大火砕流の記憶 未来へ 南島原 大野木場小で集会

 雲仙・普賢岳の大火砕流による旧校舎焼失から27年となる南島原市深江町の市立大野木場小(大草修三校長、125人)で14日、災害を語り継ぐ集会「メモリアルデー」があり、児童が記憶の継承に向け思いを新たにした。

 旧校舎は1991年9月15日の大火砕流で骨組みを残して焼け、現在は災害遺構として保存。集会は保護者や住民を招き、98年から毎年開いている。
 集会では5年生が事前学習の成果を、クイズや寸劇で発表。噴火の概要や当時の児童の日記を紹介し、「火砕流が滑り降りてきて怖かっただろうと思った」と述べた。当時、同校教諭だった下田恭子さん(64)=島原市=が講話し、「児童は普賢岳の観察日記や一輪車の練習に取り組み、大人は励まされた。今できることを頑張れば大野木場をもっと素晴らしい古里にできる」と語った。
 火砕流で焼けた旧校庭のイチョウの木がたくましく再生した際の感動を表した第二校歌「生きていたんだね」を、児童全員で合唱。6年の宮田ゆかりさん(11)が「西日本豪雨や北海道の地震で大きな被害や犠牲が出た。いつ何が起こるか分からない。災害や防災をしっかり学び、未来につなげる。復興した学校で学べる幸せに感謝し、一生懸命生きる」と決意を述べた。

校庭にあったイチョウの木の再生が歌詞に盛り込まれている「生きていたんだね」を合唱する児童=南島原市立大野木場小

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