【MLB】1年目で米殿堂入りを果たしたロイ・ハラデー 非業の死を遂げた右腕の功績

現役時代フィリーズやブルージェイズで活躍したロイ・ハラデー氏【写真:Getty Images】

サイヤング賞2回、通算203勝を挙げたロイ・ハラデー

 2019年の米野球殿堂入り投票で、363票(得票率85.4%)を得て、1年目で選出されたロイ・ハラデーは、1977年5月にコロラド州デンバーで生まれた。1995年のアマチュアドラフト1巡目(全体17位)で、トロント・ブルージェイズに入団。ドラフト同期にはトッド・ヘルトン、ホセ・クルーズなどがいる。

 マイナーで好成績を挙げて1998年にはメジャーデビュー、99年からブルージェイズの先発の一角を占める。当初は、与四球が多く、一桁勝利のシーズンが続いたが、2002年に239.1回を投げて19勝を挙げる。翌2003年は22勝で最多勝、9完投、2完封もリーグ最多。サイ・ヤング賞を受賞した。

ハラデーの成績が急上昇したのは、「動く速球」の精度が上がったからだ。持ち球はカットボール、ツーシーム、シンカー。150キロ前後の球速で、打者の手元で鋭く変化する。同時に殿堂入りしたマリアノ・リベラもカットボールを武器にしたが、リベラのカットボールが落差が大きく三振を奪う球だったのに対し、ハラデーのカットボールは落差は小さいが鋭く変化し、打者のバットの芯を外してゴロを打たせる球だった。さらにチェンジアップも習得し、投球の幅を広げた。「打たせて取る」タイプのため、奪三振王は一度も獲得していない。

 2004、5年は故障もあり一桁勝利にとどまったが、2006年から6年連続で200イニング以上、15勝以上を記録。抜群の安定感で、マウンドを支配した。ハラデーはいわゆる「イニングイーター」というタイプ。先発すれば、多少失点しても、8回前後まで投げることができた。ハラデーの登板では、指揮官は救援投手を節約することができ、そういう意味でも貢献度の高い投手だった。

2017年に飛行機事故で40歳の若さで帰らぬ人となった

 2009年オフに大型トレードでフィリーズに移籍。当時のフィリーズはナ・リーグ東地区で3連覇中という強豪チーム。2010年、ハラデーはコール・ハメルズ、カイル・ケンドリック、ジェイミー・モイヤーらと強力な先発投手陣を形成、21勝で最多勝に輝き、2度目のサイ・ヤング賞も獲得。史上5人目の両リーグでの受賞となった。

 また、この年5月29日のマーリンズ戦では完全試合、初めて出場したポストシーズンでもノーヒット・ノーランを達成。リーグが変わっても、圧倒的なパフォーマンスを見せた。翌2011年も19勝を挙げ、エースとして活躍したが、2012年は故障もあり11勝どまり。2013年に右腕の故障が見つかると、このオフにあっさり引退を表明した。

 通算成績は、416登板203勝105敗、2749.1回2117奪三振、防御率3.38、最多勝2回、サイ・ヤング賞2回。

 松井秀喜との対戦成績は63打数14安打4本塁打、打率.222、イチローとは42打数11安打0本塁打、打率.262だった。トロント・ブルージェイズでは球団史上2位の148勝を挙げる。2017年にはこの功績で、カナダ野球殿堂入りを果たす。

 ハラデーは引退後、悠々自適の生活を送っていたが2017年11月7日、自ら操縦する小型飛行機がメキシコ湾に墜落し、帰らぬ人となった。まだ40歳という若さだった。米殿堂入り資格1年目での殿堂入りは、非業の死を遂げた大投手への鎮魂の意味もあったと思われる。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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