柏レイソルの安西海斗がポルトガルの強豪ブラガへ移籍することとなった。
そこで今回は、ポルトガル1部リーグでプレーした経験を持つ日本人選手を特集してみよう。全員覚えているだろうか。
中島 翔哉
2017~ ポルティモネンセ(42試合15得点 ※2019年1月16日現在)
リオ五輪で10番を背負いながらもJリーグでは燻っていた中島だが、欧州で何かから解放されたかのように輝きを放ち、現在ではリーグを代表する選手の一人となっている。
既に欧州の複数クラブから接触があり、ポルトガルを後にするのも時間の問題と考えられている。ただポルトやベンフィカも興味を示しており、3強のクラブからCLを目指すのも悪くはない選択肢だろう。
相馬 崇人
2009-2010 マリティモ(27試合2得点)
正確な左足と鋭いドリブル突破でチームに決定機を演出した左サイドアタッカー。
東京ヴェルディ、浦和レッズで活躍した後、海外移籍を目指して渡欧。無所属の期間も経験することになったが、2009年にクリスティアーノ・ロナウドの故郷として知られるマデイラ諸島を拠点とするマリティモへ移籍した。
マリティモではポルト戦でゴールを記録するなど2シーズンで一定の成績を残したが、環境の問題などから退団しドイツへ渡っている。
田中 順也
2014-2016 スポルティング・リスボン(20試合5得点)
現在ヴィッセル神戸に所属する田中順也は、ポルトガル3強の一角スポルティングに最初に在籍したに日本人だ。
柏レイソル時代にその破壊的な左足で脚光を浴び日本代表にも招集された彼は、ワールドカップ出場を逃した2014年6月にスポルティング・リスボンと契約し、バイアウト額が6000万ユーロ(78.8億円)に設定されたことで大きな話題となった。
ただ所属した2シーズン、限られた出場機会のなかで高い得点率を記録しファンから愛されたものの、ポジションを奪取するには至らなかった。
廣山 望
2002-2003 スポルティング・ブラガ(8試合0得点)
今回、安西が契約したブラガで15年以上も前にプレーしているのが廣山だ。
地元ジェフ市原(当時)を離れて南米へ渡った流浪のドリブラーは、パラグアイの強豪セロ・ポルテーニョで活躍して日本代表デビューを飾ると、2002年にポルトガルのブラガと契約を結んで同国1部で最初にプレーする日本人となった。
ブラガではケガで8試合の出場にとどまり、翌シーズンにモンペリエへ移籍。リーグアンで最初にプレーする日本人ともなっている。
亀倉 龍希
2013~ ポルティモネンセ(70試合0得点 ※2019年1月16日現在、2部の成績も含む)
父親は元ブラジル代表FWフッキの代理人を務めたブラジル人テオドロ・フォンセカ氏で、母親が日本人という攻撃的MF。
北海道で生まれた彼は東京ヴェルディのジュニアユースからFCポルトの下部組織へ移り、その後、当時2部のポルティモネンセでプロデビューを飾った。
1部では昨季6分間に出場したのみだが2部では50試合以上に出場しており、リオ五輪当時には自身のSNSで日本代表入りを希望している。
なお、金崎夢生もポルティモネンセでプレーしているが、当時は2部だったため除外。
また、日本人の父とイギリス人の母を両親に持つ広岡ライアン勇輝も1部のボアヴィスタに所属した経験を持つが、出場機会はなかった。