「地元のために」再出発 ホッケー 小宮晴菜 長崎国体世代の現在地(2)

 男女各2人の注目選手が掲載された本年度の全日本学生ホッケー選手権(インカレ)のポスター。その1人が小宮晴菜だった。川棚高から本格的にスティックを握り、高校時代は全国で一度も勝てなかった少女が、学生トップクラスの選手に成長した。その「原点」となったのが、2014年長崎国体。「やりきった感はあったけど、負けた悔しさや後悔の方が大きかった。もっと強いところでやってみたいと思った」

■進路の変更
 当時、ホッケーをやるのは「高校3年間だけ」と決めていた。だが、14年9月に「ダメ元」で受けたU-18日本代表の選考会で「まさかの合格」。その選考条件の中に「大学で競技を続ける」という項目があり、進路が変わった。
 最初は競技レベルが中堅クラスの大学を志望していたが、10月の地元国体の敗戦が目線を上げた。推薦を断っていた強豪、山梨学院大の監督へ自ら電話し、11月のセレクションを受けて入学が決まった。
 環境が変わった1年時は戸惑いばかり。40人以上の部員による競争は初めてで、アピールできなかった。先輩と3人一部屋での寮生活、試合のビデオ撮影や分析…。「もう嫌だとも思った。でも、あの地元国体の悔しさがあったから頑張れた」。腐らずに厳しい練習も雑用も耐えてきた。

■インカレV
 転機となったのは2年時のインカレ決勝。MFとして途中出場した。前半30分、右サイドを突破する先輩を見て「逆サイドで構えていて、来るって思ったら本当に来た」。浮いてきたボールを思い切りたたくと、ネットが揺れた。優勝に導く決勝ゴール。それからは不動のMFになった。抜群のスピードとフィジカルの強さを生かし、攻守の要としてチームを支えてきた。
 大学4年間で一番印象に残っているのは、引退前の最後の試合となった昨年12月の日本リーグ最終節。3位決定戦で日本代表5人を擁するコカ・コーラに0-2から追いつき、SO戦4-3で逆転勝ちした。「4年間で一度も勝てていなかった相手。すごくうれしい」。あの秋の悔しさを晴らせた完全燃焼のベストゲームだった。
 監督からは実業団入りを勧められたが、断った。大学に入る前から、卒業後は長崎の社会人クラブ「ながさき椿姫」で続けると決めていた。「地元国体に向けて、少年と成年が一体となっていた雰囲気が好きだった」。だから、Uターン就職を選んだ。親和銀行で働きながら、長崎に残っている姉の清華や妹の実晴、友人たちと、もう一度「地元のために」頑張ろうと思う。強くなれたという自信を胸に。

昨年11月の全日本学生選手権。山梨学院大女子の3位入賞に貢献した小宮=東京・駒沢オリンピック公園総合運動場第一球技場

 【略歴】こみや・はるな(川棚高-山梨学院大-親和銀行)
 佐世保市出身。早岐中までは陸上をしていた。姉の影響で川棚高1年からホッケーを始め、2、3年時にインターハイ、国体に出場。2014年度ユース(U-18)日本代表候補。山梨学院大2年時に2年ぶり8度目の全日本学生選手権(インカレ)優勝に貢献。4年時は関東学生春季、秋季リーグでベストイレブン、インカレで優秀選手に選ばれた。158センチ、54キロ。特技は縄跳び。実は高いところが苦手。1996年8月12日生まれ。

◎回顧録 2014長崎国体/三度目の正直ならず
 川棚高主体の少年女子は準々決勝から登場。初戦で春の全国高校選抜大会、夏の南関東インターハイで敗れていた沼宮内高主体の岩手と対戦した。FW小宮晴菜は得意のドリブル突破を仕掛けてゴールに迫ったが、決定機を生かせずに0-2で敗退。「三度目の正直」はならなかった。主将を務めていた小宮は「けっこう攻めていて、決めていれば流れが変わった場面もあった。何とか1点でも取って声援に応えたかった」と目を赤く染めた。

少年女子準々決勝。ドリブルでゴールに迫る小宮=東彼川棚町、川棚大崎自然公園交流広場

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