「ベースボール」ではなく「野球」を――シンガポール代表日本人監督が伝える思い

シンガポール代表監督の内田秀之氏【写真:豊川遼】

代表監督の内田氏、海外支社出向を機に続ける23年の野球普及

 日本は世界野球ソフトボール連盟(WBSC)が発表した最新のランキングで再び1位に返り咲いた。2019年以降は世界野球プレミア12や東京五輪など国際大会が続く。その過程では自国の強さを求めると同時に、世界的な競技普及、強化を牽引することも課題となるだろう。

 日本が誇る技術や指導法は、今や世界に広く普及しているが、東南アジアに属し、世界ランキング68位のシンガポールの野球発展には日本が大きく関わっている。現地での野球普及活動の第一人者であり代表監督も務める内田秀之氏に話を聞いた。

 内田氏は日大三高出身で大橋譲氏(元阪急など)らとともに第1次黄金時代を形成。卒業後は日大、パナソニックと進み、野球と仕事を両立していく。パナソニックで働いていたある日、海外支社へ出向となり海を渡ることに。それがシンガポールとの最初のつながりとなった。

「野球を(シンガポールで)教え始めたのは23年前。当時は仕事で来ていたのですが、現地に住む日本人から『野球をやりたい』という声があったのがきっかけです。最初は小学4年、5年生の年代を教えていました。そのうちにシンガポール人も集まってきて、野球を通じて国際交流をするようになりました」

 こうして交流を重ねていく中で、内田氏はシンガポール政府から「テクニカルの部分も見てほしい」との要請を受け、そのまま代表監督に就任した。しかし、お国柄もあり、選手たちは日本のように競技に集中できる環境にはないと語る。

「シンガポールは学歴社会なので、もちろん学業が優先になります。なかなか選手全員が集まって練習することはありません。また、国の決まりで18歳になると兵役に就かなければならないのでチーム編成には苦労しています」

 シンガポールに野球場は存在せず、マウンドがないソフトボールのグラウンドで練習を行っている。現地ではソフトボールチームが強く、野球よりも優先度が高い傾向にあるというが、内田氏は日本には存在しない独特の課題と向き合いながら限られた環境の中でチームの強化に取り組んでいる。

「ベースボール」ではなく「野球」が持つ魅力とは

 取材当日は、香港で12月14日から17日まで世界6の国と地域のナショナルチームやクラブチームが集まって開催された「WBSC香港国際ベースボールオープン2018」の真っ最中。シンガポールはこの大会に高校生を中心としたナショナルチームで参加していた。学業や兵役が優先される事情もあり、ベストメンバーが揃わなかったものの、内田氏によれば過去にも例を見ない20人の選手が集まったという。

 日本とは文化や社会背景が違う国で、野球を指導するのは一筋縄ではいかない。その中で指導するにあたり大切にしていることを教えてくれた。

「世界には『野球』と『ベースボール』がありますが、私は『野球』を教えています。ベースボールは個人競技になりがちですが、野球はチームワークはもちろん、プレー以外にも道具や礼儀を大切にします。また、キャッチボールでは相手が捕りやすいように胸元に投げるという『心遣い』もできます」

 野球では勝利に向かってチーム全体が結束し、選手同士が助け合いながらプレーする。もちろん、選手である以上、試合で勝つことも大切だが、内田氏は野球を通じて多くのことを学んでほしいと願っており、「選手個々がリーダーになってほしい」との想いがある。

 試合前練習では、他の参加チームはキャッチボールや軽めの練習でアップを済ませていたが、シンガポールはこれらの練習に加えてシートノックを行っていた。日本の試合では見慣れた光景ではあるが海外では珍しい。だが、普段は野球場がない環境で練習している選手たちにとっては貴重な機会となった。試合に入るとベンチ内では選手たちが声を出して応援、守備中では声を出してチームを盛り立てるなど、「日本野球」の片鱗が確かに存在していた。

 内田氏の教えはチーム内に深く浸透しており、最年長でキャプテンを務めるワン・ガンイー外野手は「内田さんはいつでもポジティブな方で、どんな時でも諦めないことを教えてくれます」と話す。実際、試合では点差が開いて劣勢になってもつないで得点チャンスをつくり、点差を詰める粘りを見せるなど健闘。大会では準優勝(ナショナルチーム3か国参加)という結果を残した。

沖縄県高野連の協力の下、沖縄キャンプを実施

 香港での大会前、シンガポールチームは沖縄キャンプを実施し、沖縄県内の高校と練習や試合を重ねて準備をしたという。「沖縄の高野連がシンガポールチームが来るということで大歓迎してくれました」と内田氏。野球を通じての国際交流は、シンガポール野球の原点ともつながる。

 取材中、内田氏はある名刺を見せてくれた。そこにはシンガポール代表の選手たち1人1人の名前と「インコース」や「キャッチボール」といった野球用語、「やればできるぞ」などの応援メッセージが、日本語と英語で書かれていた。沖縄県の高野連からプレゼントされたものだそうで、この名刺を手にしながら内田氏は満面の笑みを浮かべて感謝の気持ちを語った。

 シンガポール政府からよりよい支援を受けるためには結果を残さなければならない。今回参加していた香港での国際大会では「最低でもメダルを取る(3位以内)」を目標にしており、見事にこれを達成。だが、そこで満足することなく、すでにシンガポールチームは次を見据えている。次なる目標とは……。「東南アジアのスポーツの祭典である『SEA GAMES』に出たい。そのためにはインドネシアやタイ、フィリピンに勝たなければなりません」と内田氏は語る。

「SEA GAMES」と、2019年11月30日からフィリピンを舞台に行われる大会で、東南アジアの11か国が集まり、野球をはじめ56種目の競技を行う予定になっている。野球競技において内田氏がライバルに挙げた3か国は、同地域でトップクラスの実力を持ち、シンガポール同様に日本人指導者が育成と発展に深く関わっているという。

 こうして遠く離れた東南アジアの地にも、日本の野球が根付いている。プレーを通じて人間形成をしながらも試合でも結果を出すという好サイクルは、今後も続いていくことだろう。さらなるシンガポール野球の発展に期待したい。(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

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