第2回:「災害は増えている」はフェイクか? いつでも起こり得るので常に警戒を

日本では「災害級の暑さ」なんて言われていますが、信じないという意見もあるようです(出典:写真AC)

■地球温暖化を信じる人とそうでない人

数年前、アマゾンのサイトで「地球温暖化」をテーマとする本を探していたところ、「地球温暖化なんてうそである」という主張の本が人気ランキング上位にずらりと並んでいるのを見てあ然としたことがあった。今でこそある程度バランスのとれた本が並んではいるが…。

世界中の科学者の大半は地球温暖化や気候変動は事実で、その原因は人間にあると考えており、これに懐疑的な科学者の割合はわずか数%だそうである。一方(アメリカ国内に限って言えば)圧倒的多数の科学者がこのように考えていることを、6割の国民が気づいていないという。なぜこんな傾向が出てくるのだろうか。それは、マスメディアのフェアな姿勢が裏目に出ているからだと指摘する専門家もいる。

というのは、マスメディアは世の中にAという意見がある一方で、アンチAという意見もあるなら、両者を公平に取り上げなくてはならないと考えているからだ。それらがメジャーな意見かマイナーな意見かにかかわらず、である。マスメディアがAとアンチAを同時に取り上げたとき、たとえAの支持者が99%で、アンチAの支持者が1%であったとしても、我々の目には2つの意見が同じ土俵で拮抗しているように見え、どちらの意見が正しいのか信用してよいのか迷ってしまうのである。

国内の災害に話を転じよう。昨今は自然災害が増えていると感じている人は少なくない。しかしそれを否定し、ともすれば楽観的に考えたくなるもう一人の自分がいることにも気づくだろう。自然といえどもいつも同じ状態ではない。あたかも人間が体調を崩すように、たまには気候のバランスが崩れて豪雨が降り続いたり、偶然が重なって地震が頻発することだってある。生きている地球の一時的で気まぐれな現象に過ぎないのだ、と。とはいえ、この驚異的な自然災害がもはや一時的で気まぐれな現象などではなく、明確な「増加傾向」をとるようなってきていることは、あながち根拠のない話ではない。

■右肩上がりに災害が増えている?

下図は過去40年間に発生した自然災害の件数とその被害額のグラフである。グラフ中の「自然災害」とは主に地震や水害、津波のことと理解して差し支えない。

写真を拡大 日本の自然災害発生頻度及び被害状況の推移

これを見ると、1991~95年と2011~15年が突出していることに気付く。前者は言うまでもなく阪神・淡路大震災、後者の2011~15年は東日本大震災が原因で大きく数字を伸ばしている。

これを見ただけもある程度、右肩上がりの傾向がわかると思うのだが、この後の2016~20年の統計をとったらどのように変化するだろうか。2016年以降は熊本地震を皮切りにいくつもの自然災害が起こっている。グラフがさらに数字を伸ばすことは目に見えているのである(注:気象学者や地震学者はもっと長大なスケールで自然の出来事をとらえるから、40~50年間ぐらいのデータでは「右肩上がりの傾向」として断定することはできないと述べるかもしれないが)。

いずれにしても、ここで一つの疑問が浮上する。例えば会社の業績や一国の経済成長といったものなら、人間の努力で右肩上がりに増加するというのは分かる。しかし偶発事象である自然災害が右肩上がりに増えているとはどういうことなのだ?と。この点について豪雨災害と地震について見てみよう。

■「大災害はめったに起こらない」は神話に過ぎない

まず台風や洪水について見てみよう。平成27年(2015)には茨城北部の鬼怒川が決壊し、住宅3000戸以上が浸水した。次いで平成29年(2017)には九州北部の豪雨災害。降雨量が観測史上最大(9時間で780mm)を記録している。平成28年(2016)には北海道を3個の台風が直撃、「北海道に台風は来ない」という気象観測の常識を覆した。そして平成30年(2018)には西日本(中国・四国地方)をゲリラ的な豪雨が直撃し、220名以上の犠牲者を出した。

こうした異常な豪雨と洪水の頻発は日本だけでなく、世界的な傾向であり、その主な原因が地球温暖化にあることは世界中の科学者の一致した意見となっている。そして地球温暖化はCO2という特定の物質の排出だけが原因なのではなく、人類の営みそのものによって引き起こされていると警鐘を鳴らす科学者も少なくない。我々が豊かさを追求し続け、過剰な生産と消費のサイクルを止めない限り地球温暖化も止まらない。つまり豪雨災害はこれからも頻発すると言っても過言ではないのである。

次に地震。私たちの脳裏にある「震度6~7クラスの大地震はめったに起こらない」という経験則は過去のものになりつつあるようだ。2016年の熊本地震(最大震度7)、2018年の大阪北部地震(最大震度6強)、同年の北海道胆振東部地震(最大震度7)、そして今後確実視されている巨大地震として南関東直下地震(首都直下地震、30年以内の発生確率70%)、南海トラフ大地震(同確率70~80%)がある。

日本には現在特定されている活断層が2000以上ある。日本列島は地球の表面上をゆっくり移動する巨大な4つの岩盤(プレート)がぶつかり合う不運な場所でもある。一説には2011年の東日本大震災を引き起こした大地震が、日本列島にある他の多くの活断層やプレートを刺激した可能性があるとも言われているから、これらは大地震が増えている理由とつながっているのかもしれない。

東日本大震災以降、BCP(事業継続計画)対策や豊富な地下水が利用できるといった理由で九州に工場を移した会社も少なくなかったが、2016年の熊本地震がその期待を打ち砕いた。今日では「地震はいつでもどこでも起こり得る」というのが専門家の一致した見方である。どの場所なら安全でどの場所なら危ないといった判断基準は通用しない。水たまりを避けるように地震リスクを避けることはできないのだ。

■「災害を忘れない」とはどういうことか

前回と今回を通じて、筆者は「災害のことを忘れたり、関心をなくしてしまってはまずいのではないか?」というメッセージを伝えてきたつもりである。では逆に、「災害のことを忘れない」「関心を持ち続ける」とはどのようなことを指すのだろうか。

実はこれはみなさんがどのような立場の人かによって意味合いが異なると思うのである。(1)自ら被災した人(2)避難所や仮設住宅などに通って直接被災者の痛みや苦しみを共有してきた人(3)復興事業などで俯瞰的な視点で被災地を見てきた人(4)自らは一度も大きな災害を経験したことのない人など。

ここでは、おそらく最も多いと思われる(4)の人々、そしてこれからBCPを策定したいと考えている人、あるいはすでに策定したBCPを見直したい人々を対象に述べてみたい。(4)の人々は「災害」という言葉からどんな状況を連想するだろう。多くの人はニュースや動画投稿サイトで見た悪夢のような状況-建物が倒壊し、焼け落ち、徹底的に破壊し尽くされた街の様子、そしてこの世の終わりのような大規模な洪水や大津波が街を飲み込む様子、あるいは、茫然自失で避難所に駆け込んできた多くの住民たちの悲痛な叫び-などを思い起こすのではないだろうか。

■自問自答してリスク意識を呼び覚まそう

しかしこうしたディザスター映画のようなイメージを「忘れない」ように記憶や心の中に留めようとすれば、どうしても気は重くなり、無力感におそわれ、むしろ早く忘れてしまいたいという意識が先行する。そこで、いったんこれらのイメージは心の奥底にしまい込み、より身近な「災害リスクの感知」にフォーカスしてみてはどうだろう。災害がもたらす状況や光景ではなく、災害につながるかもしれない不穏な空気を察する感覚を養うということである。これもまた「災害を忘れない」ためのアプローチと呼んでもおかしくはない。

例として、今あなたはどこかの会社の「喫煙コーナー」の前にいるとしよう。2脚の折り畳み椅子の前には水を張った空き缶が置いてある。壁には「最後の人は火の後始末を」「火災に注意」といった貼り紙もある。しかし椅子のすぐ後ろには、喫煙場所を取り囲むように廃棄書類や段ボールが粗雑に積まれている。この様子を見てなんとなく心穏やかならざる空気を感じ取ったら、あなたの意識は健全である、つまり災害リスクに対する警戒感が働いているとみてよい。逆に、もし何も違和感を覚えなかったら、指さし確認しながら「ここにリスクはないか?」と声に出して自問自答してみよう。この反復(習慣付け)がリスク意識を高めてくれるだろう。

(了)

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