【リーマン・ショックから10年】荒れた国際鉄鋼市場、ホット価格1000ドルから400ドル台ヘ

JFE、「CSI向けスラブ再開」のきっかけに

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 世界経済を揺らした「リーマン・ショック」からあす15日で10年。鉄鋼市場にも激動をもたらした金融危機の当時を、輸出営業の現場から振り返った。(黒澤 広之)

 2008年。この年は年初から世界の鉄鋼業は異様な雰囲気に覆われていた。鉄鉱石や原料炭といった資源価格の急騰に伴い鋼材価格も暴騰。トン当たり550ドルだった熱延コイルの輸出価格は1千ドル台へと跳ね上がった。

 リーマンショックの震源地となる米国市場は前年から住宅向けのサブプライムローン問題が表面化し、需要は芳しくなかった。にもかかわらず、ホットは世界最高値の1100~1200ドルを付けている。空前の値上げ浸透に、世界中で鉄鋼メーカーの業績は過去最高益が相次いだ。

 「熱狂」は夏場に入るとやや落ち着き、中国や欧米の国際市況は軟化し始める。それでもなおホットは優に1千ドルを超えていたが、9月15日を境に市場は壊滅的な状況へ向かうことになる。

 金融の問題であり、実体経済には影響ない。リーマンショックの発生直後はそう見られていたが、次第に商談にも支障が出始める。当時のホット輸出で圧倒的な販売先だった韓国では外貨が不足し、10月初旬にL/C(貿易の決済信用状)が開けないケースが出始めた。決済ができず、韓国リローラーから明細が入らないという事態に陥っていく。

 そして10月の国慶節が明けた中国で鋼材市況が暴落し、市場心理は一気に冷え込んでいく。

 この年の4~6月期に今もなお四半期の過去最高となる58億ドルの純利益を稼ぎ出したアルセロール・ミッタル(AM)は、リーマンショック前まで毎日のように買収や投資計画を発表していた。しかし7~9月期決算を発表した11月には様相が一変。10~12月期に粗鋼で900万トン減産すると表明し、稼働率はフル操業から一気に70%をも割り込むようになる。

 それまで潤沢にあった引き合いは瞬く間に消え、AMだけでなく世界中の鉄鋼メーカーは減産に動き出すものの、需要の落ち込みに追いつかないほどだった。この頃、都内のシンポジウムで講演した三井物産のある副社長は、ブラジルのヴァーレが販売する鉄鉱石の引き取りが月間でゼロになったと明かしている。

 「これでは高炉が壊れてしまう」。

 出銑し続ける高炉設備が最低限維持すべき稼働率すらままならない。当時、JFEスチールで輸出営業を管掌していた矢島勉専務は、置き場がないほど山積みになったスラブを売りさばくため東奔西走する。

 「48会」の同窓、玉井敏行氏が副社長を務めていた米国のカリフォルニア・スチール・インダストリーズ(CSI)へ飛ぶと、年間40万~50万トンのスラブを安定的に輸出する取引を確立。JFEはCSIの大株主ながら、需給ひっ迫が続く中である時からCSIへのスラブ供給をなくしていた。リーマンショックが再開のきっかけとなった。

 また韓国・東国製鋼へ頼み込み、厚板用スラブを通常より多く引き取ってもらった。困った時はお互い様と、日ごろの付き合いが有事では物を言った。

 ただ世界各地で鉄源が余るようになり、不安なく造って売れるのは軌条(レール)だけという厳しい営業の時代が訪れる。ホットは1千ドルから400ドルへと急落。多くの鉄鋼メーカーが天国から地獄を経験し、以降の世界鉄鋼業の景色は一変した。

 AMと当時の新日本製鉄が計画していた米国の薄板合弁事業、アイエヌコートでの増強は延期となり、フェスト・アルピーネが黒海沿岸での建設を決めていた製鉄所構想は撤回された。続々と投資計画が凍結される一方、中国では政府が景気対策で打ち出した「4兆元投資」を当て込み鉄鋼業への投資が加速。リーマンショックは中国勢の存在感向上を加速させ、世界の鋼材市況のパワーバランスも変える契機となった。

 新日鉄内では数々の経済指標を読み取り、早くから景気後退を予見していた。営業担当だった今久保哲大副社長はこれらシグナルを踏まえ指示し、危機の到来に際しても「慌てても仕方ない」と泰然としていた。

 そんな今久保氏が日鉄住金物産の顧問を退く時、思い出話で心残りに挙げたのがリーマンショック時の対応だった。「もう少し、うまくやれたと思うんだよな」。

 備えていても憂いが残る、それほどの劇的な変化だった。