西武、今世紀初の本拠地Vへばく進 メットライフドームで悲願達成なるか

西武・辻監督【写真:荒川祐史】

2002年はダイエーの引き分けでV決定 伊原監督はホテル駐車場で胴上げ

 開幕から首位を走り続けた西武が、怒とうの12連勝でマジックを1とし、10年ぶりとなるパ・リーグ優勝へ王手をかけている。2000年代は02年、04年、08年と3回の優勝を誇る西武だが、本拠地での優勝決定は1998年が最後。今年、メットライフドームでの悲願達成となれば、20年ぶりの本拠地胴上げが叶うことになる。

 2002年、伊原新監督のもとでスタートを切ったチームは、5月中に首位に立つと、そこからは一度もその座を譲ることなく駆け抜け、9月21日に優勝を決めた。

 この日、マジックを1としてロッテとのデーゲームに臨んだチームは、先発・許銘傑(現・西武2軍投手コーチ)が4回3失点でマウンドを降り、打線もロッテ投手陣の前に得点を奪えず。0-4で完封負けを喫してしまう。

 敗れはしたものの、マジックの対象チームであるダイエーはナイターで日本ハムとの試合を控えており、未だ優勝決定の可能性が残る状況。西武ナインが宿舎で戦況を見つめる中、ダイエーはエース・斉藤和巳を先発に立てて試合を迎える。

 5回裏に日本ハムが先制点を奪うと、0-1とソフトバンクがリードを許したまま試合は9回へ。ところが、伊原監督が2死の時点で早々と準備を整えて選手のもとへ向かったにもかかわらず、3番・大道選手が起死回生の一発を放って同点に。依然として優勝の瞬間を迎えることはできない。

 歓喜の瞬間が訪れたのは、その日の延長12回に及ぶナイターの終了後。ダイエーが引き分けで試合を終えると、西武ナインは待ちに待った祝勝会を行った。この時、伊原監督が胴上げされたのは、なんとホテルの駐車場。試合以上に落とすことができない胴上げも無事に終わり、チームは歓喜の輪に包まれた。

2004年、伊東勤監督での優勝時はプレーオフを勝ち抜き福岡ドームで胴上げ

 続く優勝は2004年。この年も新たに伊東勤監督のもとでシーズンをスタートした。1年を通してダイエーとの熾烈な首位争いを繰り広げた西武は、レギュラーシーズンを2位で終える。

 しかし、パ・リーグではこの年からプレーオフ制度が導入。レギュラーシーズンのAクラス(1~3位)チームによって、現在のクライマックスシリーズのような戦いが組まれ、それによって順位が決する方式となっていた。

 西武は、本拠地・西武ドーム(当時)で行われた第1ステージを2勝1敗で勝ち上がり、ダイエーとの第2ステージに進出する。初戦を落としたが、2勝2敗で迎えた5戦目、延長10回表に勝ち越し点を奪って勝利し、敵地・福岡ドーム(当時)で見事レギュラーシーズンのリベンジを果たした。

2008年は渡辺久信監督が就任し4年ぶりの制覇も胴上げは札幌ドーム

 2軍監督を務めていた渡辺久信監督(現・西武シニアディレクター兼編成部長)が新たに1軍監督に就任した2008年。栗山巧、中島宏之(当時裕之、現オリックス)、中村剛也といった新進気鋭の選手たちの台頭もあり、4月5日から首位を譲ることなくシーズンが進んでいく。

 マジックを1とした西武は、9月24日のロッテ戦に敗れ、マジックの対象チームであるオリックスが勝利。両チームとも25日は試合がなく、依然としてマジック1のまま9月26日を迎える。

 札幌ドームでの日本ハム戦に臨んだ西武は、日本ハムの投手陣から得点を奪うことができず。完封負けを喫し、優勝を前にまさかの4連敗となってしまう。しかし、この試合の裏で行われていた楽天とオリックスの一戦。序盤2イニングで10得点を挙げた楽天が、先発・田中将大(現・ヤンキース)の好投もあり13-1と大勝を収めた。

 2位・オリックスが敗れたことで西武の優勝が決定。札幌ドームの試合が決する前に優勝が決まっていたため、試合には敗れたものの渡辺監督は札幌ドームで宙に舞うこととなった。

 21世紀に入り3度の優勝を果たしている西武だが、ここまで振り返ってきたように本拠地での胴上げは叶っていない。マジック1で迎える29日のソフトバンク戦で10年ぶりのリーグ優勝、さらには20年ぶりの本拠地での胴上げとなるか。(「パ・リーグ インサイト」成田康史)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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