西武山川、平成生まれ初の50本塁打なるか 現在42本、残り14試合で8発

西武・山川穂高【写真:荒川祐史】

王貞治氏は3回、ローズとカブレラと落合は2回記録

 9月18日の日本ハム戦で、西武の山川穂高は5回に加藤から左越にソロホームランを放った。山川の本塁打は5戦5発、通算42号。西武の残り試合は「14」。久々に50本塁打の可能性が見えてきた。

 山川が50本の大台に到達すれば、2013年のヤクルト、バレンティン以来5年ぶりとなる。NPBで50本塁打を記録したのは、ここまで延べ14人しかいない。

1バレンティン(ヤクルト)60本/2013年(130試合439打数)
2王貞治(巨人)55本/1964年(140試合472打数)
2ローズ(近鉄)55本/2001年(140試合550打数)
2カブレラ(西武)55本/2002年(128試合447打数)
5バース(阪神)54本/1985年(126試合497打数)
6野村克也(南海)52本/1963年(150試合550打数)
6落合博満(ロッテ)52本/1985年(130試合460打数)
8小鶴誠(松竹)51本/1950年(130試合516打数)
8王貞治(巨人)51本/1973年(130試合428打数)
8ローズ(近鉄)51本/2003年(138試合508打数)
11王貞治(巨人)50本/1977年(130試合432打数)
11落合博満(ロッテ)50本/1986年(123試合417打数)
11松井秀喜(巨人)50本/2002年(140試合500打数)
11カブレラ(西武)50本/2003年(124試合457打数)

 王貞治が3回、ローズとカブレラと落合が2回、50本塁打以上を記録している。

平成では延べ6人が達成も日本人打者は松井秀喜だけ

 NPBの本拠地球場は、昭和の時代は両翼90m、中堅115mが一般的だった。

 公認野球規則2.01「競技場の設定」には、1958年6月1日以降にプロ野球球団が新設する球場は、両翼325フィート(約99.058メートル)、センター400フィート(約121.918メートル)以上なければならないとあるが、この規則は長年守られなかった。球場が大きくなると、本塁打が減ると考える関係者が多かったからだ。

 しかし1988年、東京ドームが開場。史上初のドーム球場として注目されたが、この球場は公認野球規則に従って、両翼100m、中堅122m。これまでにない大きな球場だった。

 このサイズがスタンダードとなって、以後の新設球場はすべて両翼100m以上となる。また旧来からある球場もホームベースを後ろに下げ、外野フェンスを改修するなど、大型化が進んだ。甲子園では1992年にラッキーゾーンが撤去されている。

 関係者の予想通り、球場の大型化で本塁打数は減少。1986年のロッテ、落合博満の50本塁打を最後に、15年間も50発打った選手は出なかった。

 2001年に近鉄のローズが55本を打ち、平成時代には延べ6人が50本超えを果たしたが、日本人選手は2002年の松井秀喜だけ。あとはローズ、カブレラ、バレンティンとMLB出身の選手だった。

秋山、浅村、中村ら前後の打者も強力 山川と勝負避けられず

 山川穂高が50本塁打を打てば、平成以降の日本人選手では、松井秀喜以来2人目となる。また平成生まれで初めての50発となる。

 山川が今季、本塁打を量産しているのは自身の成長もあるが、秋山翔吾、浅村栄斗、中村剛也と山川の前後に強力な打者がいることも大きい。各球団の投手は、分厚い西武打線にあって、山川との勝負を避けるわけにはいかないのだ。

 14試合で8本は、かなり厳しい目標ではあるが、不可能とは言えない。チームのマジックを減らすという目標もあるし、ぜひトライしてほしいものだ。(広尾晃 / Koh Hiroo)

© 株式会社Creative2