッドがいるにもかかわらずジネディーヌ・ジダンと契約しなければならないのだ?』と彼は説明した。
しかしそれ以来、ジダンはバロンドールにワールドカップ、チャンピオンズリーグに優勝。監督としても成功している。一方ブラックバーンは…。