青の歴史を凝縮!日本代表ユニフォーム近代史「1992-2019」

AFCアジアカップはいよいよ今夜が決勝戦。日本代表は5度目の優勝をかけてカタール代表と対戦する。

日本代表がアジア杯で初優勝を飾ったのは、自国開催だった1992年の広島大会。決勝戦では高木琢也氏(現大宮アルディージャ監督)の左足が火を噴き、サウジアラビア代表に1-0で勝利。見事アジアの頂点に昇りつめた。

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この大会ではもう一つ、大きな出来事があった。それはメーカーのテンプレートではなく、完全オリジナルデザインの日本代表ユニフォームが登場したことだ。幾何学模様のその新ユニフォームは、アジア杯優勝の翌年にカタールで起きた悲劇から、後に「ドーハモデル」と呼ばれるようになる。

92年のアジア杯初優勝は、言わば日本サッカー新時代の幕開け。それはユニフォームにとっても同じで、歴史に例えるなら“近代史”と言ったところだろうか。

ここではアジア杯決勝を前に、この27年間に登場した数多のジャパンブルーのキットを、改めて目に焼き付けておきたい。

ドーハモデル(1992-96)

あのドーハの悲劇を経験したPuma製ユニフォームで、後にドーハモデルと呼ばれるように。この時代は同じデザインをadidas、Puma、Asicsの3社が持ち回りで担当していた。幾何学模様はヤタガラスの羽をデザインしたものだ。

92年のアジア杯で使われた最初のドーハモデルはadidas製だった。93年のPuma製を経て、94年にはAsics製の3代目ドーハモデルが登場。そして最後は95年に再びadidas製で締めくくった。

炎モデル(1996-98、98-99)

炎モデルは、不動明王が背負う炎「迦楼羅炎(かるらえん)」を両袖にプリントしたデザインが特徴。ドーハモデル同様にサプライヤー3社で持ち回り、初代はPuma製だった。

1998ワールドカップ・アジア最終予選などで使われた2代目のadidas製は、W杯初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」を経験した、記念すべき一着だ。

実は炎モデル、時代によってデザインの細部が微妙に異なるのだが、98W杯モデルはデザインがさらに進化。胸元を開襟襟に変更するなど明確に外見上の違いを確認できるため、「炎2期」や「炎モデル2」などと呼ばれる。

風モデル(1999-2000)

シャープでスピード感あふれるデザインの風モデル。青で「日本の国土とスピード感」を、白で「信頼とフェアプレー精神」を表現した。このユニフォームからサプライヤーの持ち回りを廃止し、adidasとの単独契約が始まる。

準優勝した1999年ワールドユースや、2000年のシドニー五輪、そして優勝した2000年アジアカップと大舞台で活躍したキットだった。

コントラストモデル(2001)

2001年のコンフェデレーションズカップなどで使ったコントラストモデル。2002年日韓ワールドカップを翌年に控えていた時期で、フランス代表、スペイン代表、ユーゴスラヴィア代表、イタリア代表など強豪国と試合を重ねたユニフォームだった。

富士山モデル(2002-03)

2002年の日韓ワールドカップで着用した富士山モデル。首元から袖にかけての赤いパイピングを富士山のシルエットに見立てている。W杯当時は、極端な表現をするなら「何処にでも売っていた」ユニフォームで、空前の大ヒットを記録した。

グラデーションモデル(2004-05)

濃淡を付けた青がきれいなグラデーションモデル。コンセプトは「経験と象徴」だった。このキットを着て2004年のアジアカップ中国大会に出場。中国代表との決勝戦では福西崇史氏のヘディングシュートで先制し、試合は1-3で勝利。大会2連覇を成し遂げた。

刃文モデル(2006-07)

苦い記憶が残る2006年W杯ドイツ大会で使用した刃文モデル。デザインのコンセプトは「日本刀」で、両脇の流線形デザインは日本刀の刀身に現れる“刃文”をイメージしている。

また、代表を応援するキャッチフレーズとして「SAMURAI BLUE 2006」が登場。後に2006を外した「SAMURAI BLUE」が、公式の愛称に格上げとなる。

ご来光モデル(2008-09)

2010年南アフリカW杯アジア3次予選や最終予選などで使われたご来光モデル。デザインのテーマは「日本魂」で、放射状に伸びるゴールドのラインは、代表チームのさらなる飛躍を表現している。デザインを一部変更して北京オリンピックでも着用した。

革命の羽モデル(2010-11)

革命の羽モデルは、自国開催以外では初のW杯ベスト16入りを果たした2010年の南アフリカ大会で着用。シャツ前身頃の「三本足のカラス(八咫烏)の羽」のグラフィックが特徴あるデザインだ。2011年のアジアカップでもこのキットを着て、見事に3度目の優勝を果たした。

結束の一本線モデル(2012-13)

斬新なデザインが物議を醸した結束の一本線モデル。胸の中央を走る一本のストライプで、選手やサポーターを含めた「日本人の結束」を表現している。ロンドン五輪ではデザインを一部変えて使用した。

円陣モデル(2014-15)

2014年W杯ブラジル大会で使用した円陣モデル。選手がピッチ上で円陣を組むと、背中の「結束の一本線」がつながり一つの輪になる。エンブレムから放射状に伸びる11本の線も特徴的だった。

調和モデル(2016-17)

2018年ロシアW杯のアジア予選で使われた調和モデル。代表史上最も濃い青を基調としているが、青というよりも黒に近い。胸部のグラデーションのストライプで“個性の異なる11人”を表している。

青炎モデル(2017)

袖に懐かしい炎をあしらった青炎モデルは、日本代表がW杯初出場を決めた1997年の「ジョホールバルの歓喜」から20周年を記念したユニフォーム。2017年6月7日に行われたシリア代表戦(キリンチャレンジカップ)の1試合限定で使われた。色付きのラウンドネックは、日本代表ではかなり珍しい。

勝色モデル(2018-)

2018年のロシアW杯で着用した勝色モデル。日本伝統の深く濃い藍色は、武将たちが戦いに挑む際に身にまとった「鎧下」に使われていたという。全体にあしらわれた点線は「刺し子柄」で、歴史を紡ぐ糸をイメージしている。

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