あの怪物も!中東サッカーを開拓した5名の日本人

UAEで開催中のFIFAクラブワールドカップで、地元アル・アインのDF塩谷司が奮闘中!

そこで今回は、中東各国の国内リーグで最初にプレーした日本人選手たちを取り上げよう。先駆者となった日本人の顔ぶれとは。

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杉田 祐希也

ACL決勝前にQolyのインタビューに登場してくれた杉田はご存知、「中東最強の国」として名高いイランで初めてプレーした日本人だ。

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彼は柏ユース出身の攻撃的MFで、仙台大学から2012年夏にスペインへと渡ると、エルクレス時代にはあのジェラール・ピケから絶賛されて大きな話題となった。

その後は紆余曲折あったが、タイを経て昨年スウェーデンで復活。2部ダルクルドの1部昇格を牽引すると、1部で活躍していた今季の途中にイラン1部トラクトル・サジと3年契約を結んだ。

岩﨑 陽平

津工業の時代に全国高校サッカー選手権に出場し、三重県の国体選抜に選ばれた左サイドバック。

彼は中央大学を休学してブラジルでキャリアを始め、その後、逆輸入の形でJ1・アルビレックス新潟へ加入。1年半で1試合の出場機会も得られなかったが、パラグアイ、インドを経て2014年にJ2・FC岐阜へ移籍すると、待望のJデビューを飾った。

その後はマレーシア、オーストラリアで活動を続け、2017年、オマーン1部アル・シャバーブと契約を結んで同国でプレーする最初の日本人となっている(現在は退団している模様)。

森本 貴幸

2004年にJリーグ史上最年少となる15歳11か月でゴール(後に久保建英が更新)を飾り、「怪物」「和製ロナウド」などと評された森本。

18歳でイタリアに渡り2010年ワールドカップの23名にも選出された彼は、ノヴァーラ時代の2012-13シーズン途中、かつての恩師ヴァルテル・ゼンガから誘いを受け、UAEのアル・ナスルへ期限付きで移籍。中東でプレーする初の日本人選手となった。

在籍した期間は短かったものの、ACLでも3得点をあげるなどシーズン途中の加入ながら結果を残してみせた。その後7年ぶりにJリーグへと復帰し、ジェフ千葉、川崎を経て現在はアビスパ福岡に在籍している。

なお、UAEでは森本、増田誓志、塩谷の3人がこれまでプレーしている。

佐藤 穣

現在、韓国2部リーグの光州FCに在籍している佐藤。

群馬の名門・前橋育英高からJ2・ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)に加入した彼は、高卒新人ながら21試合に出場し順調なスタートを切ったかに思われた。

しかしたった1年でクラブを退団すると、その後、世界中を飛び回ることに。これまでアメリカ、メキシコ、ラトビア、ベラルーシ、ウズベキスタン、カタール、韓国と、日本を含めて8か国でプレーしている。

2017年にはカタールのムアイザルSCに加入し、同国1部リーグでプレーする最初の日本人に。元スペイン代表MFシャビと対戦するなど半年間の在籍で12試合2ゴールを記録し確かな足跡を残した。

内田 昂輔

2010、2011年にJ2・大分トリニータでプレーした内田。

その後は世界中を流浪しており、現在はミャンマーのヤンゴン・ユナイテッドでACL出場の目標を達成すべく奮闘している。その模様はちょうどQolyでもお届けしたところだ。

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その彼が中東のサッカーを“開拓”したのは2016年のこと。2部ではあったがバーレーンのブダイヤクラブに加入し、同国でプレーする最初の日本人となった。

本人によれば、バーレーンはごく一部のクラブを除いて経営状態が決して良好ではなく、選手はクラブのオフィスで寝泊まりさせられることもあったそう。入れ替わりも日常茶飯事で、気付いたら選手がいなくなることも珍しくない厳しい環境だったようだ。

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